今でも影響力があると信じてられる日医が本当に影響力があったのは武見元会長の時代です。つうか武見時代以降は武見元会長の遺産をひたすら浪費する長期低落を延々と続けています。ちょうどメキシコ五輪で銅メダルを取った日本サッカーが、Jリーグによる復活をするまで延々と低迷したような状態です。サッカーはそれでも見違えるように復活しましたが、日医の前途に明日はあるのか不安になります。 武見太郎と言っても私が医師になる前に既に医師会長どころか逝去されています。当時の日医がどれだけ凄かったかは私如きの若僧でははっきり言って伝説の領域です。武見氏関連の書籍もあるはずですし、読まれている方もおられると思うので恥しいのですが、ネットで拾った情報で武見伝説を見てみます。 まず経歴をwikipediaから、 Date 年齢 事績 1904年8月7日 0 1904年8月7日、京都府に武見可質・初夫妻(4男1女をもうける)
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