井深大氏と盛田昭夫氏。敗戦直後、東京・日本橋の白木屋3階で2人が手を携えてつくった東京通信工業(現ソニー)は、日本の戦後復興を上回るスピードで「世界のソニー」への道を駆け上がっていった。 その故盛田氏の妻、良子氏が3月14日死去した。享年85歳。ソニーの古手役員やOBたちの間では「ミセス」が通り名だった。1982年から95年まで社長を務めた大賀典雄氏は、しばしば良子氏の呼び出しで東京・青葉台の盛田邸を訪れた。良子氏に詰問され不機嫌になって本社に帰ってきた大賀氏を、何人もの社員が目撃している。 95年に社長に就いた出井伸之氏は、良子氏の覚えがめでたかった。欧州に留学していた盛田氏の長男と長女の面倒を見たことから、盛田家と家族ぐるみの付き合いに発展した。盛田氏の長男の妻は、出井氏の従兄弟の娘である。血のつながりはないが、出井氏は盛田ファミリーの一員と見なされ、「盛田家の家庭教師」と言ってはばか