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複雑性の同時現前に関するmagician-of-posthumanのブックマーク (5)

  • ruletheworldのブックマーク - はてなブックマーク

    文楽協会(大阪市)に対する補助金の支給を今年度限りで廃止する同市の橋下徹市長は25日、「寄付者からダイレクトに文化団体へ(寄付金を)入れられる制度を考えている」と述べ、ふるさと納税を活用した新しい寄付制度を検討していることを明らかにした。大阪府咲洲庁舎(同市住之江区)で開かれた府と同市の会議に出席後、記者団の質問に答えた。 文楽協会には平成27年度から、他の文化・芸術団体と同様に個別の事業ごとに同市へ補助金を申請し、審査を受ける方式が適用され、補助金を安定的に受給する保証がなくなる。 大阪市が検討している寄付制度は、寄付希望者が文化団体を指定して同市にふるさと納税を行えば、その文化団体に寄付金が渡る仕組み。寄付金のうち2千円を超える部分については、原則として一定の上限まで所得税などから控除される。現在、寄付可能な団体の選定などを進めており、27年度中の導入を目指す。 橋下市長は「文楽協会や

    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/10/28
    タグで増田にいじめられた者同士、共に頑張ろう。
  • はてブで「レイプ」すんな

    誰かが見てくれてたんだとわかるからブックマークされることは基的にうれしいんだけど 自分の書いた記事に変なタグ付けやコメントをされると正直いやになる。 コメント読んでて必ずいるのが、最後まで読まない人。 だいたい30人に一人。結論読んでから批判してくれと思う。 それから同じ確率でいるのが最後しか読まない人。 「この点はどうなんだ」と突っ込んでいるつもりらしいけど その件は中段で書いたよと言いたくなることがよくある。 タグで汚す人もひどい。 「これはひどい」はつけられたことがないからわからないけど、簡単に「ネタ」「neta」とつける人が多すぎる。 まじめに考えた内容にネタと言われるとやる気なくす。 最近は「話のネタいう意味だと勝手に思うことにして気にしないようにしてる。 それから、「GTD」だとか、図書館の分類法みたいな妙なタグをつける人はまだ許せるんだが かなり自己満足なタグをつける人がい

    はてブで「レイプ」すんな
  • 文章について

    よく、文体にとらわれず質を読み取れということを言う人間がいるが、見るに堪えない口調とか、意味不明な符牒とか、読みにくい文章構成とかはまったく咎めないのが不思議である。文章を人向けに書いているということは、人に何かを伝えるのが恐らく目的だろう。また、人間には理性もあるが感情もある。雑音を混ぜ込んで、文章構造上も、感情面でも、わざわざ読みにくくしておいて勝手に質を捉えてくれないと相手を非難するのが、いかに滑稽かを知らないのだろうか。

    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/10/09
    高度に複雑な現象を遺漏なしに記述するなら、省察の出発点が分散する。非連続的で非線形的な理論が必要だ。個々の出発点は不可避的に暗黙の前提を含意する。故に読者は従来の活字の読み方から脱却せざるを得ない。
  • 注釈についての提案

    ブログを見ていると、しばしば見かける注釈。(*1) 特にすごく長文のブログで、たくさんの注釈がついている事がある。 今、サンプルを示したように、各注釈から注釈の内容に飛ぶリンクと、文に戻るというリンクをつけてはどうだろう。 そうすれば、いちいち注釈から長文の最後までスクロールする手間も無く、また注釈を読んでスムーズに文に戻る事が出来る。 つけなくても良いだろうという注釈や、それ括弧でくくっても良いんじゃね?という注釈が多い中、リンクが無いのはかなりユーザービリティが悪いと感じます。 できればブログサービス側で自動的にこういうリンクができるような仕組みを作ってくれるとありがたいなと思います。 話はそれますが、増田でもname属性が使えたんですね。 (*1)これがまた結構どうでもいいつけなくても良さそうな注釈なのだが、とにかくついている(笑)(戻る)

    注釈についての提案
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/10/09
    ページ内リンクだとURLが変化してしまって、それに気付かずにブックマークしている人がいたな。そういえば。
  • 書く側のリテラシー - ぼちぼち そこそこ

    リテラシーという言葉をよく見聞きするようになりました。読み書き能力という意味らしいです。 ネットの世界ではこれまでどちらかというと読む方のリテラシーが重要視されてきたような気がします。学校でもそういった教育がされていると聞きますし。 ただ、ネットは閲覧するばかりではありません。これだけブログをやる人が増えてくると、書く方のリテラシーも今後、重要になるのではないかと思います。 そう考えたのは、最近の「はてな村」の騒動などを想起しての話なのですが、それがなにかということを具体的に書いてしまえば騒ぎに巻き込まれるだけだからここでは触れません。そもそもこんな雲をつかむような書き方では、私が想起しているようなトピックで検索してもこのページは出てこないでしょうけど。 「読み」のリテラシーはやネットのページをたくさん読んでいれば自然と身につくような気がします。それに対して「書き」のほうはどうでしょか。

    書く側のリテラシー - ぼちぼち そこそこ
    magician-of-posthuman
    magician-of-posthuman 2008/10/09
    高度に複雑な現象を遺漏なしに記述するなら、省察の出発点が分散する。非連続的で非線形的な理論が必要だ。個々の出発点は不可避的に暗黙の前提を含意する。故に読者は従来の活字の読み方から脱却せざるを得ない。
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