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作品に関するmassunnkのブックマーク (4)

  • メモ - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ

    ネット時代の著作権問題へ 観念論から始める。 全てのものは組み合わせであり、その限りで全てのものはオリジナルである。 →アトム論 何かある作品はアトムへと完全に分析分解されうる。 →一と多、全体は部分の集合 ⇔http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/whole_parts.html 「有機的全体」 全体と部分との、上記の、無機論的と有機的における相互関係をとらえることは、いたずらに全体を部分から引き離して神化するのではないとともに、全体をたんに部分の総計として全体のもつ特性を見失うおそれをなくし、また全体の持つ複雑さ、そこでの部分の相対的独立とそれら部分間の諸関係を正しく位置づけるための、認識上、実践上の大きな役割をもっている。 作品の作品性、コンテンツのコンテンツ性 媒介項としてのそれら ・作り手は受けながら作る ・受け手は作りながら受

    メモ - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ
    massunnk
    massunnk 2007/08/15
    いい線いってる
  • 「小説」について、トラバで一言送りますよ - ニート☆ポップ教NEO

    http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20070729/1185742868 僕は小説に関してはほとんど門外漢の人間ですが、東浩紀も講義で小説の要素について3つ述べていたのでこちらでid:nitarさんの講義録から引用させていただきます。id:SuzuTamakiさんの何かヒントになれば幸いです。 先に述べればそれは「文体」「物語」「消費構造」の3つです。 2006-12-11 作品というのは3つのモードで語られることがある 小説 文体 物語・意味・主題 消費構造 一般的に作品というのはこの3つのレイヤーに分かれている 文学研究はだいたい文体に対して行われる ここで出てきたこの単語は云々、などと 漫画研究アニメ研究を学問的に確立させるには 文体レベルの話をすればよい 例えば『テズカ・イズ・デッド』 映画研究もフレームの話ばかり このレイヤーは確固たるものである

    「小説」について、トラバで一言送りますよ - ニート☆ポップ教NEO
    massunnk
    massunnk 2007/08/03
    いえいえ、こちらこそどういたしまして。
  • Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。

    昨日、『零崎軋識の人間ノック』を読んでつくづく考えた。いやあ、キャラクター小説って、当におもしろいですね。 零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス) 作者: 西尾維新,take出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/11/08メディア: 新書購入: 7人 クリック: 66回この商品を含むブログ (236件) を見る ぼくだけではないと思うが、いったんあるキャラを好きになってしまえば、そのキャラがほかのキャラと絡む、それだけである種の快楽性が生まれる。『人間ノック』でいえば、玖渚友がちらっと出てきてわがまま言っているだけで何となく楽しい。 『涼宮ハルヒの憂』でいうなら、ハルヒとキョンがいつものように絡んでいるだけで一応おもしろいし、評判のよくない〈ネギま!〉の新作アニメも、お馴染みのキャラが出ているだけでそれなりに楽しく見れたりする。 涼宮ハルヒの憂 1 通常版 [DVD] 出版

  • メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11

    今日の東浩紀の授業。 どうもこんにちは 皆さん元気ですか 今年の風邪は厳しい 今回は参った 10日くらい使い物にならなかった 先週の授業の翌日取材をキャンセルした 小松左京のグレイトなパーティに行って家に帰って倒れた 土曜日小松左京マガジンの座談会の仕事を入れたり 小松左京先生のせいで厳しいことになった 皆さんも気をつけてください 不調だなと思ったらすべての仕事をキャンセルしないといけない 3kgくらい痩せた チャーハンとかおうとしたら吐きそうになる 心は腹が減っているけど体は減っていない こういうところ(講義)に行くと風邪をひくと思う 一緒に小松左京先生の仕事をした大森望さんにもうつったのではないか 授業どこやってたかわからないがこういうときのために はてなダイアリーがある - 動物化するポストモダン 1950、60年代のSF 将来のコンピュータはマザーコンピュータのようなもの 佐藤俊

    メタサブカル病 - 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2006-12-11
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