2006年10月〜07年3月まで放送された好評企画「週刊ミヤダイ」がデイキャッチで復活。その週に起きたニュースの中から、ミヤダイ先生ならではのテーマに注目。社会学的視点でその背景を分かりやすく解説する、目からウロコのコーナーです。
2006年10月〜07年3月まで放送された好評企画「週刊ミヤダイ」がデイキャッチで復活。その週に起きたニュースの中から、ミヤダイ先生ならではのテーマに注目。社会学的視点でその背景を分かりやすく解説する、目からウロコのコーナーです。
MIYADAI.com Blog (Archive) > おはようございます。幸福度調査と選好度調査の差異についてのツイートまとめ « あるお役人さんから興味深いメールをいただきました。 | ご要望に応じてアウェアネス・トレーニング関連のツイートをまとめました。 » あるいは「「快適だけど、便利だけど、満足だけど、幸せじゃない」という言語用法の蓋然性が意味する本質について miyadai 5:11am, Apr 15 from HootSuite おはようございます。御礼が遅れました。啄ちゃん、幸せそうじゃないですか。子供は僕の次女と同じぐらいかな。名前は何?RT @seijifujii1965: @miyadai 今夜もDIGごくろうさまでした。お伝えするの忘れてましたが、琢ちゃん写真 miyadai 5:16am, Apr 15 from HootSuite 昨日は青山学院大学非常勤@
第48回 2009年10月16日 民主党よ!ファシズムをめざせ!! って!!ちょっと問題発言では?と思った方は、ポッドキャストをお聴き下さい。ミヤダイ先生のお話です。 http://www.tbs.co.jp/radio/dc/fri2/index-j.htm 順位 2009年10月16日(金)のニュースランキング 1位 新型インフルまた拡大。この1週間でなんと倍増 2位 補正見直し3兆届かず。でも総理は「3兆に近い」と。 3位 きょうパ・リーグCS。ノムさん「連敗で終わる」とぼやく 4位 核削減。アメリカが2012年までに保有量半減を表明 5位 裏サイト取り締まり強化へ。警視庁がログ保存を要請 6位 日本オープンゴルフ2日目。遼クン4つスコアを崩す乱調 7位 夫婦別姓。亀井金融相の異論に千葉法相「理解を」 8位 日本人が米国政府訴え。最高裁が日本の裁判権容認 9位 「コールドケース」解決
90年代カルトの情勢にコミットした社会学者・宮台真司が、大作映画『愛のむきだし』で7分間ノーカットの説教を演じていました。 ところが本編では、最終的な4時間版ではほとんどカット。6時間でも既に削られていたらしい。非常に残念です。 幸いおまけDVDにノーカット版が収録されており、それを観ました。これは宮台さんが実際に即興で作り、一発収録でOKが出たものだそうです。その作りの巧みさに、私は大笑いして、あまりに笑ってしまったので全部書き起こしてした次第です。 もちろん理屈それ自体はバカバカしいのですが、プラトン、アリストテレス、カントと(あからさまな宗教家ではない大学者の)大名行列をまき散らした上で、突然聖書外典の話をもっともらしくねじ込むあたりは、なるほどいかにも新興宗教の手法らしい、手堅いやり口だと思ってしまいました。資料からどういう風に珍奇な解釈をひねり出して教義を正当化するかは、昔の(今
「多様な世界に目を向けよう」。 これは「双書Zero」が読者のみなさんに届けたい、ひとつの大切なメッセージです。 なぜなら、自分の見たいものしか見ない人が増えているような気がするから。 どうして、自分の好きな小さな世界にいることが、もったいないのか。 どうすれば、自分を世界に開いていけるのか。 アカデミズムの枠を超えて活躍する、宮台真司氏と森岡正博氏に聞いてみた。 ――現代は、これだけメディアが多様化しているにもかかわらず、仲間ごとに小さくまとまり、内閉しているように見受けられます。その弊害をどのように乗り越えていけばよいのでしょうか。 宮台 まず押さえたいのは、論壇誌はなぜ凋落したのかということと、人文系のウェブサイトはなぜ活況を呈しているのか、です。 「オピニオン・リーダー」の概念で有名な社会心理学者ポール・ラザースフェルドが、一九五〇年代に「コミュニケーションの二段の流れの仮説」を提
●宮台真司さんエッセイ 昨年11月に出版した『14歳からの社会学――これからの社会を生きる君に――』は、発売直後から、予想をこえた反響がありました。著者として、とても嬉しく思っています。今回は、同書の各章の内容への理解を、より深めていただくために、選書をしました。 「14歳からの〜」というタイトルには、2つの意図をこめています。「14歳」という、生への不安が最も高まる時期にいる子どもたちに読んで欲しい、という意図。そして大人には、すべてが分からなかった「あの頃」を思い出して読んでもらいたい、という意図です。 私たちの社会には9年間の「義務教育」があります。それがない時代、子どもは「通過儀礼」を経て大人になりました。子どもを非日常な空間でもみ、再び日常に戻ったときには新しい感性を身につけている――大人の「世間」が「みんな」に把握されていた時代です。 しかし、今、「通過儀礼」に置きかわっ
TBSラジオ「アクセス」で年末恒例の宮崎哲弥&宮台真司、両氏によるサブカル談議が今年も放送されました。昨年に続き今年も放送を文字おこし致します。 宮台:ずっと申し上げてますが、観察するほどのことはありません。本当はサブカルの話なんてしている場合じゃないんです。政治の話です。でも、政治もサブカル化してるんで、微妙ですけどね。 宮崎:映画から社会哲学を見つめる本を最近出したんだから、映画の話とかしてよ。 宮台:映画は切り口として、ネタとして使っているだけで、僕の本は例によって映画について書いているわけではありません。 渡辺:そんな中、宮台さんが気になるところってどこだったんですか? 宮台:う〜ん。ダメになるなり方には関心があります。やっぱフラット化してますよね。政治のサブカル化もそうだし。 僕が印象的だったのは、ロフトプラスワンで何回もトークイベントをやらしてもらったんですが、昔は本当にやばい
この本は、「亜細亜主義の顛末に学べ」と題されているのに、「亜細亜主義」についてはほとんど具体的な記述がないという不思議な本だ。「亜細亜主義」についてはすでに一定の予備知識を持っているという前提で書かれているようだが、その「顛末」をどう理解するかについてはどこかで一言触れておいて欲しかったと思う。それがないために、その疑問を抱いたまま読み進めるというような形になる。 おおざっぱに言えば、アジアとの連帯を求めた理想主義的な思想であったにもかかわらずに、結果的には列強の侵略と同じものを招いてしまったというのが「亜細亜主義の顛末」と考えられるだろうか。これから何がどのように学べるのだろうか。 この本は副題として「宮台真司の反グローバライゼーション・ガイダンス」というものがつけられている。その帯の部分には「アタマ悪いが力は強いジャイアン・アメリカをどうコントロールするか」という言葉が書かれている。「
MIYADAI.com Blog (Archive) > 大学所属部局の公式ホームページ用データを作る機会があったので、こちらにもアップします « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | 1つ下の業績リストについて » 氏名 宮台 真司(みやだい しんじ) →ミヤダイ・ドットコムへ 職位 教授 担当講義 ・学部:社会学A、社会学B、大衆心理と社会現象、社会学基礎演習,社会学特殊講義、社会学演習 ・大学院:社会学研究演習,社会学特論演習 最終学歴と学位 東京大学大学院社会学研究科博士課程,社会学博士 主要業績 【著書】 (1)『権力の予期理論--了解を媒介にした作動形式』(勁草書房, 1989年) (2)『制服少女たちの選択』(講談社, 1994年) (3)『終わりなき日常を生きろ--オウム完全克服マニュアル』(筑摩書房, 1995年) (4)『まぼろしの郊外--成熟社会を生き
田口 (省略) 宮台 東大社会学科の一年先輩の山田昌弘氏が『希望格差社会』という有名な本を出しました。昔と違って今は、欲望の充足機会に階級格差があるだけでなく、将来何になりたいか何をしたいかという希望それ自体に階級格差があるという内容です。事実認識としては妥当でしょうが、問題はその事実をどう評価するかです。希望に格差があることは直ちにいけないことでしょうか。僕はそうは思いません。階級的固定が過ぎるといった条件次第でいけないことにもなるし、これから申し上げるような条件次第でOKにもなります。 日本的ポストモダン(近代成熟期)が奇妙なのは、多くの人が「仕事での自己実現」を 追求しなきゃいけないと思っていること。昔よりもはるかに多くの親が子どもを受験に駆り立てる背景にも「自己実現病」があります。「仕事での自己実現」が「地位の上昇」なのか「能力の発揮」なのか──インスツルメンタルなのかコンサマトリ
田口 (省略) 宮台 僕の読者がふたり死んでいます。ひとりは『美しき少年の理由なき自殺』(文庫版タイトル『この世からきれいに消えたい』)の主人公に据えました。僕が知らない新潟県の読者だったから出来ました。もうひとりは東大で91年から5年間ほど非常勤講師をしていた時代の教え子。ある場所に僕の講義を聴いてデートクラブに出入りするほどフットワークが軽い子たちが東大生にもいると書きましたが、そのひとりです。その子からコクられていたこともあって、身近にいた彼女については主題的に書いたことはありません。 ふたりの自殺は5年ほど間があいていますが、その間一貫して僕は「意味から強度へ」という物言いをしていました。新潟の少年が自殺した後「〈社会〉から〈世界〉へ」という具合に言い方を変えました。両方は同じことを指します。意味とはコミュニケーションの中での機能のことです。コミュニケーションとはある人の選択と別の
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
──────────────────────── アンドリュー・ラウ監督が米国映画を作るに際し性犯罪累犯者とメーガン法を素材とした理由 ──────────────────────── ■『インファナル・アフェア』シリーズで日本でも広く知られたアンドリュー・ラウ監督が、日本を舞台にした『頭文字D』、韓国を舞台にした『デイジー』に引き続き、米国を舞台にした『消えた天使』を撮るに際し、性犯罪累犯者とメーガン法を題材にしたのは理由がある。 ■米国では性犯罪累犯者が人口学的に極めて多く、かつ性犯罪者の行政登録と情報公開を義務づけたメーガン法(に基づいて性犯罪者を監視する公共安全局)という米国だけの制度を持つ。性犯罪累犯者の多さもメーガン法がらみの制度も、米国の米国らしさを象徴するのだ。 【善性の危うさという不快】 ■米国らしさという意味では、ニューメキシコ州の荒涼とした砂漠の風景と、そこで風化に耐
MIYADAI.com Blog (Archive) > なぜ人形劇は廃れてきたのでしょうか。共同身体性と祝祭をキーワードに読み解きます。 « 石原都知事と、若者と教育の問題について対談しました。 | プロ野球ビジネスについて喋りました » ──────────────────────── 共同身体性の喪失に抗い、「規定された未規定性」に過ぎない祝祭に抗うための方途を、二つの人形劇、ITO『平太郎化物日記』と結城座『ドールズタウン』に見出す。 ──────────────────────── [承前] ■小学生の頃は人形劇だらけだった。学校には人形劇の一座がやって来たし、人形劇を見に遠足もした。親が人形劇に連れていってくれたし、子供が手遣い人形で遊ぶのは普通だった。夕方にはみんながNHKの人形劇を見た。あの頃なぜこれ程人形劇が溢れていたのだろうか。 ■人形劇の不思議は「よく分からないけど凄
MIYADAI.com Blog (Archive) > まぶだちの藤井健仁氏がただいま個展を開いていらっしゃいます。 « 6/17「ヨシモト・ホール」シンポ(寺脇研・平田オリザ・鈴木寛・宮台)の口上です | 今のような新聞は、朝日新聞であれ産経新聞であれ、なくなっていいでしょう » 形の融点 藤井健仁 展 ストライプハウスギャラリー 5月31日まで 11:00am〜6:30pm 無休 電話 03-3405-8108 http://striped-house.com/ 2004年の個展「彫刻刑 鉄面皮」パンフレットによせた原稿を、再掲しましょう。 ──────────────────────── いま私たちは鉄の声を聞くことで三島や麻原を超える 〜藤井健仁「鉄面皮シリーズ」展覧会に寄せて〜 ──────────────────────── 【モダンアートとは何か?】 ■いま私の手元に二つの
──────────────────────────────────────── 「分かりやすいものに感激する」という〈社会〉に閉ざされた作法を乗り越えるための、アレゴリーの賞揚と並ぶもう一つの作法を、人形劇に降臨する闇の力=縦の力に見出す。 ──────────────────────────────────────── ■5月5日は子供の日。子供の日といえば、私にとっては人形劇だ。そんなこともあって、この日、静岡県舞台芸術センターに呼ばれて劇作家の宮城聡氏とトークした際、「青少年と演劇の関係」がテーマだったこともあり、気がつくと、私は人形劇の話ばかりしていた。 ■私は人形劇を見て育った。人形劇なくして今の私はない。テレビは人形劇だらけだったし、小学校でも人形劇の一座がやって来たり、人形劇を見に「遠足」したりした。親はよく人形芝居に連れていってくれた。手遣い人形で遊ぶのは子供たちにとって
MIYADAI.com Blog (Archive) > 間もなく弟子たち(鈴木弘輝・堀内進之介)との共著『幸福論--〈共生〉の不可避と不可能』が出ます « 天才アーキテクト神成淳司氏との共著本『計算不可能性を設計する』まもなく上梓! | 映画『レベル13』批評:贖われることのないソーシャルデザインの地獄をどうするか? » まえがき 【「幸せへの設計」は如何にして可能なのか】 ■本書の目的は、我々の幸福へと向けたソーシャルデザイン(社会設計)が、如何にして可能か(ないし不可能か)を論じることにある。簡単に言えば「幸せへの設計は如何にして可能か」だ。「なぜそんなことを問わなければいけないのだ」という反問が予想される。 ■答えよう。ソーシャルデザインは常に既に行われている。このデザインが我々の幸福へと向けたものであることが厳密には不可能であることは、意外にも社会学的常識だ。ところがそれが社会学
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