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思い出に関するmurashitのブックマーク (9)

  • かつてヒザ猫を飼っていた話 - たぺログ

    こないだコインランドリーへ行った。 コインランドリーは殆ど行かないが好きだ。理由はわからない。 音楽が流れていてなんか面白い。できあがりを待つ間、飲禁止とは書いていないのでパンをかじり、茶を飲みながらノマドワークしてやった。 映画とかのコインランドリーは出会いの場になるが、現実的には来るのは老婆ばかりである。それにコインランドリーで話しかけてくる人はちょっと緊張する。 俺は年に一度、でかい羽毛布団を洗うためにコインランドリーへ行く。でかい羽毛布団はコインランドリーのでかいランドリーにしか入らない。 俺は親が買ってくれたまあまあ高い羽毛布団を、大学1年の頃から12年使い続けている。 家賃2万のボロアパートで服が全部カビたときも、布団カバーはカビていたが体は生き延びていた。 しぶといやつだ。一番長く使い続けている所有物はもしかしたらコイツかもしれない。 たぶん次が11年くらい使っているスネ

    かつてヒザ猫を飼っていた話 - たぺログ
  • ラグナロクオンラインと思い出話|冬木糸一

    ラグナロクオリジンというスマホゲーがリリースされていた。ラグナロクオンラインというかつて絶頂の人気を誇ったオンラインゲームのスマホゲーである。ラグナロク関連のスマホゲーは何度かリリースされていて、これも、正直長期でやるつもりはないが、礼儀としてダウンロードしやってみた。 で、やったが……スマホゲーとしてかなりアレンジされつつもだいぶROの雰囲気が残ってて、ゲームとしてどうかはともかくノスタルジーが刺激される……。全体チャットでギルド入りませんかーとパーティ組みませんかーとしきりと声がとびかっているところとか……。 唐突な思い出話この世界では昔ラグナロクオンラインというゲームが流行っていた時期がある。僕も例に漏れずハマっていて、危うく人生が破壊されるところだった。明らかに現実で人と遊んでいるよりラグナロクオンライン(RO)の中で人とモンスターを狩り、対人戦で戦っていたほうが楽しく、起きている

    ラグナロクオンラインと思い出話|冬木糸一
  • テキストサイトの話します - 気刊びびび

    ろじっくぱらだいすがいまだに更新続けててちょっとビビった。そうだね、こんな夜はテキストサイトの話でもしようか。僕の個人的な記憶や感覚に基づいただけの文章であり、なんら検証は行っていない。そこに留意した上で読んでほしいし、むしろ読まなくていいや。はい、帰って帰って(おっ、テキストサイトっぽいくすぐりだ)。 僕が中学・高校くらいの間、インターネットはテキストサイト黄金期だった。「侍魂」や「ろじっくぱらだいす」のようなコラム系サイトや、「ちゆ12歳」や「米」といったバーチャルネットアイドル系、「ダンシング★カンパニヰ」や「絵日記でもかいてみようか」などの絵日記系など、さまざまなサブジャンルに分かれて百花繚乱、百家争鳴といった様相だった。そういった有名サイトが人気を博す一方で、2002年の1月に█████が運営していた零細サイト█████████がひっそりとリニューアル、テキストサイトに装いを改め

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  •  十年以上昔、小学生だった頃、何の気なしに学校の掃除をしていたことが..

    十年以上昔、小学生だった頃、何の気なしに学校の掃除をしていたことがある。昼の休み時間、自発的に、一人で黙々と。 掃除を始めたことに意味はなかった。昼休みを一緒に楽しく過ごして遊ぶ友だちもいなくて、しかも家で一人ゲームで遊ぶことに慣れた自分は、学校で時間を潰す手段に飢えていた。 学校で一人時間を潰す手段の最たるものは図書室での読書だろうが、自分の住んでいたところは田舎で、その蔵書は微々たるものだった。興味のあるものは高学年に上る前に全て読み終わるほどだったし、だからといって興味のないを読むには、当時の自分はまだ堪え性が足りていない。 それである時ふと、することがないのなら、昼休みと五時間目の間にある掃除の時間を前倒ししようと思いついた。例えるなら、夏休みの宿題を最初の数日で終わらせておく気分で。 あとは昼休みが終わって校庭から帰ってきたクラスメイトをちょっと嬉し驚かせたかったのもある。皆ま

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  • [diary]走る列車から跳びだして 2013-01-22 - オネミリエ Onemir’e Mnogotsvetnoe

    ツイッターで流れてきたリンクを何気なく開けてみたら、昔モスクワで話をしたことがある若手作家の人が何か書いていて、この人メディアによく出るようになったなあと思いつつ読んでみたら、最近オランダで自殺した反体制活動家の遺族に話を聞きにいったルポだった。去年の大統領選のときに派手な抗議運動をして当局から目をつけられ、オランダに亡命しようとしたら拒否されて絶望したらしい。そんなに興味ある話題ではないので最後まで読まずに閉じて、休日なのでだらだらしつつ惰眠をむさぼった。すると夢の中で朝の通勤電車にプーチン大統領が乗り込んできた。僕はプーチン氏の後ろにいたのだが、奥のほうから「あーあー」と(いーけないんだー、のイントネーションで)大声で言っている人がいて、プーチン氏が興味深げにしていたので、「あれは誰か人のせいにしようとしてわざとあんなふうな声を出しているのですよ」とロシア語で教えてあげた。プーチン氏は

    [diary]走る列車から跳びだして 2013-01-22 - オネミリエ Onemir’e Mnogotsvetnoe
  • http://d.hatena.ne.jp/tsuitakotonasi/20120520

  • アンポンタンと私 - キッチンに入るな

    ◇ これの続き: 大正生まれの私の祖父は、記憶に登場する最初のころから腰は曲がっていたが、70歳を越えても毎日車を運転するいかしたジジイであった。そして私と姉を、幼稚園から小学校低学年ぐらいまで、面白がって騙し続けたジジイでもあった。 いわく、「町に行くたびべるおいしいべ物があって、それは“アンポンタン”というんだ」「あんぽんたん!!」 ○ それはどんなべ物なのか。話を聞くたび、答えは違った。 「ほかほかしている」「やわらかい」「ひとつでおなかいっぱいになる」。 いっこうに像を結ばない“アンポンタン”は、私と姉の頭の中でおおいに膨らんだ。 ○    ○ 祖父はアンポンタンの味も様々に形容したが、今から思えば、そこにはひとかけらの具体性もなかった。 「おいしすぎてほっぺたが落ちる。というか、落ちた。医者でほっぺをつけ直してもらって帰ってきた」。 さすがにそれは嘘だとわかった。でも、それ

  • クカモンガ - ホークのヤケクソ日記

    ご無沙汰しております。今日はちょっと20年ほど昔のことを思い出して書いてみようと思ってですね。特に理由はない! 20年前といったら『ダイ・ハード2』なんかが全国公開されていた頃。ということは同じレニー・ハーリン監督、アンドリュー・ダイス・クレイ主演の名作アクション・コメディ『フォード・フェアレーンの冒険』が夏休み第1弾で封切られ、そして光の速さで打ち切りになった頃。『フォード・フェアレーンの冒険』の上映期間については1日説、週末2日間説または3日間説、最長で1週間説と諸説ある。けれども、俺の記憶する限りでは土曜に封切り、明けた月曜にはもう『タスマニア物語』か何かに差し替えられていたと思う。 ということで20年ぐらい前はよく映画館に行ったなあと思うわけです。何かに憑かれたように劇場通いをする頃ってありますわね。そりゃ今だって行くは行きますけど、今考えるとお前何でそんなもんまで、というような作

    クカモンガ - ホークのヤケクソ日記
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●きれいなエメラルドグリーンのトンボと見つめ合った。たぶん、アオイトトンボではないかと思う。住宅の塀にとまっているトンボにかなりの至近距離まで顔を近づけ、じっくりと見た。指で羽を挟んで捕獲しようとしたのだが、失敗して逃げられた。 中学の時の友人でムシトリと呼ばれていた奴がいた。ムシトリは知的な障害があって特殊学級にいた。ムシトリには特別な能力があって、飛んでいるトンボや蝶々を人差し指と中指だけで羽を挟んで捕獲することが出来た。顔の前にいる虫を払いのけるように腕をすっと振ると、ムシトリの指の間には飛んでいた虫が捕獲されているのだった。勿論、ムシトリという呼び名はそこからきていた。そもそもムシトリの名を知らなかった。ムシトリは悪いガキ達にからかわれたりバカにされたりしながらも、その能力から一目置かれてもいた。ムシトリにその捕獲のコツを教えてもらいもした。ぼくには、とてもムシトリのように飛んで

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