あなたのタイムラインに絶望と安らぎを。1日1回twitter小説を投稿します。コメントいただいてもお返事できなくて申し訳ありませんが、わたしはあなたのことが好きです!
現実は小説より奇なり、という言葉を私は信用しない。なぜなら宇宙が好きだから、そして誰もが宇宙を愛しているから。現在は多くが観測によって検証され、妄想が現実へと変換されているが、はじめ、地球が星という球体、物体であること自体が人の妄想でしかなかった。科学がそれらを検証し、現実としたのは後付けであって、特にいまでも、果てのことは妄想で満ちている。そんな宇宙を人が愛するのならば、現実、つまり理性が、小説、つまり妄想より奇であるとは言いがたいと思うのだ。 現実とはずるい。たとえば、創作では「そんなご都合主義な展開があるか!」といわれるような奇跡も、現実では「そこまで出来た話があるのか……!」という感動に変わる。つまり小説では見られない奇が現実にある、というのは小説では「どうせ創作だろ?」と邪魔する理性が、「これは現実である」という事柄によって競り負け抹消されてしまうだけにすぎない。本来人の妄想とは
朝から用事があるのに昨晩から眠れないのと雨予報で自転車に乗る気もしないのでぼんやりと、録画していたお笑いを繰り返し見たり、「飲む、打つ、買う」 -「一流の芸人になるには、飲む、打つ、買う、が- 俳優・女優 | 教えて!gooを読んだりしていたが、芸とか関係なく、また小細工で、ヴィクトル・シクロなんちゃらスキーみたいな「異化」をせずとも、日常に「異」の体験を取材してそれを展開する、てことが生きる楽しみだろうな、的なことをぼんやり考えていた。たとえば前の仕事の中でそれが得られることはほぼなくなってきていたし(それは必ずしも仕事が悪いという意味ではなく、俺が悪いという面が多々というか、ほぼ全て、であるのだが)でわでわ、どこにそれを求め得るだろうか、という。 「異化」、まぁ「ちょwwwおまwww」でもいいのだが、そういう体験は「マイブーム」になって自分の2年とか3年の生活を支配する。今後、とすごく
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く