タグ

内田樹に関するorionoのブックマーク (11)

  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre

  • 神戸女学院大学 12月10日(日)開催 オープンキャンパス

    神戸女学院大学では、「キリスト教主義」「国際理解の精神」「リベラルアーツ教育」を教育の三つの柱とし、一人ひとりの能力を個々に合った形で伸ばす少人数教育を実践しています。

    神戸女学院大学 12月10日(日)開催 オープンキャンパス
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

    oriono
    oriono 2009/01/05
    いつもより長いな
  • こんな日本でよかったね - 池田信夫 blog

    を酷評するのはちょっと気が引けるのだが、『諸君!』10月号で、書評を唯一の業績として誇る松原隆一郎氏がトンチンカンな書評をしているので、つい「反・書評」を書いてみたくなった。 書はブログの記事をつなぎ合わせたもので、著者も認めるようにかなりいい加減なだ。エドマンド・バーク的な保守主義をなぜか構造主義と呼んで、奇妙な「日論」を展開している。しかし私が批判したマルクスの記事もインサイダー取引の記事も削除され、ポパーの誤読の部分も削除されているのは好感がもてる。献も「理解は共有している」というメッセージかもしれない。 問題は、松原氏の無知である。彼は「構造改革」を否定し、「世の中を使えるように維持する」内田氏のピースミール社会工学を絶賛するのだが、これは私が指摘したにもかかわらず、内田氏が訂正していない誤解である。ハイエクがポパーを批判したように、社会をデカルト的合理主義で制御し

    oriono
    oriono 2008/09/01
    「ハイエクがポパーを批判したように、社会をデカルト的合理主義で制御しようとする社会工学という考え方は、社会主義と同じ計画主義(constructivism)なのだ」
  • リーダーシップは涵養できるか? - 内田樹の研究室

    ある新聞からの電話取材で「女子大の存在意義」について訊かれる。 東京でお茶の水女子大、奈良女子大、津田塾、東京女子大、日女子大の五大学の学長を集めて、女子大の存在意義についてのシンポジウムが先般あったそうで、それについてコメントを、ということである。 シンポジウムで学長さんたちはどういう結論になったんですかとお訊ねする。 女子大の存在意義は、「女子だけを集めると、男子に依存しない、リーダーシップのある女性を教育することができる」というのが合意点でした、と記者さんは言う。 伝聞であるから、これがそのままシンポジウムの結論だとは思わないが、そういう趣旨を含んでいたとすれば、ずいぶんと貧しい考え方だと言わねばならない。 当然ながら、私はそのようなロジックには同意することができない。 つねづね申し上げているように、私は「リーダーシップ」とか「エンパワーメント」とか「社会進出」とかいうことばで教育

    oriono
    oriono 2008/08/21
    「ナンバー1よりオンリー1」に通じる考え方。
  • 夏休みは続く - 内田樹の研究室

    お盆なので(関係ないけど)、引き続きお休みである。 新聞の折り込み広告に「お盆セール」という言葉がたくさんでている。 お盆関係グッズ(呪術的なもの)がイカリスーパーのようなところに山積みしてあるのを見ると、「日人て、やっぱり宗教的だよな」と思う。 一時期(たぶんバブルの頃)、日人はきわめて非宗教的(というかハイパー現世的)になったけれど、それがたぶん戦後63年の「底」で、それからあとゆっくりわれわれの宗教性は「V字回復」しているように思う。 個人的印象ですけど。 あと数年すると、小学校六年生くらいで「将来なりたい職業」に「僧侶」というようなものが登場してくるような気がする。 個人的予測ですけど。 でも、私の「何の根拠もない予測」はこれまで各分野の専門家のエヴィデンス・ベーストの未来予測よりも高い確率で実現しているので、おそらくこの予測も実現するであろう。 われわれのなす予言はつねに遂行

    oriono
    oriono 2008/08/14
    「一時期(たぶんバブルの頃)、日本人はきわめて非宗教的(というかハイパー現世的)になったけれど、それがたぶん戦後63年の「底」で、それからあとゆっくりわれわれの宗教性は「V字回復」しているように思う」
  • 北京オリンピックに思うこと - 内田樹の研究室

    今朝の新聞を読んだら、新彊ウイグル地区で爆弾テロがあった。 北京オリンピックは果たして無事に開催されるのであろうか。 毎日新聞に三ヶ月おきに書いている「水脈」という時事エッセイの締め切りなので、そのことについて書く。 北京オリンピックについては、二ヶ月ほど前に TBS の報道研究誌に寄稿を求められて、少し長めのものを書いたことがある。 あまり人目に触れる機会のない媒体であるから、その後半部分をここに転載しておく。 友人のビジネスマン平川克美くんは「中国人が北京オリンピックで失うものは、日人が東京オリンピックで失ったものの10倍規模になるだろう」と予測している。私の実感もそれに近い。 中国の人々が北京オリンピックで失うものは私たちの想像を超えて巨大なものになるだろう。 こういう国家的イベントによって失われるものは「かたちのあるもの」ではない。むしろ、「かたちのないことが手柄であるようなもの

  • パイレーツ・オブ・チャイナ - 内田樹の研究室

    文藝協会というところに入会したので、会報が送られてくる。 文藝協会はたぶんもともとは寄る辺なき文士たちの相互扶助組織として発生したものではないかと思う。 「寄る辺なき人々」のための相互扶助・相互支援組織というのはたいせつな中間共同体である。 しかし、文藝協会の最近のメインの仕事は著作権の管理である。 私はこれがどうにも、「なんか違うんじゃないか」という気がしてならないのである。 いま著作権の保護期間は50年である(これを国際標準に合わせて70年に延長することを協会は求めている)。 著作者が死ぬと、著作権はその親族に継承される。 だから、文藝協会の会員も相当数は操觚の人ではなく、著作権継承者の方々である。 著作者自身が自分の書き物について、その使途や改変について「ちょっと、それは困るわ」という権利を留保することは許されると思う。 文章が書き換えられて、それに自分の名前がつけられて流布して

  • 甦るマルクス - 内田樹の研究室

    マルクスが「プチ・ブーム」らしい。 『赤旗』からの電話取材で、「このところのマルクス・ブームと日共産党再評価の動きについて」訊かれる。 たしかに、マルクスについて言及される回数がこのところ心持ち増えたような気がする。少なくとも、私自身の書きものに「マルクス」という語の出現頻度が上がっているのは間違いない。 日共産党再評価云々については、ほんとうにそんな動きがあるのかどうかわからない(「希望的観測」の域を出ないのではないかと思うけど・・・)。 どうして「今、マルクス」なんでしょう? どうしてなんでしょうね・・・ 一つはかつてドミナントなイデオロギーであったせいで、すっかり飽きられた「歴史主義」が、このところあまりに冷遇されていたせいで、むしろ「物珍しい」ものになったという事実がありそうである。 歴史主義には悪いところもあるが、いいところもある。 特にいいところは、「私たちが今生きているこ

    oriono
    oriono 2008/05/26
    「歴史主義」のよいところ/いけないところ→「身の程をわきまえた『ディセントな歴史主義』」→内田は「大きな理論」としてのマルクスよりも、話のツマとしてのマルクスに魅力を感じる(という話かな?)。
  • Insight/メインコラム145/08.02.01

    2008.02.01 「『変革』は当に必要なのか」 内田 樹  うちだ たつる 神戸女学院大学文学部総合文化学科教授(フランス現代思想、映画論、武道論) 1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退。東京都立大学助手、神戸女学院大学助教授を経て、教授。著書「疲れすぎて眠れぬ夜のために」「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」「私の身体は頭がいい」「態度が悪くてすみません─内なる他者との出会い」「知に働けば蔵が建つ」「先生はえらい」「他者と死者」「死と身体」「街場の中国論」「街場の現代思想」「子どもは判ってくれない」「東京ファイティングキッズ」「ためらいの倫理学」「『おじさん』的思考」「寝ながら学べる構造主義」「レヴィナスと愛の現象学」、共著「逆立ち日論」「身体知」「健全な肉体に狂気は宿る」「14歳の子を持つ親たちへ」「

  • 内田樹の研究室 - 「不二家」化する日本

    菓子メーカー大手の不二家が消費期限・賞味期限の切れた材料を使って洋菓子を製造していた事件は、当初現場のパート作業員の個人責任とされていたが、今朝の新聞報道によると、埼玉工場では7年前から工場長まで含めた工場全体の組織ぐるみで期限切れ原材料の使用や消費期限の付け替えが行われていたことが内部監査で判明した。また品衛生法基準の60倍の細菌が検出されていた洋菓子についても、工場長は回収指示を出さず、出荷されていた。 調査結果を承けて、大手スーパーは不二家製品の撤去を開始、すでに洋菓子販売は全面休止しており、全国の工場での調査結果でさらに問題が出てきた場合、すでに業績悪化している経営にとって致命傷となる可能性が高い。 この事件は現代日企業の知的退廃を象徴する出来事だと私は思う。 「知的」退廃というところにご注意願いたい。 倫理観の欠如とかコンプライアンスの不徹底とかマニュアル運用の不備とかいろい

    oriono
    oriono 2007/01/17
    「レースでの競争に夢中になっているうちに、レース場の外にも世界があり、レース場の外にはもう一つ次数の高いルール…が存在する…ことを忘れてしまったのである。だが、不二家の失敗を笑う資格は日本人にはない」
  • 1