水越峠からダイトレ(林道)を金剛山に向けて歩いて行くと、越口という所で、大阪側に流れていた沢の水を一部、奈良県側に分流しているのが見えます。 写真:越口 ※昼間の写真がありませんので、夜の写真を掲載します。 この地域の歴史を知らなかった頃は、上手いこと考えたものだと思っていましたが、実はそうではなく、水を巡る争いの現場だったわけですね。 葛城神社社務所史跡金剛山奉賛会発行の「金剛山記」に詳しく書かれていましたので、こちらに抜粋して転載します。なを、本を見ながら手入力しましたので、誤字脱字があればご指摘ください。 以下、本文。 水越川をめぐる水論 当時の大和側の水越川の上流は、今日の水越峠の手前で南側の小河谷にたっし、その小谷の南端が水源であり、底には金剛山頂から直線距離でもなお2kmほど手前であった。その2kmの部分には幅1kmほどの谷が存在し、この谷の降水は水越川の先端をかすめるように北