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認知とthoughtに関するrikuoのブックマーク (29)

  • 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)

    「というのも、各々は直接的に他者のうちに自分を知るからであり…しかもそれによって、各々が、他者もまた同じように彼の他者の内に自分を知るのだ」(ヘーゲル『イェーナ体系構想』法政大学出版局) 「臨場性」はなぜ必要か コロナ禍の中で、心から消滅して欲しいと思ったのは「ハンコ」である。 大学が入構自粛になっているのに、ハンコを押すためだけに出勤することの徒労感。そういえばうちの大学では、会議からはほぼ完全に紙資料が駆逐されて、タブレットで会議資料を閲覧することになりはしたけれど、「ワープロで作成しプリントアウトした紙資料に押印したものをスキャンしてPDF化」という純和風デジタイズが横行しており、電子署名などまだまだ imagine the future の彼方——内輪ネタですみません——というありさまだ。というか、そもそも現政権におかれましてはIT担当大臣が日はんこ議連議長を兼任、という漫画のよ

    人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)
  • 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

    Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりとを読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は

  • 「働いてない」と人権がないのか問題|yuco

    カネカの件で思うこと。子供の小さい片働き家庭だって頻繁に引っ越しなどしたくないですよ。子供だって幼稚園や小学校を頻繁に変わるのはメンタル的にきついと思う。でも今の時代になってはじめて「共働き時代に合わない」という理由で否定できるようになった。夫の賃労働都合の引っ越しには、の賃労働(それも夫と同格の正社員)をぶつけないとダメなんだろうか。 賃労働をしてない人間の意見は無視されるのが当たり前なのだろうか。夫婦別姓問題にしても、が(名前の同一性が重要な)仕事をしているから、苗字を変えると不都合があるからという理由での主張が多い。賃労働をしてない女性だって苗字を変えたくない人もいるだろう。 昨年流行語にもなった「ワンオペ育児」という悪名高い風土がある。女性が一人で家事育児、そしてさらに仕事(いま女性の労働参加率は7割を超え8割近くになっている)を一人でオペレーションすることをいう。 ワンオペ育

    「働いてない」と人権がないのか問題|yuco
  • 対人ストレスから解放されたフリーランスの末路(体験談)|ゎ

    精神疾患や生きづらい性格を抱える人の中には、会社で働くことが苦痛で、フリーランスになることを夢見ている人がいるかもしれない。 筆者は、ある精神疾患を持っているため、集団の中で穏便になじむのが困難であるためフリーランスを選んでいる。過去3年間は会社にフルコミットをしたが、2018年度は、ほとんどの時間を自宅で過ごす働き方をした。 在宅勤務のフリーランスは、仕事依頼さえ安定していれば、はたから見るとストレスフリーな働き方に思えるかもしれない。確かに、会社生活で感じるようなストレスから解放されるのは事実だ。しかし、フリーランスだからこその悩み、葛藤というものも新たに生まれてくる。 この記事では、在宅勤務のフリーランスになったからこそ生じた生活上の問題点について記述する。n=1の個人的な話ではあるが、筆者は大したパッションもない凡人なので、真似できないような成功者の体験談よりは誰かの役に立つと思っ

    対人ストレスから解放されたフリーランスの末路(体験談)|ゎ
  • 困難な問題(Hard Questions):オンライン上のアイデンティティは人の死後どうあるべきか | Metaについて

    ※これはFacebookのMonika Bickert,が自身の経験を踏まえて執筆したものです。 私は夫の死去後も、彼の携帯電話にメールを送り続けていました。夫の携帯電話は、ベッド脇の机の上で充電されないまま、私のすぐそばにありました。誰も私のメールを読むことはないとわかっていましたが、メールを書き続けました。夫とまだつながっていると感じる必要があったのです。私の携帯電話には、夫が娘達と笑顔で写っている写真や私が夫を病院に連れて行った2日前に撮影された夫が彼の兄弟と笑っている動画が保存されています。しかし、それらを見ることはできませんでした。あまりに辛すぎるからです。そうした映像を見るかわりに、私は夫にメールを書き続けました。あたかも、メールが彼に届いていて、返事がくるかのように装いながら。 愛する人を失ったとき、人々はどんな方法であっても、彼らとつながっていたいと感じるものです。そのよう

    困難な問題(Hard Questions):オンライン上のアイデンティティは人の死後どうあるべきか | Metaについて
  • わかりやすさの技術 - やしお

    社内向けの教育資料を、ど素人でもわかるようにと思いながら作っていて、じゃあ「わかりやすい」って何だろうって考えてた。今まで読んできたいろんなわかりやすかったとそうでないを思い浮かべながら、一般的にここを注意すればわかりやすさを確保できるだろうっていうポイントを一旦まとめておこうと思った。そうしてまとめてみると、に限らず人に何かを伝えること一般に適用される話だなと思った。 読む側の負担を減らす わからない=理解をはばむ障害物がある。この障害物を取り除く/回避する作業が「わかる」ために必要になる。その作業を、作者ではなく読者が負担するとき「わかりにくい」になる。 日社会だと情報の受け手の側がこの「わかる」ための作業を負うことでコミュニケーションを成立させる傾向にある。空気を読むというようなことだ。そのため発信者側が事前に手を尽くしてわかりやすく発信するというのが苦手で、相手が汲み取っ

    わかりやすさの技術 - やしお
  • 「絵文字に平等をサポートしてください」人種差別の指摘にゆれるUnicode 

  • お前自分ちのページャUIが本当に速いと思ってんの?

    手抜きです

    お前自分ちのページャUIが本当に速いと思ってんの?
    rikuo
    rikuo 2014/07/05
    『高速化だけだと「速すぎて気持ち悪い」になる可能性』『画面の変化がなさすぎで「遷移」のアフォーダンスがない』『ユーザーが気づかない可能性』
  • hueからの意識改革 : 続・ユビキタスの街角

    ネットから制御可能な hue というLED電球が面白い。 iPhoneAndroidのアプリから明るさをコントロールできるうえに、 公開APIを使えばパソコンからネット経由で自由に制御することができる。 ネットから制御できる電球はいろいろ提案されているのだが、 今すぐ買ってすぐ便利に使えるところがありがたい。 赤外線リモコンを使ってワイヤレスに制御できる電灯は現在普通に売られているし、 ネットから制御できたら何が面白いの? と思う人もいるかもしれないが、 ネット経由で自由に制御可能な製品が増えることによって 日常的な機器の操作インタフェースに関する意識が変わっていくことを期待したいと思っている。 現在の家庭やオフィスの電灯は部屋の入口付近のスイッチでコントロールするのが普通であり、 電灯が複数ある場合は複数のスイッチが並んでいるものである。 このため、部屋の明るさを変えるためにわざわざ部

    hueからの意識改革 : 続・ユビキタスの街角
  • 「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

    前回、自分はカバンなどまったく興味ないと思っていたのに、気が付いたらその話ばかりしているのを指摘されて、結果カバンのプロデュースをいくつもやることになったといういしたにまさきさんの話を紹介しましたが、これを聞いてワタシは、『ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』においてレベッカ・ブラッドが使っていた「対象を絞った思いがけない発見(targeted serendipity)」という表現を思い出していました。 レベッカ・ブラッドは、優れたブログはその読者が気付いていない、けれども提示されてみるとこれこそ読みたいものだというものを読者に紹介するという意味でこの言葉を使っています。しかし、いしたにさんの例を出すまでもなく、ブログにはその作者であるブロガー自身にも、自分は実はこんな分野にも興味を持っていたのだという自己認識、自己発見をもたらす側面もあります。 そうし

  • (いわゆる)パララックス演出手法とそのバリエーションについて | nodot

    (いわゆる)パララックス手法が大流行である。理由の一つにはある種の快感の存在があると思われる。ウェブページ閲覧の際の最も主要な操作である縦方向のページスクロール。この操作に連動した動き、想定外ではあるものの、スクロールとの相関によりあくまで自分が操作している感覚が得られ、こちらの渡邉恵太氏の記事にもあるような自己帰属感を得られる。これが快感の正体ではないかと考える。 (快感なんかなくね? という意見があったので追記) 簡単に言えば、来マウスを触ってカーソルが動くだけでも面白くて身体拡張感覚由来の快感があったのである。しかし慣れることによって、ホイールを回して画面がスクロールすることはもはや当たり前すぎて身体拡張感覚など得られなくなっている。しかしデフォルトの挙動以外に新たなインタラクションを導入することでこれを再び感じられる。つまり言いたいことは「インタラクションは気持ちいい」ということ

  • スマホUI考(番外編) なぜ機能追加をし続けるとアプリが破綻するのか? | fladdict

    この写真は、アーミーナイフの名門ウェンガー社のジャイアントナイフという最高級ナイフである。141の機能を持つ、ギネス認定もされた厚さ24cm、重量1.3kgの世界で最も高機能なナイフだ。トップメーカーが自社製品の全機能を1つに集約したこの製品こそが、機能拡張の行き着く先を指し示している。 なぜ適切な機能追加であっても、機能を追加しつづけることで破綻をするのか?エントリは、「スマホUI考(番外編) 顧客やユーザーの要望に全て対応すると、アプリは99%破綻する」の続きになる。 エントリでは以下の4つの側面から、機能を追加するリスクを考える。まず第一に「選択肢の数が必ずしも善ではないこと」。次に「人間の判断力は使うほど消耗すること」。そして「画面スペースが有限のリソースであること」。最後に「どんなに機能を増やしても、一画面で強調できるものは限られていること」。これらの4つは全て、機能追加が最

  • 知名度ゼロからの「ネット影響力」獲得への道:Geekなぺーじ

    リアル世界で知名度があまりない人が、「宣伝に使えるのはネットしかないかも。だからネットで影響力が欲しい」みたいな方向で色々と考えていることがあります。 たとえば、知名度がない企業が自社製品を宣伝する手段としてネットに着目している場合や、知名度がない個人がネットを活用してファンを増やしたいといった事例です。 個人であれば、マイナースポーツの選手であったり、作家を目指す人であったり、音楽家を目指す人であったり、アーティストであったり、フリーランスであったり、その他個人で活動を行うような場合が考えられます。 そういった方々が、「Twitterのフォロワーってどうやったら増やせるの?」とか、「Facebookページのいいねを増やしたい」とか、「ネットでファンを増やしたい」とか、「ブログの読者を増やしたい」みたいな質問をすることがあります。 ニュアンスとしては、ネットを使う以外に自分で宣伝を行う方法

  • 『風ノ旅ビト』誕生秘話――人の感情を動かすゲームが生まれるまで【GDC2013】 - ファミ通.com

    世界中のゲーム開発者が集い、最新技術ゲーム制作の過程などを解説、紹介する国際会議“GDC(ゲーム・デベロッパーズ・カンファレンス) 2013”が、現地時間の3月25日~3月29日の期間、アメリカ・サンフランシスコのモスコーニセンターで開催された。この記事では、『風ノ旅ビト』の開発者であるthatgamecompanyのジェノヴァ・チェン氏による講演をリポートする。じつはこの講演、最後はスタンディングオベーションで、たいへんな拍手に包まれる。なぜそうなったのか、じっくりと読んでみてほしい。 さて、『風ノ旅ビト』(原題は『Journey』)というゲームをご存じだろうか? 2012年3月15日に、プレイステーション3用のダウンロード専売タイトルとして発売された、アクションアドベンチャーゲームだ。プレイヤーは、広大な砂漠の舞台を、文字や言葉といった直接的なコミュニケーションがないまま、目的地に向

    『風ノ旅ビト』誕生秘話――人の感情を動かすゲームが生まれるまで【GDC2013】 - ファミ通.com
  • 有料コンテンツの閲覧導線に関する駄文

    最近はHuluやiTunesストアで映画を見られるわけだが、特にHuluは固定料金で見放題にもかかわらず、コンテンツ一覧ページをいったり来たりして、じっくり吟味してしまう自分がいる。 もしかしたらこんなことに躊躇してるのは僕だけかもしれない。 とりあえず見れば良いじゃん、と思うのだが、固定料金は固定料金で、今度は、クリックして再生して、やっぱりつまらないねと判断を下すまでの、クリックや時間のコストを天秤として、やっぱりコンテンツを吟味している自分がいるのだ。 もちろん見放題なのだから失敗しても問題ないのだが、やっぱり吟味してしまい、結局見るのは、「名前の知ってるコンテンツ」だったりする。(しかも、散々洋画タイトルを眺めて、最後は「極」だったり。哀川翔と竹内力見たいよ) その一方で「放送」というのは非常に強力で、多分、Huluにあっても絶対クリックしないようなハリウッドの洋画も、テレビで流

  • 誰も君のことなんか見てない。 - CNTR - Community Magazine

    夏の尻尾が見えてきた。夜風が涼しく気持ちのよい睡眠が過ごせるこの季節。 ふと、この言葉を思い出す。 「誰も君のことなんか見ていない。」 これは僕が今の自分たる原点でもある気付きだ。今日は学生の皆へ届けるブログにしようと思う。 僕は札幌の隅っこのど田舎で高校を卒業し、大学で京都に移り住んだ。 4年間通った大学は、入った時は賢くても卒業したら馬鹿になってる、なんて影で言われるような学部で。 物凄い数の入学生がいることでも有名な大学だ。ちなみに僕は賢くもないので卒業したら、どうなってしまうのか不安でしょうがなかった。そんな19歳。 隣に並ぶ同学年の学生だけでも下手すると1000人以上いたと思う。 色々な地方から出てきて訛りもバラバラでラーメンへのこだわりは地方ごとに違って、日文化をごった煮にしたようなカオスな学部だった。たぶん、僕がいた学部だけじゃないけれど。 皆、色々なサークルへ入るのを横

    誰も君のことなんか見てない。 - CNTR - Community Magazine
    rikuo
    rikuo 2012/09/19
    私も10代のころ、先天性の障害で耳の形が変なために人前で緊張してしまうことを悩んでいたら友人から似たようなアドバイスをもらって、随分気が楽になったな。
  • 人生という名のインターネットはむずかしい

    インターネットむずかしい。最近ほんとうにそう思ってます。インターネットはどんどんむずかしくなっている。 私は技術に関しては楽観主義者で、インターネットがより良い未来をもたらしてくれると思っていたし、今もそう思ってネット関連企業で働いている。でも実際、インターネットがどんどん大きな存在になって、カリカリした技術的なところと、ウェットな社会的なところと、なんとも形容しがたい政治的なところがグツグツと煮込まれていく様を見ると、インターネットむずかしいと思う。 ウェブ2.0というトレンドが生まれて、個人が情報を発信して、個人が能動的に情報を取捨選択するようになった。これはもうみんなナチュラルに受け止めているが、当にすごいことだ。たとえその結果が誰も望まぬ炎上や、心ないデマの氾濫だったとしても。個人が個人として声をあげられる。すごい。 ただそうやって、色々な人の生活や行動様式が見えるようになって、

    人生という名のインターネットはむずかしい
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    オープンソースの要であるGPLは、コードという知的財産を独占させないためのものであるとカネゴンひとまず理解しているが、憎まれっ子世に憚る、あの手この手で基的には数式と変わらない(数式には基的に特許は認められない)ソフトウェアを独占(というより「隠す」という方が正しい)しようとする動きは止みそうにない。純粋に「誰のものでもない」ものにしようとすると(GPLがそれを目指しているわけではないが)、そういう誰かのものにされてしまう可能性があるがために、仮にでも「誰かのもの」にしておく必要があるということだろう。 江戸時代には、面白い数学の問題を考えたりそれを解いたりしたら、絵馬に描いて神社に納めるという美しい習慣があった。果してGPLはオープンソース神社に絵馬を奉納する行為に相当するや否や。「誰のものでもなけりゃ、とりあえず神様のもんということにしとくべ」という考え方は、どうもキリスト教圏内で

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    rikuo
    rikuo 2011/10/21
    『GPLに「奉納」という概念を持ち込み、オープンソース神社を建立しようではないか。』
  • 千石撫子、24時間テレビ2010を語る。

    化物語のなでこなりきりなのか、ただのプライベートアカなのかよくわからない人が、 注目のトゥギャりに触発されて、 自分の考えを語るよ。 主に、「ハンデを持つ人への扱い」と、「ハンデを持つものの心構え」 について語ってるかな? 続きを読む

    千石撫子、24時間テレビ2010を語る。
  • 日本の参考書には図表が多すぎではないか

    私は、ここ五年ぐらい、日語で書かれたプログラミングの参考書を読んでいない。というのも、日語で書かれた参考書の質が非常に悪いため、もとより読む気にならないのだ。 ところで、今ふと翻訳ではない日語の参考書を眺めてみたところ、いずれも図や表がやたらと多いということに気がついた。どう考えても多すぎである。の半分以上は図表で占められているのではないかと思うぐらいだ。何故こんなに多いのか。 私は、図表が嫌いである。思うに、図表というのは、物事を視野の範囲に収まるぐらいに見せかけるだけであり、実際に物事を理解できるわけではない。物事を明確に説明するには、文章による記述が必要である。 もちろん、機械の操作方法の説明で、ある場所に位置するボタンを押すという説明の場合には、機械の絵や写真があれば分かりやすいとは思う。しかし、プログラミング言語の場合、「機械の絵や写真」に該当するものは、ソースコードであ