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webと認知に関するrikuoのブックマーク (20)

  • 「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

    前回、自分はカバンなどまったく興味ないと思っていたのに、気が付いたらその話ばかりしているのを指摘されて、結果カバンのプロデュースをいくつもやることになったといういしたにまさきさんの話を紹介しましたが、これを聞いてワタシは、『ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』においてレベッカ・ブラッドが使っていた「対象を絞った思いがけない発見(targeted serendipity)」という表現を思い出していました。 レベッカ・ブラッドは、優れたブログはその読者が気付いていない、けれども提示されてみるとこれこそ読みたいものだというものを読者に紹介するという意味でこの言葉を使っています。しかし、いしたにさんの例を出すまでもなく、ブログにはその作者であるブロガー自身にも、自分は実はこんな分野にも興味を持っていたのだという自己認識、自己発見をもたらす側面もあります。 そうし

  • (いわゆる)パララックス演出手法とそのバリエーションについて | nodot

    (いわゆる)パララックス手法が大流行である。理由の一つにはある種の快感の存在があると思われる。ウェブページ閲覧の際の最も主要な操作である縦方向のページスクロール。この操作に連動した動き、想定外ではあるものの、スクロールとの相関によりあくまで自分が操作している感覚が得られ、こちらの渡邉恵太氏の記事にもあるような自己帰属感を得られる。これが快感の正体ではないかと考える。 (快感なんかなくね? という意見があったので追記) 簡単に言えば、来マウスを触ってカーソルが動くだけでも面白くて身体拡張感覚由来の快感があったのである。しかし慣れることによって、ホイールを回して画面がスクロールすることはもはや当たり前すぎて身体拡張感覚など得られなくなっている。しかしデフォルトの挙動以外に新たなインタラクションを導入することでこれを再び感じられる。つまり言いたいことは「インタラクションは気持ちいい」ということ

  • ブログが失ったコミュニケーション、そして残ったコミュニケーション - カイ士伝

    たつをさんのブログで面白い言及があったのですかさずエントリー。 昔のブログ論壇でよく語られていた「ブログの質はコミュニケーションだ」という話はさっぱり消えてしまったね。結局、ブログの質は「残る」ということで「コミュニケーション」は無関係。SNSの登場でコミュニケーションはブログの質ではないと分かったわけで。 [を] 「ブログ論的なテーマによる最後のお祭り」なのかどうか分かりませんがブロガーサミットに行ってきましたよ http://chalow.net/2013-08-24-2.html 半分同意というか、SNSの登場でブログコミュニケーションが大きく変わったなあと思うところはあります。というかブログ黎明期ってそもそもTwitterもなければFacebookもさほど国内ではやっていなくて、来は質ではなかったコミュニケーションをブログが代わりに担っていたところはあるかなあと。ブログの

  • LINEに乗り切れていないぼくの戯れ言 - ユルス

    「どうにもLINEに乗り切れなくて」と友人に言ったら「乗り切れないんだったらインターネットやめろ」と言われたボクです。そんなことでネット全部をやめなきゃいけないの!? LINEってたしかにものすごく手軽で、一度使うとメールでのやりとりが重たく感じちゃいますね。とくに言葉を選らずにイラスト(スタンプ)だけでやりとりできるっていうのは感覚的でとにかく手軽。「文章に頼らずよりプリミティブな意思疎通をはかる」というのは新しいような、逆にある意味で退化してるような、不思議な感覚ですね。 特筆すべきは3人以上でのトーク。あのチャット状態の臨場感は同報送信でのメールじゃ味わえないですよね。発言してもしなくても楽しいあの感覚は久しぶり。途中からスタンプのみの応酬。「いかに全く無関係なスタンプを出すか」って判断基準だけで競ったりね。 スタンプって面白くてまさにLINEの醍醐味なわけなんですけど、だいたい有料

    LINEに乗り切れていないぼくの戯れ言 - ユルス
    rikuo
    rikuo 2013/08/24
    Twitterも現在は補完するTwilogや過去ログの検索ができるようになったけれど、以前は昔の投稿を見る手段・導線が公式では用意されてなくて、戸惑ったな。利用する側の意識としても普通は必要としてないのかな
  • 知名度ゼロからの「ネット影響力」獲得への道:Geekなぺーじ

    リアル世界で知名度があまりない人が、「宣伝に使えるのはネットしかないかも。だからネットで影響力が欲しい」みたいな方向で色々と考えていることがあります。 たとえば、知名度がない企業が自社製品を宣伝する手段としてネットに着目している場合や、知名度がない個人がネットを活用してファンを増やしたいといった事例です。 個人であれば、マイナースポーツの選手であったり、作家を目指す人であったり、音楽家を目指す人であったり、アーティストであったり、フリーランスであったり、その他個人で活動を行うような場合が考えられます。 そういった方々が、「Twitterのフォロワーってどうやったら増やせるの?」とか、「Facebookページのいいねを増やしたい」とか、「ネットでファンを増やしたい」とか、「ブログの読者を増やしたい」みたいな質問をすることがあります。 ニュアンスとしては、ネットを使う以外に自分で宣伝を行う方法

  • 【森山和道の「ヒトと機械の境界面」】 ネット時代の社会的リアリティ形成や、錯覚を数学で理解する試み ~国立情報学研究所オープンハウス2011

    rikuo
    rikuo 2013/01/17
    『ネット環境にいると、自分がもともと正しいと思っている情報を選ぶ傾向が強まる。』あと錯視は映像で見ないとそれっぽくならない、と思っていたけれど確かに建物サイズだと効果的だなぁ。
  • 電子書籍はいかにして物語を語るか?『オナホ男』が語る電子書籍の方法論 - ライフ・イズ・カルアミルク

    『オナホ男(作:@johnetsu)』無料配信、はじまりました。 http://www.netpoyo.jp/event/20120504_2 ということで『電子書籍はいかにして物語を語るか?』という思い上がったテーマを当に語るのかどうかということはさておき、電子書籍における物語=フィクションの方法論について語ってみようと思います。『オナホ男』執筆時の体験を交えつつ、電子書籍の未来、そして俺の未来について語ります。 オナホ男、生まれる。 そもそもこの企画「電子書籍で雑誌出すからネットをテーマにした物語を書いてみろ」とねとぽよの編集長からムチャ振りされたのがきっかけで、俺は第一感で「あっ、ムチャだ」と思いました。「やりたくねえ」と思いました。 まあ俺が人生で1度も小説の執筆経験がないのが9割程度を占める理由なんですけど、それと同じくらいかそれ以上に、電子書籍、というかパソコンやiPhone

    電子書籍はいかにして物語を語るか?『オナホ男』が語る電子書籍の方法論 - ライフ・イズ・カルアミルク
  • 有料コンテンツの閲覧導線に関する駄文

    最近はHuluやiTunesストアで映画を見られるわけだが、特にHuluは固定料金で見放題にもかかわらず、コンテンツ一覧ページをいったり来たりして、じっくり吟味してしまう自分がいる。 もしかしたらこんなことに躊躇してるのは僕だけかもしれない。 とりあえず見れば良いじゃん、と思うのだが、固定料金は固定料金で、今度は、クリックして再生して、やっぱりつまらないねと判断を下すまでの、クリックや時間のコストを天秤として、やっぱりコンテンツを吟味している自分がいるのだ。 もちろん見放題なのだから失敗しても問題ないのだが、やっぱり吟味してしまい、結局見るのは、「名前の知ってるコンテンツ」だったりする。(しかも、散々洋画タイトルを眺めて、最後は「極」だったり。哀川翔と竹内力見たいよ) その一方で「放送」というのは非常に強力で、多分、Huluにあっても絶対クリックしないようなハリウッドの洋画も、テレビで流

  • ネット依存について思うこと | blog.yuco.net

    昨日、NHKのクローズアップ現代で「“つながり”から抜け出せない ~広がるネットコミュニケーション依存~」というネット依存に関する番組が放送された。ゲストは津田大介氏。内容についてはこのtogetterにまとまっている。 私も数年前からネット依存については思うところがあり、無駄なネット利用は減らそうとしてきた。関連のtweetをしたら加野瀬さんがまとめてくれた。これに対する反応も多く、ネットユーザーの関心が大きいテーマなのだなと思った。 一方で、今このエントリのために文章を猛然と書いているように、私の「書きたい欲」をネットは受け止め、発表場所を与えてくれた。いくらかの読者を得ることもできた。そうしてネットに表現したから生まれた人間関係もあるし、調べ物や買い物など便利に使っている部分もある。そういうネットの良さを享受しつつ、ネットにかける無駄な時間やエネルギーは減らしたいと思っているのだけど

  • 人生という名のインターネットはむずかしい

    インターネットむずかしい。最近ほんとうにそう思ってます。インターネットはどんどんむずかしくなっている。 私は技術に関しては楽観主義者で、インターネットがより良い未来をもたらしてくれると思っていたし、今もそう思ってネット関連企業で働いている。でも実際、インターネットがどんどん大きな存在になって、カリカリした技術的なところと、ウェットな社会的なところと、なんとも形容しがたい政治的なところがグツグツと煮込まれていく様を見ると、インターネットむずかしいと思う。 ウェブ2.0というトレンドが生まれて、個人が情報を発信して、個人が能動的に情報を取捨選択するようになった。これはもうみんなナチュラルに受け止めているが、当にすごいことだ。たとえその結果が誰も望まぬ炎上や、心ないデマの氾濫だったとしても。個人が個人として声をあげられる。すごい。 ただそうやって、色々な人の生活や行動様式が見えるようになって、

    人生という名のインターネットはむずかしい
  • 「透明性」って本当に副作用が無いの?:Geekなぺーじ

    先月、ローレンス・レッシグ教授による「The New Republic: Against Transparency」という記事が公開されていました。 多くの人が単純に「透明性は良いことだ」と考えていますが、果たしてそれは正しいのだろうかという内容です。 政府による情報公開が、逆に政策を不安定化させるのではないかという考察が11ページのエッセーになっています。 そこでは、レッシグ教授が政府による過度の情報公開を「Naked Transparency」と呼び、それがどのような害を及ぼすかに関する問題提起を行っていました (今回、この「Naked Transparency」という単語は「素っ裸の透明性」と表現しました)。 Targeted Transparency レッシグ教授のエッセーでは、「素っ裸の透明性」がどのように悪用されるかを具体的に説明する前に「Targeted Trasnparen

  • 金額の報道は効果的に怒りを煽る:Geekなぺーじ

    「首相官邸ホームページ」のリニューアルが話題です。 発端は「首相官邸ホームページ、4500万円かけリニューアル - MSN産経ニュース」だと思いますが、それに対して非常に多くの怒りがネット上で表現されています。 一方で、以下のような反論もあります。 「所詮ホームページ」: KAITOKU 「官邸ホームページ」のdis記事に思うこと : おごちゃんの雑文 数としては怒りの表明が多数派であるように思える一方で、今回はネット上で上記記事と同じような考え方が結構あるようにも見えます。 私はGoogleで「site:kantei.go.jp」や「site:www.kantei.go.jp」というキーワードで検索してヒット件数が10万件を越えていたので、「凄いページ数だなぁ」と思いつつ、どこまでが4500万円の範囲内なのかわかりませんでした。 探せば入札のための公開資料があるのかもしれませんが、今のと

  • ERROR 404 - Not Found!

    The following error occurred: The requested URL was not found on this server. Please check the URL or contact the webmaster.

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • Webコミュニケーションモデルをまとめてみる - voidy21の日記

    あくまで自分の頭を整理する感じでいきたい 新しい形のWebコミュニケーションシステムを模索してみたくなったので、既存のモデルを確認しておこうという自己満足型エントリ Webは自己満足で成り立ってるから細かいことは気にしない! でも、偏見とかありそうなので、ツッコミとか大歓迎です いくつかのWebコミュニケーションモデルから特徴を見つけたい なるべく被っているモデルは除外していきたいので、俺の好きなサービスとか無いぞ!みたいなことになるかもしれません。ごめんなさい! 思ったことをホイホイ書いていくスタンスでいきたい E-mail :-) 返信・転送できる 基的にはプライベート 添付ファイルとしてファイル送信可 個人サイトのページのメールフォームから送れたりする メーリングリスト 一応パブリック(でもなかったりするけど) 添付ファイルでファイル送信可・・・だけどネチケットがそれを許すのか?そ

    Webコミュニケーションモデルをまとめてみる - voidy21の日記
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    rikuo
    rikuo 2009/08/22
    「学校」「家庭」と親戚・地域社会くらいしかないので、認識し難いのだろうか。全世界の誰でも見れる状態に公開してても、実際アクセスするのはほとんど友人知人しかないので、勘違いしやすいのかもしれない。
  • ようするに横長ディスプレイが悪いのさ @ ArtSaltのサイドストーリー

    うちのブログはリキッドレイアウト。ただし2カラム。これは完全にオイラの好み。ほいでもって「小さいウィンドウのことも忘れないで下さい - ま゚゚」と、そこに貼られているリンク、その周辺、はてなの人たちの反応などをざっと読んだ。なんかこれと似たような話題は半年か1年ごとに聞いてるような気がするなぁ。 この問題はパソコンのディスプレイが横長であることに起因するとオイラは思ってる。横長はテレビのブラウン管を模倣したことに由来するらしいんだけど、縦長ディスプレイが主流だったら2カラムとか3カラムなんていう発想は出にくかっただろうし、こういう面倒くさい事態にはならなかったはず。 来横書きの文章ってのは横幅を縦幅よりも狭めて1行あたりの文字数を適度に減らして表示したほうが読みやすいに決まってる。A4サイズの紙の文書なんかがそうでしょ? あれを90度回転させて横幅を広くしてしまったら読みにくいことこの上

  • rumblefish - 電車(略) 2

    というわけで、経緯をしらないひとはとりあえず「電車内で貧乏くさく見える行動 」の文とコメントの後半をざっと読んでみよう。 簡単に言うと、多くの人が当てはまる行動を挙げて貧乏くさいと書いたら、ニュースサイトさんが紹介してくださって、プチ炎上した、ということです。 あの記事を書くに当たって、多くの人が当てはまる行動で貧乏くさいと言うわけだから、当然カチンとくる人も少なからず居るだろう、その一部がネガコメを書くに至るだろう、までは思っていました。まああの、いつも読みに来て下さる方でカチンときちゃった方はごめんなさいw ただし、ニュースサイトなんかで不特定多数に紹介するにはつまらなすぎるように、書いたんですよ。ネガコメ誘ってるとはいえ、あんま多いのは歓迎したくないしね。 ところが、意外にも素晴らしいとか面白いとか思ってくださったのか、人を不愉快にするのが好きなのか、うっかり自分がカチンと来てしま

    rikuo
    rikuo 2008/12/03
    あとのエントリーでも言及あるけど割れ窓みたいなもので、「ネガティブコメントがあるからオレも」みたいなパターンかな。そうするとコメント承認制はそれなりに意味があるかも。| 2ch、SBMに晒されると効果ないけど
  • 寂しさ再生産問題 - 失踪外人ルー&シー

    ネットや携帯によって、コミュニケーションへの飢餓感や繋がりたいという欲求が加速しているというような話を聞くが、これって飢えや渇きに例えるより「小腹がすいた」感覚に例えるのが近いかなということを思った。テーブルの上にあるからついついべてしまうみたいな。そして間に慣れると冷蔵庫が空の状態が我慢ならなくなるという。

    寂しさ再生産問題 - 失踪外人ルー&シー
  • 「日記を書くこと」と、「誤用」について - &

    ・25日の夜に卒業以来まったく会ってなかった高校の友達と再会して、実に「9年ぶり!」っていうフレーズを、自分で言いながら驚いてしまった。9年か〜。あるいはまた、最初のエントリーで書いた「地下鉄サリン事件から12年」ていうのもなかなかすごい感覚なんだけど、いずれにせよ最近、雑誌の90年代特集(あるいはニューレイヴが来てるよとかなんとか?)とかを見たり聞いたりして感じるのは、当たり前なんだけど、そういう時代(オウムとTKとエヴァの?)から思っている以上に長い時間が流れて、気づけば今は2000年代も後半戦だということ。 ・そういう中ではっとあらためて考えたのは、この10年、あるいは90年代〜00年代における変化を「日記を書く」ということから理解することができないかということ。例えば10年前ぼくは10代で、その年頃特有の痛々しい日記を書いていたけど、それは紙とペンの、もちろんオフラインの日記だった

    「日記を書くこと」と、「誤用」について - &
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