「山口仲美『日本語の歴史』にはみられない研究の樣相」補遺 ただのおふざけを除いた、実質の最終行で、歌謠が所謂万葉假名による表記であるのを捕へて、これだけは漢文にし得なかつたといふ人もゐるが、太安万侶の創作にかかる文體にだまされたのだらうと私は考へてゐる。と書いたが、これは……いまある古事記にそくして見ると、伝承や古語を書きとどめたというのはあたらない。……訓字の意味によってことがらを述べたところで、作り出している素朴さである。また、そこにあることばも、……文字世界のなかのことば(訓読のことば)なのであるとあるのによる。もちろん、この立場には疑問もすくなくないのであるが、いづれにしても、文字を借りるのにとどまらず、言葉をも借りて書いてゐるのを無視してゐることへの反論にはしうるだらう。この段を書くのに西條勉『古事記の文字法』(笠間書院、1998.6)第一章を參看したが、この問題を考へる一助とな
犬飼・愛知県立大教授が研究書 「古事記」や「日本書紀」「万葉集」などをもとに進められてきた古代日本語の研究が、木簡などの出土資料の活用により、近年新たな展開を見せている。とくに、記紀や万葉以前の7世紀に、日本語がどのように漢字で表記されるようになったかが、明らかにされてきた。最新の研究成果をまとめて、「木簡による日本語書記史」(笠間書院)をこのほど刊行した犬飼隆・愛知県立大教授に聞いた。(片岡正人) 日本で書かれたとみられる古代の文字資料としては、2世紀以降の墨書・線刻土器や5世紀の稲荷山鉄剣銘などが知られる。しかし、前者は文ではない。後者も日本語ではなく漢文、つまり中国語の文法や用字にのっとって表記されたものだ。これに対し、木簡(7世紀に出現)は、日本語風に崩れた変体漢文で書き表されており、日本語表記の初期の姿を伝えるものとして位置づけられる。 従来の記紀や万葉集をもとにした研究では、は
山口仲美『日本語の歴史』にはみられない研究の樣相 啓蒙書を批判するといふのは、わかりやすく傳へやうとする筆者の努力を無視して、内容の正誤だけを論じる高踏的なものである、といふ意見もわからないではないものの、一つの書物として扱つて何が惡いのかともおもふのであり、それに、私は著者の認識について論じたいのである。 言葉の問題は、文部官僚が考え出した案を上から押し付けるだけでは解決しない。国民一人一人が考え実行してはじめて解決できるといふのに、まづ疑問を呈したいのだが、この、「國語元年」或は「日本語元年」といふ「事態」は、まさに押しつけられて發生した事態であつた[1]。さうでなければ、ことさら人爲的に他人の言語に政策的に干渉する必要もなく、だからこそこれまでそんなことはなかつたのであつた。さうしたときに總意[2]としての言語を假想して作業することは可能だらうか。本書V章にもふれられてゐる通り、どの
「改定現代仮名遣い(案)」に対する日本点字委員会からの要望の件 「改定現代仮名遣い(案)」に対する日本点字委員会からの要望の主旨 助詞の「は」と「へ」の表記の許容の存続 オ列長音の許容の存続 目次に戻る 以下の文書は、「昭和60年4月25日」付けで「日本点字委員会会長 本間 一夫」氏から「国語審議会会長 有光次郎 殿」に宛てて提出された意見書の抜粋である。 「改定現代仮名遣い(案)」に対する日本点字委員会からの要望の件 昭和57年3月以降、3年間の審議を経て、このたび、「改定現代仮名遣い(案)」をまとめられましたことにつきまして敬意を表します。私ども日本点字委員会は、昭和57年10月に意見書を提出いたしましたが、その立場でこの「改定現代仮名遣い(案)」を検討させていただきました。 その結果、「仮名によって語を表記するとのきまり」という仮名遣いについての認識及び「改定現代仮名遣い(案)」の「
茲では江戸時代から終戦を挟んで現在迄の字音仮名遣を、変化のあつたものを中心に見て行きたいと思ひます。資料としては、江戸時代の代表として、文雄(もんのう)の『磨光韻鏡』、宣長大人の『字音假字用格』、明治時代の代表として『言海』『増補 字源』、戦前の代表として「現代かなづかい」、現在の代表として『岩波国語辞典』『新字源』『新旧かなづかい便覧』を夫々使ふ事にします。 茲に出した漢字の一覧は飽く迄も一例に過ぎません。文字コードで表現できる漢字にのみ限定してゐますが、幾つか漏れもあるかと思ひます。 合拗音に関する字音 き(くゐ) 軌 帰 歸 皈 貴 匱 櫃 簣 饋 鬼 愧 餽 揮 輝 暉 危 詭 跪 毀 燬 卉 虫 戯 戲 虧 麾 徽 馗 逵 喟 ぎ(ぐゐ) 偽 僞 匱 櫃 簣 饋 魏 巍 きやう(くゐやう) 兄 况 況 狂 匡 筐 筺 きよく(くゐよく) 洫 きん(くゐん) 菌 箘 麕 窘 箟 け
凡例 掲載する語は、主に漢字、仮名、仮名遣、文法、国語学者、言語学者、表音主義、文字コード等の関聯とする。 記事の追加や、リンクの追加は、適宜実施する。 ( )内には振り仮名を本来の仮名遣で示す。 人名の振り仮名は、( )内で姓と名を半角スペースで分離する。 [ ]内の数字は、生年と歿年を表す。 あ行 石塚竜麿(いしづか たつまろ)[1764 - 1823] 本居宣長の門下の国学者。『假字遣奧山路』で、上代特殊仮名遣の存在を初めて明かにした。 異体字(いたいじ) 正字以外の「俗字」「略字」「同字」「古字」「本字」「譌字」等を総称してかう呼ぶ。反対語は正字。 所謂康煕字典体(いはゆるかうきじてんたい) 『康煕字典』の見出し文字に採用された字体を模範にして定義された字体の総称。正字体とほぼ同義。 いろは歌(いろはうた) 四十七種類の仮名を一回づつ使用して歌ひ上げた詩を云ふ。大乗仏教の思想が詠み
1999年刊行分からの書籍を掲載しています。新刊書目は発行年別で,新刊紹介は雑誌『日本語の研究』(『国語学』)の掲載号別でまとめています。 なお,論文集等の新刊紹介については,論文リストを添えるなど、雑誌掲載分と一部異なる点があります。
87 1881 14 (stem) (39.7 %) 1 (stem) 1 2 3 4 2 2 2 3 3 - 2 1 3 1 2 (stem) Virtue Philosophy - - Philosopher - - Speculative philosophy - - - - Perfect induction 1 2 1 2 (word) 1 (speculative) - (compound word) pre post (philosopher) - (derivative) (suffix) (post) 88 (Free form) 1) (Free) 2) (Free-pre) 3) (Free-post) 4) (Free-pre-post) (Bound form) 5) (Bound-pre) 6) (Bound-post) 7) (Bound-pre-post)
句読点のつけかた 「、」が読点。「。」が句点。 句読点は、文章の息つぎのようなものです。読点がないと息が苦しくなるし、ありすぎると息があがってしまいます。 × 読点がないと、息が、苦しくなるし、ありすぎると、息が、あがって、しまいます。 また読点をつける場所によって、文の意味が違ってしまいます。 彼は、裸のまま光っている電球を見つめていた。 彼は裸のまま、光っている電球を見つめていた。 書いた後に声を出して読んでみると、読点の間違いを見つけやすいでしょう。 戻る 書きだしは1文字あける 文の書き出しや改行したときは、1文字あけましょう。 会話文のカギカッコは、昔の小説などは1文字あけていましたが、今はあけずに詰めて書くことも多いようです。 戻る 改行のしかた 改行のない文章は、文字の塊みたいで威圧感を与え、読者は読もうという気持ちが萎えてしまいます。適度に改行す
ポーランド語人姓の「〜スキ/〜スキー」「〜ツキ/〜ツキー」問題を調べていて、日本語の長音符「ー」が気になって来た。世界の言語で、私が多少とも 囓った範囲では、専用独立の文字としての長音記号を持っているものは珍しいと思う。長音大好き言語としては、ドイツ語が挙げ られる。ドイツ語の場合、長音は wie、Liebe のように二重母音で表すか、あるいは ohne、wahr のように、母音の後に h をつけて表す。h はそれ自体、文字として発音される場合もある(例:hoffen)ので、長音専用の記号とは言えない。また、チェコ語のように、アクセント記号が長音記号 として 使われている場合もあるが、あくまで補助的な記号である。それ以外、たとえば英語では h を長母音の印として限定的に使う以外は、原則長音か短音かの区別は表記からはわからない。韓国語でも、姓の「李」さんは、私の体験では通常長母音で あるが、
中国の中に同縮尺のヨーロッパ(旧ソ連諸国を除く)を入れた。 それぞれ大陸部だけだが、島嶼部を加えても大勢に影響はない。 日本の小学校では、教育漢字といって、6年間に約1000字の漢字を教えることになっている。漢字の本場である中国では約3600字だという。中国の子供はたいへんだと思われそうだが、そうでもない。中国では、「楽」「易」など、ごく少数の例外を除いて、漢字の読み方は一字一種と決まっており、しかもその読み方が、彼らの話し言葉と同じだからである。 これに対して、日本語では、同じ漢字を幾通りにも読む。「生」の字を例にとれば、「せい」「しょう」「いきる」「うむ」「はえる」「なま」「き」があり、「相生(あいおい←おう)」や「桐生(きりゅう)」などという固有名詞まで含めれば大変な数になる。このうち、訓読みが多い理由はすぐ納得できる。訓読みとは、漢字の意味にやまとことばをあてはめたものであり、い
京都の町の随所にある辻地蔵。その周りに子供たちを集め、菓子などをふるまう地蔵盆という行事もある。ともに、新開地である横浜では見られない。 日本の漢字音には呉音と漢音がある。「正」という字を「ショウ」と読むと呉音となり、「セイ」と読むと漢音になる。ここでは両者の見分け方について考えてみたい。 呉音は一言で言って「抹香くさい」。つまり、仏教語という感じがするものが多い。「経文」「成就」「殺生」「勤行」などがその例である。しかし、仏教が日本語に与えた影響は深い。たとえば「人間」という言葉は仏教語である。仏教的な考えではあらゆる生き物(衆生)は死ぬと業に応じて6つのステージ(六道)に生まれ変わるが、そのうちの一つが「人間道」であり、他に「天上道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」がある。「チクショー、このガキ!」と罵倒するときには、知らず知らずのうちに二つも仏教語を用いていることになる。常
橋本進吉『國語學概論』 〈岩波講座日本文学を底本としています。〉 目次 第一章 國語學の概念 國語の研究と國語學 實際上の知識と國語學上の知識 國語學と言語學 國語學の性質 フィロロギーと國語學 國學と國語學 參考書 第二章 日本語の概念 國語即ち日本語 日本語と日本語以外の言語 日本語内の言語の相違 第三章 國語學の諸問題 問題の考察 一、國語の多樣性から 二、言語の構成から 三、言語の二面性から 一般言語學的研究 國語問題及び國語教育の問題 第四章 國語學の資料及び研究法 國語研究資料 言語事實の性質とその取扱法 現代の言語と過去の言語との相違 現代語を取扱ふ場合 辞書と文典 現代の種々の言語の比較 過去の言語を取扱ふ場合 歴史的研究法 比較研究法 一般的研究法 第五章 日本の方言 方言の概念 方言區劃 現代國語の方言區劃 琉球諸島の言語 國語の方言の沿革 參考書 第六章 日本の標準語
奈文研では 木簡字典 http://jiten.nabunken.go.jp/ を公開している。これまで出土した木簡から代表的な文字をカラー・白黒・赤外線写真および採字ノートから集字したもので、所謂「現物通し」の字典だ。木簡が読めないときに参照する。 たとえば簡易検索 http://jiten.nabunken.go.jp/easyoutput/index.php で 升 と入れると、47例の「升」字が出てくる。庸米を記した木簡などで、よく出てくる字である「升」にも、字様に豊かなバリエーションがあることが分かる。 木簡字典が有効なのは あまり木簡が出ない現場 だ。発掘現場で出てくるものは、発掘担当者が専門とする時代のものとは限らない。なおかつ、古代が専門で木簡の釈読に習熟しているヒトは少ない。これまでは、 木簡が出る→奈文研か歴博の専門家にお伺いを立てる という流れが多かったけれども、近年
the view from nowhere : 2006-07-10 (Mon)Article やなぎだ・せーじ(柳田征司);1993/6;室町時代語を通して見た日本語音韻史; ;武蔵野書院;35,922円(借覧);A5判;縦組;上製;24+1145頁;;ISBN4-8386-0138-7; シラビーム言語からモーラ言語への転換説について知りたいな、と思つたので。この転換で清濁も前置鼻音の有無から有声か無声かのちがひへと変つたと聞いたやうにも思つたのだけれど、清濁についてはほとんど書いてない。しかし、すごい巨冊だ。以下に構成を写しておく。 序章 日本語音韻史の構想 第一章 母音の連続 第一節 ア・ヤ・ワ三行の歴史 一、問題の所在 (一)定説のもつ二つの問題点 (二)先学の説 二、ア・ヤ・ワ三行の混同とはどのような音韻変化であったか (一)混同の時期と経過 (二)ア・ヤ・ワ三行の混同は子音(
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