岩波書店ホームページ連載 関川夏央『人間晩年図巻』第10回「1990年代に死んだ人たち⑩」(2015年2月掲載) 「金日成」より引用(強調は引用者。以下同じ)。 http://www.iwanami.co.jp/web_serials/sekikawa/DOCs/29.pdf <そんな北朝鮮の最後の切り札はやはり日本であった。一九九〇年、金丸信を訪朝させたのは、一九六五年の日韓基本条約で実現した、いわゆる「請求権資金」を北朝鮮も獲得するためであった。しかし、すでに日本での北朝鮮の信用と「人気」は低落していたところに、北朝鮮側が要求した「中間補償」、すなわち支払いの前倒しと「戦後補償」、すなわち北朝鮮建国以後の「慰謝料」に日本国民は強烈に反発した。その結果金丸は失脚、金日成のもくろみは水泡に帰した。北朝鮮が金日成、金正日二代にわたって実行した「日本人拉致テロ」が白日のもとにさらされる以前では