高知県立坂本龍馬記念館(高知市)は24日、坂本龍馬が脱藩前に西洋砲術家・徳弘(とくひろ)孝蔵(1807~81)に入門した際に署名して血判を押した門人名簿が、約30年ぶりに徳弘家ゆかりの個人宅で見つかったと発表した。 「学んだ技術を他言しない」などと誓約する内容で、龍馬の血判が残る唯一の文書とされる。同館は「西洋文明を貪欲に吸収しようという意気込みがうかがえる」とし、25日から8月末まで一般公開する。 文書は縦19センチ、長さ13・4メートルの巻物で、「高島流砲術入門誓書一巻」と書かれた木箱に納められている。西洋砲術を取り入れた「高島流砲術」を習得し、土佐藩の砲術指南となった徳弘のもとに、1842年(天保13年)から63年(文久3年)に入門した216人の署名と血判が年代順に並ぶ。