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思想の自由に関するvitamincbaのブックマーク (2)

  • 共存不可能な価値観にどう対処するのかという現代の大問題 - 国家鮟鱇

    ⇒朝日新聞社説 たばこ値上げ―喫煙者のためにもなる : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記 朝日新聞社説 たばこ値上げ―喫煙者のためにもなる : asahi.com(朝日新聞社):社説 私はこの発想、「喫煙者のためにもなる」はファシズムへの小さな一歩だと思う。 喫煙者は値上げを望んではいない、がその健康には役立つ。つまり、おまえの幸せは私(国家)が知っているという構図だ。ろくでもない。 誰のためになるかといえば「公」である。公が所定のルールでマイノリティーを抑圧しているだけのことだ。ルールの背後にあるのは、国家の保障の限界や公として他を守るため、とはいえタバコを密室で一人吸う分にはどうということでもない。 一方にタバコを吸いたい人がいる。もう一方にタバコを毛嫌いする人がいる。 さらには近くで吸われるだけでなく、吸っている人が存在すること自体が気にわない人

    共存不可能な価値観にどう対処するのかという現代の大問題 - 国家鮟鱇
  • 相容れない意見を「間違っている」とすることについて - 国家鮟鱇

    ネットの話題は目まぐるしい。この話題はもう鎮静化しちゃたんですかね。ここが肝心なことだと思うのだけれど、田母神氏の更迭理由は「政府見解に反する」からですよね。「間違っている」からじゃありませんよね。 そもそも「間違っている」という判断を誰が下すことができるのだろうか?個人的見解であればそれは可能だし、実際多くの人が間違いだと言っているけれど。 俺は、思想・信条の自由だとか、言論の自由をとかを肯定しておきながら、「間違っている」からという理由で安易に意見を排除するような行為は、とても危険だと思っているんですね。それならば、相容れない意見を排除する行為の方がはるかにましであると。 なぜなら、後者は相容れない意見を意見であると認めた上で、相容れないという理由で排除しようとしているのに対し、前者はその意見をそもそも意見であると認めていないから。「間違っている」とはそういうことでしょう。 そのことに

    相容れない意見を「間違っている」とすることについて - 国家鮟鱇
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