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ブックマーク / kyouki.hatenablog.com (1)

  • 僕らが死んであとに残すべきものは「モノガタリ」なのか - ICHIROYAのブログ

    いつかは死んでいく僕らは何を残すべきなんだろう。 そもそも、「何かを残したい」という思いは、贅沢なんだろうか。 親しい人たちの中に思い出として生き、そのひとたちが死ぬときに、僕らの生きた痕跡も、この世からなくなる。 そして、僕らの存在は、文字通り消える。 何をやっても、どれだけ苦しんでも、どれほど楽しくても。 僕は商売人だ。 商売人の残すべきは、カネ、事業、人、のれん、お客様であろう。 かと言って、カネは言うまでもなく、事業を残したところで、変化の早い現代においては、事業の存続にどれほどの期待がもてるか怪しくなった。 最高の状態で事業を残すことがベストではあるけれど、それをしたとしても、やがて移ろいすべてが失われていくことは必定だ。 思想家なら、芸術家なら、研究者なら、優れた仕事は、長い期間生きる。 では、優れたクリエイターでない僕らは、何を残すべきなんだろう? 何ものでもない僕らは、いっ

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