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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (43)

  • グリーン車の効能 - レジデント初期研修用資料

    公平であることは大切だけれど、サービスを販売する側と受ける側とでは、「公平」の感覚は大きく異なってくる。 恐らくは「えこひいきせよ。その代わり屈するのではなく恩に着せろ」という立ち位置が、サービス業や、人間関係を円滑に回していく上での落とし所になってくる。横車を押す誰かに対して、グリーン車に相当する選択肢を用意することで、不快の機会を遠ざけることができるのだと思う。 岩手県議のこと 外来での待ち時間に憤った岩手県議のblog が閉鎖された。過去ログを掘れば掘るほど燃料が出てくる日記だったから、鎮火の手段としてはこれで正しいのだろうけれど、まだまだ燃えそうな気配は続く。 待ち時間が長いのは事実なのだろうけれど、自分たち病院の側から見ると、日記に書かれた県議の振る舞いは、炎上に見あった理不尽さに思える。逆に言うとこの人は、県議員という偉い立場の人なのに、どうして病院側に「俺を優遇せよ」と命じな

  • 橋下知事のこと - レジデント初期研修用資料

    blog の転載。橋下知事がまだ大阪市長選を戦っていた頃の記事。 橋下市長のは役に立つ 研修医の昔から、人と話すのが苦手で、交渉ごとがとにかく下手で、何かいい方法はないものなのか、弁護士の人たちや企業のクレーム担当の人が書いた交渉のをいろいろ読んだ。 交渉のマニュアルというものは、ごく大ざっぱに「誠意を持って語りかければ相手はきっと分かってくれる。駄目なら殴らせて警察を呼べ」という文脈で書かれていたが多かった。誠意をどうやって表現すればいいのか、自分にはちっとも分からなかったから、こういうは役に立たなくて、ずいぶん困った記憶がある。 いろんなに手を出す中で、橋下知事が平成15年に書いた交渉の、「最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術―かけひきで絶対負けない実戦テクニック」というは、ずいぶん実用的に書かれていて感心した。自分が交渉のをまとめていく中で、橋下知事の「勝つ」

  • JASRAC の謝罪文について - レジデント初期研修用資料

    音楽著作権協会(JASRAC)が最近出した謝罪の告知 は、組織へのダメージを最少にするという意味において、上手な謝罪のお手に思えた。 以下引用。 雅楽演奏者へのお問い合わせについて. 昨日よりJASRACが雅楽演奏者の方へ著作物使用料の支払いを求めたなど、SNS等での書き込みや報道などがなされていることについて、ご説明いたします。. JASRACでは、全国各地で行われる演奏会などの催物において、JASRACの管理楽曲(以下「管理楽曲」という。)を利用される場合には、催物の主催者の方から手続きのお申込みをいただいた上で、 著作物使用料のお支払いをいただいております。管理楽曲の利用を確認せずに、著作物使用料のお支払いを求めることはございません。. 管理楽曲の利用が定かでない演奏会等の場合、主催者の方に電話や書面等でご連絡をし、管理楽曲のご利用の有無を確認させていただくことがあり、著作権消

  • 歩き出す技術について - レジデント初期研修用資料

    広告: 「内科診療ヒントブック」の改訂版が11月下旬に発売されることになりました。病棟業務に携わる方々に役に立つものになったのではないかと思います。手にとっていただければ幸いです。以下文。 大きな問題と対峙した新人は、頭のいい抜け道を探そうと試みる。同じ状況でベテランは、ただまっすぐ歩き出す。 どこか遠くに行こうと思ったら、空を飛ぶ修行をはじめるよりも、歩いたほうがたいてい速い。あたりまえのことなのだけれど、歩いていける距離を飛ぶために、歩かずに修行をはじめる人はけっこう多い。 分割すると遠くにいける 単行の文字数はだいたい10万字で、大抵の人にはたぶん、この目標は遠くに思える。ところがTwitter の界隈を見渡せば、140文字のつぶやきを1000回以上重ねている人はそれほど珍しくない。 盛り上がったおしゃべりを30分間行なって、それをテキストデータにベタ打ちすると、たしか新書1冊ぐ

  • 事業計画としての書籍出版 - レジデント初期研修用資料

    広告 : 「内科診療ヒントブック 改訂版」というが11月23日頃に発売されることになりました。2年間改定を重ね、病棟業務に携わる医療従事者の人たちに役に立つになったのではないかと思います。機会がありましたらぜひ手にとっていただければ幸いです。 以下文。 小説みたいな分野はまたぜんぜん違うのだろうけれど、実用方面の知識をまとめたを出版するということは、「私の知識や体験をまとめ、こうした人達に販売することで、だいたい600万円程度の収益が見込めます」という計画で、出版社に出資を依頼する試みであるのだとも言える。 原稿の品質を高める努力はもちろん大切なのだけれど、まずは出版社の人を説得して、企画を通さないことにはスタートラインに立てない。頑張りかたについて。 最初は持ち込み ある程度まとまった分量の文章を読んでもらうための手段として、書籍という形態はやはりよくできているように思うし、なん

  • 不思議なものとのつきあいかた - レジデント初期研修用資料

    「不思議なもの」は、今の世の中にだってたくさんある。それが証明された事実なら利用すればいいし、虚偽なら否定すればいいけれど、「不思議なもの」はそのどちらでもないものだから、距離を置いて「つきあう」ことが大切になる。 「不思議なもの」と対峙して、それをあたかも事実であるかのように利用を試みてしまったり、逆にあらゆる不思議を虚偽と断じて否定したりすると、たいていはろくでもない結果が待っている。 ビールの原理 自分にはたとえば、「ビールがたくさん飲めること」が、未だに不思議に思える。 ネットをちょっと引っ張ると、これは「アルコールが胃から吸収される」からという説明が為されているのだけれど、ビールのアルコール濃度は6%程度だから、これ胃から拡散吸収できたところで、自分が体感するビール特有の「いくらでも」とは、ずいぶんかけ離れているように思えてしまう。 アルコールと人体との関係は、医学が一番詳しいは

  • 無様にやるのは難しい - レジデント初期研修用資料

    「戦力の逐次投入」という代表的な失敗パターン、問題を解決するための資源を過小に割り当てて、それでは足りない、という反応が返ってきても、なおも「足りない」資源だけを現場に送って、結果として貴重な時間を浪費してしまうあの状況というものは、作戦を指揮した将軍が戦力を「節約」しようとしただとか、相手を見くびっていただとか、そんな理由からは生まれない。 不足は見えない 診療をしていると、たまに「このままでは病気に追いつけない」という、いやな予感に襲われることがある。患者さんの治療はそこそこにうまくいっているけれど、ベストと言えるほどの反応は得られなくて、やることはやっているはずなのに、何か足りない。 このまま状況を放置すると、「ちょっと反応が少ない」ままに状況が進んで、気がつくとその「ちょっと」はさらに少なくなって、事態はむしろ悪化していく。気がつくと数日間という期間が、根への対処を怠ったままに消

  • 責任者はいなかった - レジデント初期研修用資料

    東京電力の記者会見が、ニコニコ動画で公開されていた。 見どころというか、不気味な光景は30分を過ぎて以降の後半部分で、「放水の決定を下したのは、結局誰なのですか?」という記者の質問に対して、東京電力の人たちは「申し訳ありませんが、調査をしてから、改めて回答させて下さい」というコメントを繰り返していた。同じ質問を繰り返す記者と、ひたすら同じコメントを繰り返す東電の人たちと、空気が恐ろしく重たく見えた。 社長を出してはいけない状況がある 話の流れが「社長を出せ」につながりかねない、たとえば製品の瑕疵について、損害賠償を求める人との応対では、「社長に話をつながない」ことが原則になる。 相手との会話に臨む人は、「自分は事実関係を調べるための専門家」であるという立場を取る。クレーム対応の現場においては、事実に対するお互いの見解が、まだ十分に共有されていないから、そこにいるべき人は、事実関係を鑑定する

  • 危機コミュニケーション覚え書き - レジデント初期研修用資料

    未知状況で安心を伝える 原発災害の当初、情報が錯綜して、不安になった。そんな頃に発信された、日の原発についてのお知らせ という、英国大使館の現状に対する見解をまとめた文章を読むことで、大きな安心感が得られた 「ワーストシナリオとその対策を語る」こと、「今公開されている情報を吟味して、そこから導かれた見解を述べる」こと、「今までに発生した「当の最悪」との比較を行ってみせる」ことが、未知の恐怖におびえている状況を安定化させるのだと思う 「大丈夫だ信じろ」という言葉では、安心感が得られない。「ワーストはこうだ。対策はできる」と言われると安心できる 「安全な最小値」と比較して何倍、という表現は安心につながらない。「当の最悪と比較して何分の一」という言い回しは、同じ大きさを表現するにしても、安心感がある 根拠を示さずに「大丈夫です信じて下さい」を繰り返す人は信頼されない。すでに公開されている情

  • 炊事のロジスティクス - レジデント初期研修用資料

    大学時代の6年間、そもそも外できるところがない田舎だったから、ずっと自炊をしていたけれど、今から思うと、あれは自炊ができていたとは言えなかった。 冷蔵庫にあるものを眺めて、とりあえずべられる何かを作る、あるいは料理を眺めて、材料を揃えて何かを作ることならば、当時の自分にだってできていた。ところが気がついたら冷蔵庫は空っぽだったり、料理を眺めて、材料をそれから買い出しに行く必要があったり、そうした遠回りは、6年間変えられなかった。 「できる」の深度 そこにある材料で、一人分のご飯を作れる人は珍しくない。1年間を通じて、そこそこバランスのとれた事を作れるだけの材料を、常に「そこ」に準備しておける人はほとんどいない。 手段が容易であることは、運用が容易であることを意味しない。手段にどれだけ通じたところで、運用の考えかたは、もしかしたら出てこない。 映画では、スタローンやシュワルツェ

  • 理念とは卑怯の提案 - レジデント初期研修用資料

    30年以上も昔、担任の先生が産休に入って、代打要員として、音楽の先生が県から派遣されてきた。ちょうどその頃、県の音楽コンクールが重なっていて、「どうせでるなら勝ちましょう」なんて、いろんなことを教わった。 柔らかい音を出す 「トライアングルを柔らかく鳴らしましょう」というのが、演奏の課題として取りあげられていた。 どれだけの感情を込めたところで、あれだけシンプルな楽器を「柔らかく」鳴らす術は分からなかったのだけれど、その先生は、「柔らかいとは、紐の根を固く持つことだ」なんて教えてくれた。「柔らかい」というのは、要するに響きの減衰が早いことと同義であって、トライアングルを吊っている持ち紐の、トライアングルに一番近い場所を固く握ることで、音は「柔らかく」鳴るのだと。 縦笛を鳴らす人は、パートが終わった瞬間に両手を膝の上に置くときれいに見えること。シンバルを叩く人は、叩いたあとでシンバルごと「

    zyesuta
    zyesuta 2011/01/24
    ある状況を前に、リーダーがそれをどういうゲームであると解釈して、どういう勝ちかたを目指しているのか」
  • 嫌われる相手のことを考える - レジデント初期研修用資料

    製品の開発であっても、サービスであっても、何か新しいものを作るときには、誰かに好かれるようなものよりも、むしろ誰かに嫌われるようなものを探していくと面白いような気がする。 大手からシェアを奪いに行くときには、どこかに「敵」を設定すると上手くいくのだという。大昔のペプシは、「ペプシジェネレーション」というキャンペーンを行って、高齢の世代を「敵」であると定義した。ペプシジェネレーションは若さの象徴になって、ペプシは高齢の世代から嫌われて、その代わり、若い世代と、「まだまだ若い」人たちからの支持を勝ち取った。 嫌われている人に学ぶ 誰かから「嫌われている人」を探して、その人から学ぶといいのだと思う。 どの世代からも支持されるような人はたくさんいるけれど、そういう人からは学べない。あの人たちは、単に「素晴らしい人物」だから支持されているだけで、そこから何かを学ぼうとしたところで、「世の中には、すご

    zyesuta
    zyesuta 2011/01/20
    例えば政治家なら「私は労働者の味方だ」と言っても信用されないが、「悪いのは大企業だ」と言うと一定層から信用される、とマーケティング本にあったのを思い出した。
  • 創造的安普請 - レジデント初期研修用資料

    創造というものは「何でもない」場所から生まれる。 今の時代は何でもあって、手に入らないものなんてないはずなのに、「何でもないもの」の居場所というものは、どんどん失われていっているような木がする。 創造の生まれる場所 たとえば「日版シリコンバレー」みたいな、何か創造性を期待するような場を気で作ろうと思ったならば、 「きれいなオフィスを国費で安価に提供する」ような発想をしてはいけないのだと思う。 国がどこかを開発して、こぎれいなビルを並べて、安い家賃で貸し出したところで、新しいものは創造されない。 きれいなビルの代わりに、どこか土地の安い、不便な広場を買い上げて、廃棄寸前の貨車だとか、 コンテナみたいなものを大量に並べて、「水道と電気、無線LAN だけ用意してやるからあとは自己責任」みたいな場所を用意したほうが、 「創造」はより近くなる。 アップルはガレージ生まれだし、ホールアースカタログ

  • 事実と見解について - レジデント初期研修用資料

    事実と見解、状況のコントロール、その周辺の言葉について。 見解の一致は目標にならない ある事実があって、お互いがそれを共有した上で、その事実に対する見解を持つ、この状態が、コミュニケーションが目指すゴールになる。 事実が「これ」と定まったところで、立場や目的が異なっていれば、見解は一致しないことが当然であって、見解の一致をみた状態というものは、 交渉が成功した状態というよりも、むしろ偶然に生じた例外的な状態なのだと思う。 見解が一致したほうが、もちろん合意を形成しやすいけれど、異なる見解を強引に一致させようと思ったならば、相手を「説得」する必要がある。 説得というものは、見かたを変えればどうしても虚偽と受け取られてしまう可能性があって、病院のような、お互いの間合いが近い、 何度でも交渉をやり直す機会が得られるような場所では、「説得」はいい結果を生まない。 状況のコントロールとは何か 状況の

  • ネット時代のランチェスター戦略 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ネットワークの法則 コミュニティが分割されておらず、十分に大きいこと 個人同士が、各々同程度の弱い関係で結び付けられていること コミュニティを形成する個人に同一性が認められること ネットワーク化が進んだコミュニティは、小さな刺激で全体が動く。 その振舞いは雪崩や台風の進路と同じで、初期条件のわずかな変化が 結果を大きく左右するため、未来は確率論的にしか予想できない。 ネットワーク化が進んだコミュニティでは、少数側、弱者の側にも強い力をもたらす可能性があるが、 その力は弱者の側を滅ぼしてしまうこともある。 利己的個人の法則 ネットワークが分断されたコミュニティでは、各個人は利己的に、より合理的に振舞うようになる。 コミュニティを動かすためには大

    zyesuta
    zyesuta 2010/06/18
    「小泉内閣は、たぶんネットワークの力を利用したのではなくて、むしろネットの力を上手に阻害して、「力の論理」を押し通した」 分断による戦略
  • 謝罪は切り返しの出発点 - レジデント初期研修用資料

    謝罪というものが、事実と感情とを切り離す道具なのだとしたら、説得という行為は、事実に対してその人が抱いた感情を表明して、生み出された感情と、相手の行動とを接着しようとする試みなんだと思う。 無理矢理の「説得」に対して、素早く「謝罪」を行うことで、問題は初めて、事実だけを扱える。謝罪なしに事実を論じると、恐らくはもっとこじれる。 事実と感情が手をつなぐ 麻薬系鎮痛薬の中毒になった人が、救急外来にはたまに来る。 何かの病気を訴えて、ものすごく痛がって、診断書は持ってるなんて、文字のかすれた、診断書のコピーを見せる。大学名のところはにじんで読めなかったりする。こういう人には、麻薬の処方を行ってはいけないとされているんだけれど、断るのはそれなりに難しい。たとえばこのとき、患者さんが持ってきた診断書を「偽物だろう」なんて断じるのは最悪で、泥沼になる。 患者さん人は、「痛い」といって病院に来ている。

  • ドクトリンを学びたい - レジデント初期研修用資料

    ワシントンマニュアルという、ずいぶん昔から改訂が重ねられている教科書の33版を読んで考えたこと。 差分を知るのは大変 ワシントンマニュアルの33版はずいぶん厚くなっていて、今回のは1000ページを超えていたけれど、内容の骨組みみたいなものは、それほど大きな変更はないように思えた。細かい知識のアップデートはあちこちにあるのだろうけれど、ざっと読んだかぎりは、全く知らない考えかたみたいなのは、それほど多くなかった印象。 こういうのはそれでも印象論にしか過ぎなくて、実際問題、昔の版とどこが変わって、その変更が、これから先の臨床でどう生かされるべきなのか、変更が加えられたとして、それはどういう考えかたに基づいて、作者の人は、読者にどういう意図を汲んでほしいのか、新しい版画出て、読者として来知りたいこういうことは、細かく読まないと分からない。 改訂の重なったというのは、過去の版との比較を行うこと

  • はじまりの物語 - レジデント初期研修用資料

    魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 というWeb 小説を読んだ感想文。以下、「まおゆう」と略す。 学ばなくても社会は回る 自分は今でこそ、経済の視点を絡めた文章を時々書いているけれど、2005年頃までは、経済学に興味がなかった。 経済学の入門書だとか、教科書なんかに手を出したのはここ数年で、数年かかってようやく、何となく「経済学的な」ものの見かたみたいなのが身についた。それが学問としてどこまで正しいのかは、ちゃんと学んだわけじゃないから、検証のしようがないのだけれど。 2006年頃、ネット上ではいろんな人たちが経済を語っていたし、経済学的な視点というものの実例は、当時からいくらでも目にすることができたけれど、それを学んでみたいだとか、経済の視点で世の中を眺めて、果たして何が見えてくるのか、そういう想像も働かなかった。現代社会はすでに経済の考えかたで回っていて、回っている現状を

    zyesuta
    zyesuta 2010/05/14
    ありものの知識を伝えるには、そもそもそれが無い状態から語り起こして意味価値を伝える。
  • 根暗な報酬のこと - レジデント初期研修用資料

    ある日のテストが60点で、頑張って次回80点取れた子供がいたとして、その子はたぶん、「20点増えた」という喜びと、「20点分見下せる奴が増えた」という、根暗な喜びとを、報酬として体感することになる。 努力や頑張りの報酬には、明るく表明できるものの裏側に、必ず根暗な何かがセットになっている。人を誘ったり、説得するためには、もちろん「明るい報酬」を前面に出さないといけないのだけれど、報酬には、常に根暗な側面がセットになっていて、そのことに自覚的でないと、どこかで上手くいかなくなるような気がする。 「明るい報酬」は希望を生むけれど、「根暗な報酬」は、自意識の地盤を固める。脆弱な地盤の上に、希望のお城を打ち立てて見せたところで、お城が大きくなるに連れて、いつかは地盤ごと、お城が倒壊してしまう。 自尊心の不足で疲労する 新しい学問だとか、仕事を立ち上げるときにけっこう大切なのは、「そこで働く人が自尊

  • 正しさから自由になるべきだと思う - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 医療過誤訴訟なんかでの決まり文句「真実が知りたい」にまつわるお話。 昨日盛り上がっていた南京大虐殺周辺のお話で、誰かが 「決議や謝罪要求の有無に関係なく、歴史的事実は存在する」とコメントしていた。 けっこう驚いた。個人的にはもはや、「事実である」ということと、 その解釈が広く受け入れられているということとは、全く別ものだと考えてたから。 「事実である」ことに何かの力を感じている人と、 事実に対する解釈は、市場により決定されると考える人とがいて、 両者はたぶん、議論が成立しない。お互い争っても、議論のレイヤが全く違うから、 話が噛み合わない。 たとえ話 ホエールウォッチングをするために、何人もの人達が船に乗って、海面を見ながらクジラを待つ。 観