「河野談話はどこで「連合国の戦後処理」を含む問題へとすり替わったのか」関連の続き(前記事)。 さてでは、結局、日本政府はこの問題をどう「解決」しようとしたのだろうか。このことを理解するためには、この時出された「加藤談話」の内容を、最終的に出されることになる河野談話と比べてみるとわかりやすい。加藤談話の表題は「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表」、内容も朝鮮半島から動員された慰安婦に関わるものに限定された形になっている。対して翌1993年8月に発表される河野談話の表題は「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」、内容も朝鮮半島のみならず、中国大陸や東南アジア諸国などをも含んだ広い地域から動員された人々を対象とするものになっている。 つまり、加藤談話が出された1992年7月から、河野談話の出される1993年8月のまでの間に、慰安婦問題はいつの間にか、対象