三陸鉄道北リアス線の車窓から。南リアス線と同じく、絶景と共に震災復興工事が目に飛び込んできた=2016年2月15日、高橋昌紀撮影 2月15日の朝、岩手県宮古市の最低気温は2度だった。三陸鉄道の本社が置かれた北リアス線宮古駅。座席定員53人のラッピング車両「デラ様『ココから号』」(36−202形)は男女各1人の乗客を乗せ、定刻通りの9時18分に久慈駅へと向け、ゴトゴトと走り出した。ラッピング車両は支援企業の協賛をもらったものだ。通勤通学の時刻は過ぎていて、車内はのどかな雰囲気だ。 「いつもは6時8分発の列車に乗ります。そっちの乗客はいつも同じ3人ですね」と話すのは宮古で生まれ育った会社員の男性(49)。会社の事務所がある4駅離れた田老駅まで通勤の足に三鉄を利用しているそうだ。84年4月1日の北リアス線・南リアス線の同時開業時は18歳の高校3年生だった。「あのころは人口も多く、私が通っていた高
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