主権者であれば、実績を通じてしか評価されない。 ひきこもりに関する番組やイベントは、まず医師・学者・ジャーナリストなどで構成される。 悩んでいる本人たちは、「観察対象」でしかない。 考えてみれば、これは異様なことだ。 25年前の親世代が作った「子どものための支援体制」が、そのまま続いている。 取材されても、期待される発言はだいたい決まっている。 《稲村博・斎藤環 vs 東京シューレ系》も、制度的専門家や親世代が揉めている構図であり、悩む本人は置いてけぼり。 要するに、問題理解の構図が古い。 とはいえ、愚痴を言うだけでは、それ自体が「子どもを演じること」でしかない。 ひきこもりについて企画を作ろうとしたとき、医師やジャーナリストをまず思い浮かべてしまう、その状況を変えるには、ひきこもっていたとされる人たち自身が実績を作っていくしかない。 「良い番組を作るには、この人たちに協力してもらわないと