◆109 『精神と自然』グレゴリー・ベイトソン 科学は何も説明しない。仮説の正しさを立証することは、完全 に抽象的トートロジーの領域以外では、恐らく不可能である。科 学者は、オッカムの剃刀と呼ばれる前提に影響されている。 トートロジーは、命題間の結びつきしか与えない。フォン・ノイマン トートロジーはいかなる情報をも一切含まず、説明(記述をトート ロジーの上にマップすること)は記述の中に存在する情報しか含 ない。 説明とは結局、トートロジーの網を張っていく作業である。 精神プロセスの世界はトートロジカルにしてエコロジカルであると いうのが私の考えだ。ゆっくりと独りで癒えていくトートロジーとで もいうかな。 トートロジーは結局のところ壊れない。ただ次の論理階型へ押し 上げられて、一段階抽象度を増すだけ。 それが窮極的にトートロジーなのかどうかも、論理の段階がいく つあるのかも、内側にいる私に