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法に関するmassunnkのブックマーク (8)

  • 第六回VCASIインフォーマルセミナー 大屋雄裕氏 (00)

    第六回VCASIインフォーマルセミナー 大屋雄裕氏 「秩序は実在するか?:『法解釈の言語哲学』から」

    第六回VCASIインフォーマルセミナー 大屋雄裕氏 (00)
  • 新憲法 2.0は 数式で - 小人さんの妄想

    なぜ法律には数式が一つも入っていないのか。 むしろ不思議なことのように思えます。 数学と法律、この2つほど相性のよさそうなものは、ちょっと見当たりませんよ。 数学=理系、法律=文系、この2つは正反対の水と油、そんな古い考え方を抱いてませんか。 実際、少し以前までは経済学がそう言われていました。 でも今や、数式の入っていない経済学なんて、時代遅れの感を否めないんじゃあないですか。 法律もそれと同じ。 「文系の数式化」は避けがたい潮流でしょう。 その中で、最大の波は「法律の数式化」にあるのではないかと思います。 数学と法律は似たもの同士、これがちょっぴり数学をかじってみた、私の偽らざる感想です。 この2つは、世間的には正反対だと言われているようなので、まずはその誤解を解いてみましょう。 * 誤解その1: 数学は思考科目、法律は暗記科目。 そんなことはないですよー。 特に現代数学と呼ばれる分野は

    新憲法 2.0は 数式で - 小人さんの妄想
    massunnk
    massunnk 2008/12/25
    法の数学化について
  • 綿野恵太@edoyaneko800

  • ―  《知》の即興空間  ―  「あえて鳩山邦夫を讃える」小谷野先生を讃える

    massunnk
    massunnk 2008/06/26
    「死神」論争はナイーブすぎだよなー
  • 法律真理教 - 妄想日記

    以前のエントリーで科学真理教を紹介したが、それに匹敵する「なんでそんなもん信仰できるの?」と問いたくなる宗教がある。それは法律真理教である。その考えの基は「世の中の判断基準を法律にしかおかない」というところにある。言うまでもないが、法律とは世の中にたくさんあるルールの一つに過ぎない。法律に違反していなくてもやってはいけないことなどいくらでもある。しかし法律真理教教徒の考えは違う。彼らにとっては「法律に違反していない=やってもいい」である。 信仰の自由を重視する私であっても、さすがに近寄りたくない人達である。幸いなことにそのような人は私の近くにはいないが、ネットではよく見る。特に刑法三十九条の絡むところによく集まってくる。 刑法三十九条というのは、心神喪失者の行為を処罰しないと定めた条文である。たとえば、心神喪失者が人を殺しても処罰されない。当たり前のことであるが、心神喪失者であろうと人を

    法律真理教 - 妄想日記
  • 「被害者」「加害者」「患者」のいずれでもありうる「あなた」自身のために - pentaxx備忘録

    そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫) 作者: 日垣隆出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2006/10/30メディア: 文庫購入: 13人 クリック: 178回この商品を含むブログ (118件) を見る 私は、司法精神医学について専門家を自称できる人間ではありません。なにしろ書でもたびたび名前の挙がる、精神鑑定の権威・小田晋氏の研究室に在籍した過去があるとはいえ、自分が中心となってかかわった精神鑑定例はわずか一例しかないのです。だからこの解説を書くために、関連書籍や論文をいくつも読みました。そして、精神障害犯罪者に関する議論の難しさに、あらためて驚かされました。 そもそも法学と医学とは、その背景となる思想からしてまったく異質な学問です。簡単に言えば「判決」は常に結論であり、事実と同じ重みを持ちます。しかし医学的な「診断」は、常に治療と予防のための一時的な仮説でしかありえず、それゆえ常

    「被害者」「加害者」「患者」のいずれでもありうる「あなた」自身のために - pentaxx備忘録
    massunnk
    massunnk 2007/07/14
    日垣隆すげーな
  • 道徳と法律の社会法則 - 数学屋のメガネ

    板倉聖宣さんは、社会法則を学ぶための授業書として「生類憐れみの令」と「禁酒法と民主主義」というものを作った。これは仮説実験授業の授業書として作られたもので、社会にも法則性があるのだという科学的視点を教えるための授業所だ。過去にこういうことがあったという事実を知るためのものではない。 ここで語られている法則を抽象的に言えば、道徳を法律化したときの社会に対する影響というものがどういう現れ方をするか、ということを法則化したものと言える。道徳的に正しいことは、善悪の判断から言えば、いいことに決まっている。いいことだからそれを実現することが正しいと誰もが思う。そういうものは、人々の自発的な意志にゆだねて実現すべきもので、法律化して強制的に実現すべきものではない。もし、誰もがいいと思うことを法律によって強制化して実現しようとすると、予想に反して道徳的には堕落するという結果を招く。これが社会の法則なのだ

    道徳と法律の社会法則 - 数学屋のメガネ
    massunnk
    massunnk 2007/06/22
  • 意外と知られていないこと‐しったかぶれる法学用語解説(3) - 半可思惟

    【自然法と実定法】 普通、「法」と言う場合は実定法*1を念頭においています。 実定法とは制度、慣習、判決など人為により生成される法のことです。少し難しい言い方をすると、実証的に経験的に把握される形で存在し、現実の効力を有するものということです。 ところが西洋の法思想では、普通に考えた場合の「法」よりも抽象的でイデアみたいなものがある、と考えてきました*2。19世紀はじめまで実定法の上位に自然法(natural law)が存在していて、人間の社会生活は実定法の規律より上の自然法の規律に従っていると考えられていたのです。 今から考えるとちょっと不思議な感覚ですが、自然法は人為から独立した、人為の作為によって動かされない何らかの事態・秩序のこと、または先験的すなわちア・プリオリな倫理的法則価値によって必然的に存在するものとされていました。正しい人間生活のための規範のことで、どちらかというと人類共

    意外と知られていないこと‐しったかぶれる法学用語解説(3) - 半可思惟
    massunnk
    massunnk 2006/09/14
    知ったかぶりたい
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