はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
■サブ・カルチャー的な「私」としての僕たち。 その13-a すでに多くの場所で言及されていると思うが、「まえがき」によれば〈マンガ表現のシステム論的解析〉となる『テヅカ・イズ・デッド――ひらかれたマンガ表現論へ』という本のなかで、伊藤剛は、マンガという表現において、身体を読み手に意識させる要素の、その在り方あるいは立ち方を、「キャラ(Kyara)」と「キャラクター(character)」の二項に分割している。 〈「キャラ」を定義するとすれば、次のようになる〉と伊藤はいう。 多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 また〈一方「キャラクター」とは〉として、以下のような定義を行う。 「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」
ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
次のテーマはモジュール化とその広域利用 以前にも触れたけれど、ファウスト福嶋の限定状況としての家族論は、 限定ジャンケンや後期冨樫からツンデレまで大きな流れの一部なのだ。 しかも記号として捉えられる範囲で限定された絵=デザインとすれば、 萌え絵はデザイン化だから323絵もそうだし、KOTOKOも含む。 その上nyのクラスタリングからSNS(はてな!)もまた同じこと。 (『バトルロワイヤル』や『リアル鬼ごっこ』なんてのもそう。) ゲームはPSの3D化で大きく流れが変わり、また大容量化で音声が 使えるようになって変わり(渡辺浩二とかが予測した文章を書いてた)、 後者がギャルゲで、前者がバイオハザードとかなんだけど、まず前者。 バイオは項を改めて詳しくやりたいけれども、ここでの文脈で言えば、 デザインされたゲームだと言える。それが他の3Dゲームと違ってた。 当時の3Dは視認性や操作性が悪かった。
二日連続、いや、たけくまメモひみつオフも入れると三日連続の忘年会から帰宅。 さすがに疲れるの巻。風邪が抜けない/咳が止まらない/肋骨の間が痛いことを除けばむしろ体調がいいのでなんとか乗り切れた感じ。 昨日は「ユリイカ」特集:マンガ批評の最前線の打ち上げ。宮本大人君id:hrhtm1970、前島賢君id:cherry-3d、そしてユリイカ編集長Y君の三人と。 そして今日(あ、もう昨日か)は、宮本君の東大集中講義のあとの打ち上げ……といいつつ、事実上、いつもの漫画史研メンバー+α というメンツで。 楽しかったけれど、何の話をしたんだっけ。あ……リブルラブルの基盤を持ってて「ぼくは薄いんですよ!」ってのは違うだろうとか、まーそんな感じ。 たいへん読み応えのある「ユリイカ」については、またあらためて書くかもしれないです。ぼくは座談会二つに出て、あずまきよひこ氏のインタビューをし、マンガ編集者匿名座
帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) 妻の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…
一つはっきりした指針を得られたように思うので、備忘録的にメモしておく。 これはまだ最初の着手段階のメモ。 イベント「「人生にYesNo枕!」〜摂食障害・ひきこもり・ニートの人間関係学〜」で同席した際、樋口明彦氏がおっしゃっていたこと(大意): 僕が抽象芸術が好きなのは、それが「非人間的」だからです。 その場では何も言わなかったが、実は横で聞いていてシビレていた。 三脇康生氏の発言で僕が最も感銘を受けたもの: 「分析の consistency」 この遂行は、人間的な《交流》と相容れず、それゆえ「人間味がない」「アタマがおかしいんじゃないか」などと非難されがち。 ▼《交流》が《交渉》より優先すると、抑圧が発生する。 斎藤環氏の臨床面接の方法: 「親切な宇宙人」 「味方のロボット」 ある教育社会学者*1(大意): 教育が、甘ったるいヒューマニズムばかりで語られる。 社会的な視点がない。 いわば「
NWatch ver.4 - 非モテ・非コミュについてだらだらと http://d.hatena.ne.jp/rir6/20051213/1134428417 例えば「日常」価値観の実に良く現れている作品として『クレヨンしんちゃん』、特に映画の『オトナ帝国の逆襲』があります。あれが如何に「日常」価値観を増強しているかは見た人なら一発で分かるでしょう。僕はあの作品が大嫌いなのですが、しかしネット上ではこの作品に対する批判は殆ど無く、あったとしても「いつものしんちゃんと違う」程度の細部に対するマニアックな批判です。これじゃ駄目なのです。僕はあの作品を見るたびに腹が立って仕方がありません。何故ならあの作品では誰もが「尊ぶべき今日がある!」かのように示しているからです。あの作品にはヤンキーだったりオタクエリートは出ても、引きこもりだったりメンヘルは決して出てきません。そのような「不健全な人達」はあ
ご訪問いただいたお客様へのお知らせ アクセスいただいたWebサービスは提供を終了いたしました。 長年にわたり、多くの皆様にご利用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。 ODNトップページへ
http://d.hatena.ne.jp/foo_fighter/20051205/eureka(発信元) http://d.hatena.ne.jp/tobofu/20051208#1134051289(反応) エウレカセブンは多くの「引用」により世界観を広げようと試みていることはだれもが認めてくれるだろう。エウレカセブンに埋め込まれたキーワードを手がかりにアニメ以外の存在があることをしめしているのかもしれない。 だが、それは成功しているのか。 エウレカセブンのコンセプトって「引用なんて飾りですよ飾り!」だと思ってたんですが違ってたんでしょうか。作り手側のコメントに触れていないので実際の所は知りませんが。 広げているのは客層であって、別に世界観じゃないような……。 情報を集めリスト化すること自体に快楽を感じるのは所詮ごく一部の人間でしかない。何より圧倒的な情報量を持って描こうとするアニ
ファウスト Vol.6 SIDE―Aに掲載されている、東浩紀さんの評論「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んで、谷川流さんの作品も東浩紀さんがいうところの「複数の私と複数の物語で現実を捉える」ゲーム的リアリズムを持っているんじゃないかなぁと思いました。 谷川流さんの現在休止しているシリーズに「学校を出よう!」というものがありますが、この作品にはしばしば「複数の私と複数の物語」が登場します。 「学校を出よう!2」 学校を出よう!〈2〉I‐My‐Me (電撃文庫) 作者: 谷川流,蒼魚真青出版社/メーカー: メディアワークス発売日: 2003/08/01メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 45回この商品を含むブログ (112件) を見る では、時間跳躍(タイムトラベル)によって同じ時間に主役の神田少年が3人存在することになります。このうち2人は同じ「物語」を共有していますが、3人目は別の「物
昨今注目を集めているクリエイティヴ・コモンズは、果してこれ以上に普及するのだろうか。ソフトウェアにおけるオープンソースとの比較から、問題点を洗い出してみたい。 はじめに クリエイティヴ・コモンズ (Creative Commons, CC)は 2001年、スタンフォード・ロースクールのローレンス・レッシグ (Lawrence Lessig)教授を中心とした様々な分野の専門家たちによって立ち上げられたプ ロジェクトだ。ソフトウェアの世界におけるオープンソース/フリーソフトウェ アの成功に刺激され、ソフトウェア(プログラム)以外の著作物全般にもオープ ンソースと同様の「自由」を取り戻そうという試みと位置づけられる。日本で もクリエイティヴ・コモンズ・ ジャパンが設立され、現在は主に日本法との平仄という見地からクリエイ ティヴ・コモンズのライセンス的な吟味が続けられているようだ。なお、クリエイテ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く