6000日前のことを思い出して懐かしさに泣きそうになった月曜日 今日はちょっとした荷物を会社までもっていかないといけなかったので朝は妻に送ってもらいました。 頑張れば歩いて持っていくこともできなくはなかったのですが、ちょっと恥ずかしかったので送ってもらえてよかったです。助かりました。そして今週は少し仕事が落ち着い…
秋の新宿駅埼京線ホーム。「あなたとは終わりよ。だって…」。彼女の言葉は僕の耳に吸い込まれる直前で発車ブザーに弄ばれ、それから永遠に喪われてしまった。彼女は初めて出会ったときの言葉を覚えているだろうか。僕はいまでもはっきりと覚えている。彼女はこう言ったんだ。「あなたはずっと前から出会うって決まっていた運命の人なの」。 すこし肌寒い秋の夜になると彼女を思い出してしまう僕は情けないやつに見えるかもしれない。仕方ない。僕は僕にはそういう側面があるって僕自身で認めている。女の子は現実的な考えをする生き物だ。それゆえ古今東西の男の子は古今東西の女の子の、手品のような、魔法のような、予想もつかない言葉、行動に振り回されたりするのだ。でも僕は女の子特有の現実主義に勝機はあると考えていたんだ。 通り過ぎる女性たちが振り返ってしまうほどルックスに優れ才能に溢れ多くの名声を持つ僕と彼女の周りにいるボンクラをなに
いいことなのか、それとも、悪いことなのか、わからない。でも、多くの人間がそうであるように、僕もまた、ギャルと激しい恋がしたかった。町を行き交うギャルは、何よりも素晴らしく、美しい。でも、三十路を迎えて五年、ギャルとはお近づきになれそうもないってことを経験が教えてくれた。だから、血迷ってお見合いをした――。 鼻で笑えなくなった。これは悪いことだ。たぶん。謎教団の《虎シャツ》おばさんが別れ際に「あなたにはピラミッド生命磁場のズレが顕著に見られるわ。近いうちに地球自身のアセンション干渉によって災いが降りかかるだろう」と言ったのを、ワケのわからないことを言っておる、ふふん鼻で笑って過ごしているうち、右側に運転席が設置されている国産車の暴力のような仕様のせいで左側への注意が散漫となり、バック・オーライ!駐車する際に車の左側面を壁で擦ってしまったり、秋葉原の裏で「コノウラビデオ凄イヨゥ!流石ニホンジン
いま、休日にも関らず惰眠を貪ることを放棄して会社に赴き大事な大事な仕事をしている最中にこうして仕事を遂行するパソコンとは別の小さいパソコンのモニター向かってぺしぺしと日記を書こうとしているのであるのだけれども、この時間、いま、ほれ、「いま」とキーボードを叩いた時間というのは、大事な大事な仕事をする代わりに費やされているもので、大事な大事な仕事をすればいくばくかの米や味噌醤油が買える金銭を受け取ることができるし、その仕事が成功すれば「おほほ、君はなかなかいい仕事をするね、じゃあ僕はこういう仕事を頼みたいのだがね」という具合に話が広がり、またいくばくかの酒や団子或いは洋菓子なんかを手にするための金銭を頂戴できる可能性もあろうかと思われるにも関らず、こうしてぺしぺしとやっているのであるから、この日記にもそれ相応の対価というかいつの日か花が咲き羽毛布団だとか物干し竿ぐらいのものが手に入るぐらいの恩
三十も半ばを過ぎてもうじき頭皮や脇の下から仁丹の臭いがしてくるのではないかと慄くような年齢になると、自身の能力や才覚に限界があることを認めざるを得ないというかその限界が年々身近なところに差し迫ってくるような焦燥感すら覚えて、あまりパッとしなかったこれまでと輝かしいはずのこれからに大差がない気がしてがっかりすることも少なくない。とはいえ心意気だけは腐らせてはいけないと思い「おれは空だって飛べる」なんつって嘯くこともあるのだけれどもそれを本気で言ってるなどと思われでもしたら少々精神がメルヘンチックな人だと判断されて拘束衣なんかを着せられてしまうやもしれないので、あくまで比喩表現ですよという前口上を述べた上で空を飛ぶと言うだけの悲しい中年の処世術である。本来なら「君がいれば空だって飛べるさ」的な口説き文句でもって若いオンナのコを誘惑した後に自家用セスナか何かを操縦しながら助手席のオンナのコの太腿
友人の部屋でこれを書いている。今は日曜の朝だ。僕はこの、初めて訪れた新百合ヶ丘の部屋で、僕の二十世紀末を再生した。違う。自分にしかわからないクロニクルを語るときは正確に記述するんだ。スポーツマンが、ソテーから慎重な手つきで脂肪を切り離すように、曖昧さは排除しなければならない。言葉よ、贅肉を削ぎ落として正しいフォームを獲得しろ。雑食主義を否定しろ。必要なのは正確さ、そしてピュアネス。違うかい?僕は訊ねる。闇は答えない。友人も答えない。僕も、答えを求めていない。僕はこの部屋を知っている。友人の部屋は僕の部屋と同じにおいがした。前世紀の終わり、僕は、この部屋にいた。 2000年の初夏、多くのロックスターが黄泉へダイブした年齢に並んだ僕は、突発性の熱病に冒されたように誰にも相談することなく会社を辞めた。金曜の夜。中華料理屋のカウンター席。飛び交うチャイニーズ怒号。乱雑に扱われがちゃがちゃと悲鳴をあ
ぷ〜りゅりゅりゅりゅ〜と笑っちゃいそうなピッチの上昇音階を奏でながら京浜急行が赤い車体を揺らすと、「ベイビーどうしたい?そんなに夢中?」、そう、オッパイがつり革ギュッと握りしめた眼下から語りかけてきて、そいつを迷いなく周囲の目を気にすることなく凝視する僕はオッパイマイスター。冬は裸か厚着。中途半端なスタイルはノー。でもそれがしょこたん似のギザカワユスギャルで、ダウンジャケットの下が、長袖Tシャツみたいに薄着だったりすれば話は別。気分アッパー! で、ギャルの傍らに、あちらこちらに唾を吐いては、こちらが下手に出て趣味や特技を尋ねようものなら「趣味は〜寝ることっす。特技は体がやわらかいことっす」なんて言い放ちそうな、いかにも馬鹿っぽい男がいて、二人が指を前戯よろしく絡ませ、かたく手を握っているのを見つけてしまうと、ギャルは大宮か浦和あたりの信用金庫前で鼻クソを食べるブスに堕ちてしまうのだから、人
だめだだめだーってクサって会社から帰ろうとしてトイレに行ってションベンしながら窓の外を見上げたら月と星がこんなんなってた。笑ってやがる。そしたらなんか途端に馬鹿らしくなって力が抜けた。よくオンナのコが「おいしいもん食べて元気出た」とか「好きな音楽聴いて」とか「テレビ観て笑って」なんつって言ってるのを聞いてて、そんなもんなんの解決になってねえじゃんと思ってたんだけど、昨夜の月を見たらなんかそのキモチの変化がわかった気がした。ほんとかどうかは怪しいもんだけど。 晩飯を食べて風呂に入って会社戻って仕事しようと思ったんだけど先のことが気になってぼんやり考え事をしてた。あー、なんか・・・と思ってずっと前に買ったきりになってたリリー・フランキーの本を棚から引っ張り出してきて読んだ。あの人は才能あるなと思った。なんつうかグズグズになってる思考の澱みみたいなものをカッコ悪く見せるのが上手いというかそういう
床に落ちた消費者金融のティッシュペーパー。薄いビニールに印刷された笑顔が歪んでいる。僕はそれを拾ってポケットに突っ込んでから、上着を脱ぎ、鞄をラックに放り込み、窓際の席に腰を落とす。左では四角に切り取られた街並みが後ろへと流れ始めていた。午後5時半。この街の夕暮れは僕の住む街よりもいくぶん遅いけれどすでに夜の気配が忍び込んでいる。首を締め付けていたネクタイを緩め駅で仕入れておいたビールを一口飲み、ヘッドフォンで耳を塞ぐ。僕と同じようなスーツ姿の男たちの賑わいに膜がかかる。影によって色彩を失い見えない明かりの点きだしたビルディングはまるで方眼紙のよう。僕は僕のための音楽を、僕の耳で聴く。ヘッドフォンで仕切られた小さなハコでロックンロールが流れ始める。アージ・オーヴァーキル。 目を軽くとじ一日を振り返る。相手のうわの空のスタイル、空返事、軽蔑を孕んだ視線、空気洗浄器に吸い取られていく紫煙がつく
毎晩、仕事帰りに通過するスーパーは「マーケティング」や「洗練」といったものとは無縁だ。青果の陳列台に突き刺さったダンボールの値札。そこにオッサン店長の手によって黒マジックで書き殴られた文字の荒々しさからだけでもそれはみてとれる。もっとも、僕が通り過ぎる時間帯になると黒マジックの文字たちは赤マジックによって修正され、荒々しさがさらに増幅している。そんな、「ギルバート・グレイプ」でジョニー・デップが働いていた店にどこか似ているスーパーの前をチャリで通り過ぎて帰るのが僕の日常だ。 事態は急変した。帰路の灯台に過ぎなかったオッサン店長のスーパーがキラキラの宝箱に一変した。今週からアルバイトの女の子が入った。「ファシオ」のコマーシャルをやっていたころの深田恭子似の女の子。高校の制服の上にエプロンを掛けてモタモタとレジ打ちをしたり、同僚のおばちゃんと笑いながら話をしたりする姿をチャリンコを走らせながら
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