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2010年9月8日のブックマーク (6件)

  • 赤い糸で、つながる小指 - OjohmbonX

    ガキのころから悪いことならたいがいやってきた。同級生のアゴをちぎったり、気に入らない教師の家族を皆殺しにしたり、市役所を爆破したりしてきた。そんな俺は中学を出て当たり前のようにヤクザになった。かえってヤクザになってからの方がおとなしくなった。むやみに人を殺さなくなった。せいぜい月イチくらいのペースだ。 けれども30になって俺は嫌気がさした。月イチペースだと62で定年としてまだあと384人も殺さなければならない。殺し過ぎじゃないか? 組のためと思ってきたがもう耐えられない。俺は組長に相談した。 「えぇーっ、お前、月イチペースで人殺してたの……? マジで……? ぜんぜん知らなかったんだけど」 「ええ。自主的に殺してたので」 「言っとくけどうち武闘派じゃないからね。『地球にやさしい21世紀型ヤクザ』がスローガンだよ。ちゃんと毎朝、朝礼で唱和してるじゃん。壁にもポップなフォントで貼ってあるじゃん。

    赤い糸で、つながる小指 - OjohmbonX
    murashit
    murashit 2010/09/08
    なんかものすごい感動した。なんなんだ。
  • トマス・ピンチョン著「メイスン&ディクスン」を読んで - 蝶人戯画録

    照る日曇る日 第368回 この万年ノーベル文学賞候補作家の作品について、格別面白いとか内容が深いとか文学史的な意義があるとか思うたことは一度もない。 ないのになぜこうやってつらつら紙面に眼をさらし続け、唐人いな米人の寝言に耳を傾けているかというと、このいかにも面妖でけったいかつ思わせぶりな作者の悟り澄ましたような面持ちについつい吸引せられて、太平洋の大波のごとく繰り出される話題と思藻と逸話と笑話と小話の数々にあだかも人参に目移りするポニーのごとく広い地球のあちらこちらに引きずりまわされているうちに、とうとうさしたる事件もカタストロフも世界革命も、ありそでなさそで黄色いサクランボの1粒も転がることなく、唐突な巻頭とおんなじ調子でこの世紀の長編大小説が忽然と終了してしまうからである。 全体の構図としては、英国から漂流してきた2人の天文学者兼測量技師メイスンとディクスンが、独立戦争以前の植民地ア

    トマス・ピンチョン著「メイスン&ディクスン」を読んで - 蝶人戯画録
    murashit
    murashit 2010/09/08
  • あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある - 回転図誌

    最後の写真をblogに掲載してから、bachihebi(仮)は長い溜息をついた。 ――やっと終わった。 達成感と言える程の感動はない。 写真を一枚撮って掲載するだけの単純な作業である。毎日続けたとは言え、たったの四ヶ月足らず。 そもそも、blogの内容は自分のモノだ。望み通り始めて、望み通り締め括ることができた。それ以上の経過は望むべくもない。 ただ、気楽だったというわけでもない。写真に添える文章が思い浮かばないまま、二時間以上も編集画面を凝視していたことは一度や二度ではない。 それなりに真剣だったのである。途中で止めようとは一度も思わなかった。心配だったのは不測の事態で中断してしまうことであり、自分の意思で止めようとする事は考えられなかった。 何故だろうか。何故、この企画を始めようと思ったのだろうか。 元は、稲の生育を毎日観察したら面白いのではないか、という位の発想だった。 だが果たして

    あとがきにかえて / 記憶の断片が行動を左右することは意外によくある - 回転図誌
  • 千の風になるためには風葬に限る百六日目 - 回転図誌

    盆に帰省した私を、兄が車で迎えに来た。その隣に兄嫁の姿を見つけて、思わず身を硬くする。 正直、兄嫁は苦手だった。 彼女は私の高校時代の二年上の先輩で、同じ部活に所属していた。華やかな容貌ではないけれど、柔らかい雰囲気の女性だった。 入部当初から、彼女はあれこれ世話を焼いてくれた。それは私だけのことではなくて、他の部員皆に対してそうだった。要するに、世話好きな女性だったのだ。 他の部員達からは随分信頼されていたが、私はそうではなかった。こちらの気持には頓着せず、ずかずかと他人の領域に踏み込んでくる。誰にも言わなかったが、そんな所が苦手だった。 彼女が傍にいると、何となく落ち着かない気分になった。居心地が悪いという訳ではないが、据わりの悪い心地がしてならなかった。 何でそこまで彼女に反応してしまうのか――それすらよく判らなかった。 だから、一年経って先輩が卒業した時には、密かに安心したことを良

    千の風になるためには風葬に限る百六日目 - 回転図誌
  • 2010-08-17 - matakimika@d.hatena 星の町

    先日の夜中、母校の小学校まで行って、そこから当時住んでた家まで下校路を通って歩く、ということをやった。毎度のことだが「ここも滅んでゆく…」みたいなことを思った。といっても、べつにそれが悪い印象ではないのだ。そうした感傷に癒しの性能があることには、歳わんと気付かんものかもな。 よく遊んだ川沿いの遊歩道も、いまでは治安が悪化しまくって、夜中一人では歩けないという話だった。まあ歩いたわけだが、野草生い茂りすぎで死角多いし、この一帯も老人が多い地域になってしまったので、強盗にとっては絶好のハイドインシャドウスポットなのかもしれん。ともあれ、ずいぶん変わった。 住宅地に点々とある商店のラインナップは、ほとんど変わってないが、リニューアルしていたり、店は古いままでも看板が新しくなっていたりする。新しい店がポツポツ増えていたのは驚いた。手芸とか。自販機も、見なかった場所に二箇所増設。べつに寂れてはいな

    2010-08-17 - matakimika@d.hatena 星の町
  • なぜYMOはスライのカバーをしたのか? - シン・くりごはんが嫌い

    もう結構前の話になるが、NHKの『スコラ 坂龍一 音楽の学校』という番組でYMOがスライ・&・ザ・ファミリー・ストーンの“Thank You For Talkin' To Me Africa”をカバーしていた。 ぼくはリアルタイムでYMOを聞いていた世代ではないし、CDもベストと『増殖』しか持ってないが、そんなぼくでも唐突に始まったこのカバーには度肝抜かれた。ボーカルレスだったが、ほぼ完コピというスタイルだったのでさらに驚いた。ある種のファンにとっては昇天モノの映像であることは間違いなく、実際Twitterでも数人「YMOのスライキター!」ってつぶやいてた人がいたくらいだ。 ただ、後で分かったことだが(だから今更書いてるんだけど)、元々この『スコラ』という番組は坂龍一が監修した音楽の百科事典『コモンズ:スコラ』の映像版として制作されたようだ。スライのカバーもその『コモンズ:スコラ』の4

    なぜYMOはスライのカバーをしたのか? - シン・くりごはんが嫌い