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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (54)

  • わたしの読みたい黄昏流星群 - 北小路ゲバ子の恋

    車谷長吉の「三笠山」は一家心中を前にした家族が京都競馬場にいき、生まれてはじめて馬券を買ってみるが、案の定ハズれて、予定通り死に追いやられる。同じく車谷「忌中」は長年連れ添った老を押入れに隠し込んだあと、はがき将棋(はがきで一手一手送り合う)の相手のもとを直接訪ねて勝負のケリをつけた後、マッサージ嬢と情交を結び、死ぬ。…これらを「文学界」掲載時に読んだ際は一級の文学と想った。いま、それらは「黄昏流星群」に想えている。ありえない偶然に賭けるしかないくらいにすり減った生活では、博打で儲けたり、偶然に知り合った若い女と性交をするなどを希望とするしかないのである。低コストで得られる仕合せに。 「あなたの風邪はどこから?」と聞かれることはあっても、「あなたの読みたい黄昏流星群は?」と聞かれることは稀であるのだが、以下、わたしがtwitterに時折に記した、わたしの読みたい「黄昏流星群」である。 同

    わたしの読みたい黄昏流星群 - 北小路ゲバ子の恋
  • 光の教会、および、いかに私がクズであるか。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○光の教会(大阪府茨木市) 晩夏、あるいは初秋、ペットボトルと文庫、写真機をコンビニ袋にいれて大阪にむかう車中、暇つぶしにケータイメモリの整理をする。イマジカFT窓口なんて二度と用事はなく、キンコーズの店舗の番号がやたらと入っているのに前職の名残りを見たりもする。国立天文台は日没の時間、国土地理院は日没の方位を問い合わせのにメモリに入れていたのだったか。もはや記憶にない。 そこには、その昔、好きだった女の名前があった。 その女を好きになったのは、女がマイノリティだったからである。私のようなどうしようもないニンゲンは、自分に自信など物ごころついた時からなくて、そんな身の上の女に、そうであるがゆえに安心感を覚え、安心して好きになれたのである。女が抱えていたであろう負い目に、私はただ、つけこんでいたのである。 そのような私は、どうかんがえてもニンゲンのクズであるに違いない。 ニンゲン性はとっくに

    光の教会、および、いかに私がクズであるか。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 映画「海炭市叙景」、その舞台である海炭市から西に40キロ、私はそこで生まれ育ったはずである。原作の文庫の解説にて、川三郎は「この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛おしくなるではないか。」と書く。架空の町に自らの暮らしをそこに見つけ出せる…ということだろう。しかし私に限ればそんなことはない。海炭市はいささか大き過ぎる。原作者の故郷・函館市がモデルであり、ロケ地であるから仕方がないのかもしれないけれども、そこは私の生まれ育った州の西端のどこよりも大きい。 プラザ合意による円高不況のあおりでコンビナートの一郭の工場が閉鎖されると、そこの家庭の子供がごっそりと消えた。麻雀や飲酒くらいしか愉しみのない高校生活を過ごしたのだが、あのままその地で暮らしていたならば、それにパチンコくらいしかくわわるものがなかったに違いない。そのような薄い絶望が約束さ

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  • 昭和百四十六年、冬、根岸にて - 北小路ゲバ子の恋

    静沙が、そいつは私のもとに来るヘルパーの女なのだが、静沙が書棚から「青い花」9巻を見つけ出しやがった。「これ、読みたかったんだ」 おいおい私のおしめを変えた手で「青い花」をさわるんじゃない。志村貴子先生のそれは石原4世により発禁処分となり、所持がみつかるとそれだけの咎で択捉島に流刑となるので、なかなか手に入らない。だから静沙にとってはお宝かもしれないが、私にとってはそれ以上のものなのである。 今日を生きられない、そんな日々、かつての私の未来には「青い花」だけがあった。「青い花」の新刊が出るのだけが未来にあった。万城目さんが「あーちゃんと一緒にいたいの」と言いだして、逗子市役所に就職した奥平あーちゃんから離れたくないがために、筑波大学を中退して横浜国立大学に入り直す9巻、これにどれほど涙したことか。 それを静沙に見つかっては、もう恥ずかしくて生きていはいけない。 … 死のうと想った。しかしま

    昭和百四十六年、冬、根岸にて - 北小路ゲバ子の恋
  • 告白について - 北小路ゲバ子の恋

    風俗嬢の妊娠線、履歴書の空白期間、ケータイに出るなり ふいに名乗った日名 … 想いがけないところで言葉によらない告白が始まる。そう、告白は多くにおいて異性に愛を伝えることの謂いで用いられるが、それは用途のひとつにすぎず、元活動家であること、刺青を負っていること、母親が禁治産者であること、執行猶予中であること、おっさんなのにチャットモンチーのファンであること、符の計算が出来るのは嘘であること、あるいは出産、ニート、国籍など、告白のその題材は多彩であるし、冒頭に記すように形態とて多様である。 ブログの文章の一端が、掲載された写真に入り込んだ何かが、エントリ旨とは別のことを告白し始めることだってある。 そのうちIDごと消えてしまうのではないか、と不安を覚えさせるようなブログに惹かれる。言わなくていいこと、撮らなくていいこと、そのようなもろさのうえに立つそれに。そう気づいたのはこちら様のブログ

    告白について - 北小路ゲバ子の恋
  • 面影ラッキーホールの新曲 urbansea on twitter - 北小路ゲバ子の恋

    *1 夏でも長袖で若気の至りのイレズミ隠していた私、なのにうかり腕まくりしてしまい娘のお友達にそれを見られて、ああ、つい、魔が差して、首を絞めてしまった、夕立のあと これなあにと使用済みのオカモトを手にした私は平手打ちに泣く。テーブルの上でにぶく光るプッチンプリンのカラメルに見た夢の続きが見たい。 スナックで働くことになった私に、『カラオケとかするんだろ?』とブックオフで買った浜崎あゆみのリミックス盤を渡され、これじゃ唄えないわよとキレたら、DV受けた。蚊取り線香の匂いだけがやさしかった夏。 あの子、また『アサヤン』のモー娘オーディションでいいところまでいった話してる。でも指名の数は私の方が上なんだから。ローションでかぶれた腕がかゆい。 『ポンキッキポンキッキうるさいよ。ここはフジテレビは映らないの』 都会から来た甥っ子に殺意を覚える盆休み。今年の四国勢は2回戦で消えた。 二つ折りのソー

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  • いまさら加藤 - 北小路ゲバ子の恋

    州の西端で私は育つ。進学校にはいると即座に麻雀を覚えた。まだ週休二日ではなく、土曜日は午前で終わり、自転車で帰る途中、ポプラに立ち寄り、弁当と週刊文春(この地では木曜日でなく土曜日発売であった)、時にはザ・ベスト、あるいはスコラも買っていた。自宅にもどると半ば寝たきりの祖母に挨拶をし、雑誌を読みながら弁当をって仮眠をし、それから中学時代の、というよりも幼稚園・小学・中学が同じだった者の部屋に行き、同様の者たちと麻雀を打った。そんなのがずっと続いた。もちろん永遠にではない。私は進学により都市に行かねばならなかった。それ以外の希望などなかった。その地のラジオ局はオールナイトニッポンは一部しか放送していなかったので、中高生たちは3時になると朝鮮半島からの電波と戦いながら1242を探り当てなければ、二部を聴くことができなかった。探偵ナイトスクープはなぜかそうそうに番販がなされ、私は88年から見

    いまさら加藤 - 北小路ゲバ子の恋
  • 虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋

    夜の学校「トゥナイト2」のMCはすでに斎藤陽子だった。二十世紀、夏、深夜。西武新宿線都立家政駅の北口にある古屋で、電気グルーヴ「DRAGON」の中古と一緒に買ったと記憶する。「別冊宝島143競馬名馬読」。いまだに表4には400円の値札が貼ったままになっている。 「DRAGON」を聴きながら「信長の野望」だかなんだかに明け暮れ、つかれると「競馬名馬読」をめくった。つまらない生活だった。「DRAGON」の最終曲「niji」の、長い長いイントロと石野卓球のパートを終えて、4分40秒、五島良子の儚げな声が流れはじるのだけが希望だった。いや、もうひとつの希望があった。「競馬名馬読」の、山隆司「虹の彼方の希望 オーバーレインボー」*1である。出身地が同じで、おまけに麻雀と競馬と映画に憑かれた山隆司に、自らの希望をむりやりに見つけ出そうとしていた。ようするに愚か者であった。いずれにせよ、

    虹の彼方 - 北小路ゲバ子の恋
  • 田中美栄子と存在しない二十世紀の記憶 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 初夏  暮れ方  校舎の隅  暗室  現像液の匂い 浮き上がる田中さん きんこんかんこん 「もうすぐ下校時刻です」 定着した田中さん 存在しない二十世紀の記憶 下校 自転車 レイダック にわか雨 前をゆく田中さん ずぶぬれ 肌にはりつくブラウス 浮き上がるブラジャー いつまでも追い抜かない 存在する二十世紀の記憶 *2 四月の終わり 土曜日 蜜柑の皮 マザーアクトレス 外堀沿い 立て看板 ジャズトランペット あいうえおあお 学生会館 反帝反スタ カクマルセンメツ サークルの部室 麻雀 映りのわるいテレビ 麻雀 競馬中継 吉沢さんの訛り トップガンの追い切り映像 麻雀 日刊ゲンダイ それいけ大将 明日の馬柱 麻雀 缶ビール メジロランバダ流しの紙切れ 麻雀 缶ビール 日が暮れる 私の中の、美しい競馬。 冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。俺にとって大井競馬場というのはいち

    田中美栄子と存在しない二十世紀の記憶 - 北小路ゲバ子の恋
  • 三島の鰻 - 北小路ゲバ子の恋

    あの日、三島へは新幹線でいき、東海道線で帰った。 だらけた季節を一緒に過ごした私たちは、東海道線で戻ることを選んだ。新幹線でさっさと帰京し、八重洲で呑めばいいものであろうけれども、葬式帰りゆえに呑むことに抵抗があったのも確かで、別れがたいのも確かで、ゆえにだらだらと電車で昔のような時間を過ごしたかったのだった。 斜向かいに座る女は葬式で泣いていた。この女は私が死んでも泣くだろうか。などと詰まらないことを想いもした。もう3年前であったならば、試しに死んでみたかもしれない。しかしその当時の私にはそのような余裕など既になかった。 ばか話に興じるうちに神妙になどしていられなくなり、結局は品川で下車して呑み始めたのであった。JR三島駅にむかう途中の鰻屋がいけなかった。さっきの鰻屋、妙にひかれるものがあんな、などと誰かが言いだし、こないだ鰻屋で白焼きを肴にビールを呑み、それでもって大人になったような気

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  • 安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。 - 北小路ゲバ子の恋

    「気持ち悪いなんて思わないで」と万城目さんは言うけれども、私だってそういいたい。安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。…… いや、それは無理だろう。日曜日の午後、来は平和島競艇にいるべき風体の男が、アイスカフェラテをすすりながら「青い花」1巻を読んでいていいはずがないではないか。書店のレジの女がカバー附けますかと聞いてきたのだが、それを断ったのが失敗であった。お嬢さんの言う通りにカバーを附けるべきであった。予備校の教室で柄谷行人「マルクスその可能性の中心」の後ろの方にある武田泰淳論を読んでいたらば共産主義者と勘違いされたことを想いだしたりもする。たしかに私は野坂参三好きだが、山中貞則の方がもっと好きなのに。 アニメも見なければ(こないだ「けいおん!」を見たけれども)、漫画も中崎タツヤくらいしか読みもしない、そんな私が「青い花」に夢中

    安コーヒー屋で三十半ばの男が「青い花」1巻を読んでいたって、気持ち悪いなんて想わないで欲しい。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 大久保/代々木/西新宿 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2010.01 大久保(東京都新宿区) あの頃好きだった女には、今も、えくぼができるのだろうか。 「ラブプラス」とかいうゲームには、えくぼのできる女はいるのか?「けいおん!」には? ○2010.01 代々木駅(東京都渋谷区) 女は歯の矯正をしていた。うっかり笑い、私の視線が口元に向いたのを感じてあわてて口を閉じる、その仕種が好きであった。 「ラブプラス」とかいうゲームには、歯の矯正ブリッジをしている女はいるのか?「けいおん!」には? ○2010.01 西新宿(東京都新宿区) 高校を出て以来、女とは一度あったきりであるのだが、おそらくはもう会うことはないだろう。最後に顔を合わせたのは同級生の通夜であった。直感的にもう会うことはないだろうと想ったのだが、やはり会うことはない。 女は今、国家機関で働いているという。そういうことである。

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  • 1984.08.20 - 北小路ゲバ子の恋

    出不精の子供であった。夏休みは「アフタヌーンショー」を見るための日々であった。そんな子供であった。失踪した家族に呼びかける特集、スタジオに殺人現場のセットを組んでの検証etc、稲川淳二の生き人形の語りもこれでみたと記憶する。来る日も来る日もスプライトを飲みながら「アフタヌーンショー」を見ていたのだ。州のサイハテでは「笑っていいとも」は16時からで、「アフタヌーンショー」は14時からであった。中学にあがり、ホライズンなる教科書で「afternoon」が正午の謂いと知った時は衝撃的であった。呉一郎が九州のキチガイ病院で受けたのと同じくらいの戦慄であった。あれは来、あなたの知らない世界の裏番組であったのか!と。(嘘だけど) 私の両親は歳の離れた姉たちを育てるので子育てに飽きてしまった。あるいは親、というものを姉たちを育てることで満喫したのかも知れない。一学期の終業式直後の夜、両親と姉たちは映

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  • 空 - 北小路ゲバ子の恋

    三橋歌織 「(細かい状況は)分からない。ただ一つびっくりしたのは、朝、すごく天気がよかったこと」 「彼が生きているときは、天気が良くても暗く見えていた」 「母が『明けない朝はない』と言っていて、『そんなの絶対、嘘』って思っていたけど」 「彼(祐輔さん)を殺してから、怖くて仕方なかった代々木公園がきれいに見えた」 「そのとき、(自分は)笑っていた」*1 ビートたけし あの、おれ、新宿で、大学を辞めようって決心して、いいやもう学校辞めた、って想ったときの、空の青さはたまんねえって、いまだに言うんだけど。あん時に完全に生まれ変わった…*2 母親からの仕送りで生活をし、そのような身分でありながらも馬券を買っていた私が、いわゆる自活を始めて最初に水道橋の場外馬券売り場にいった日、あれは晴れやかであった。天気が晴れていたかどうかはおぼえていないけれども。 それから曲がりなりにも映像を生業とし、恥をかき

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  • 大久保・百人町 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2009.12 大久保(東京都新宿区) 私の感覚が鈍ったのか、百人町には往時の淫猥さが潜んだ雰囲気はない。松浦寿輝「花腐し」の世界も、もうない。

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  • 太田英子との蜜月 - 北小路ゲバ子の恋

    隣り合った女の左肘と私の右肘がぶつかり、その度に互いに顔を見合わせた。左利きと右利きが隣り合ったのだから仕方がない。そんなこんなで太田英子と親しくなった。バイト先で知り合った上和田義彦君のライブに出向き、その後に催された打ち上げにのこのこと出かけた際のことである。 二十世紀のお終い近く、ふり返るにその秋は珍しく仕合わせであった。私が仕合わせだった時期などほとんどないのだから、貴重なそれである。TBSで「青い鳥」をやっていた秋である。霧に包まれた京都競馬場でエリモダンディーが京阪杯を勝った秋である。暮れには西早稲田のACTミニシアターでボリス・バルネット特集があり、中野武蔵野ホールでは黒沢清の「蛇の道」がひっそりと上映された。 そんな季節、私は太田英子と蜜月であった。 太田英子は悪い冗談のような話を始め、次第にずるずると鼻水をすするようになった。「ほら」といってシャツから肌を露出すると、そこ

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  • エヴァンゲリオンとは無縁の生活 - 北小路ゲバ子の恋

    それを放映していた当時、明治大学にすら入れなかった半端者が敗北感を背負って入学する学校に通っていた。そこに行くはめとなった夜、高卒の父親はなんだ法政かと吐き捨てるように言う始末であった。予備校の講師にロックアウトでろくに授業がないときいていたので、まあいいかと自らを慰めたのだが、実際のところはそうでもなく、とはいえ、公安の監視を遮るために飯田橋門はカクマルセンメツとペンキで描かれたベニヤ板で封鎖され、*1年に数回、警察が突入してきたりもしていて、*2小学5年で中核派ファンの私にはお誂え向きではあった。水道橋の場外で紙クズを買い込み、部室で麻雀しながら競馬中継を見ようと学館に向かっていると、「例の女」に出くわしたりもした。柄谷行人には一度たりとも会うことはなかったけれども。なにしろ学校に入っても、校舎には滅多にいかないのだから。そうだ、土曜日の昼下がり、Tシャツに軍手でタテ看を書く彼らはとて

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  • 阿佐ヶ谷ラピュタ 2003.12〜2007.06 (タテの部) - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2003.12 / 2006.04 阿佐ヶ谷(東京都杉並区) ※姉妹エントリ…ヨコの部 はじめて阿佐谷ラピュタに行ったのは1999年10月の終わり、昼間に東京国際映画祭でブレッソンの「やさしい女」を見て、続いて天皇賞にて熊沢重文が栄光をつかみかけたところで指の合間から零れ落ちていったのに落胆、そんな暮れ方に「赤軍‐PFLP 世界戦争宣言」を見に出かけたのだ。と書いたところで念のために調べると、全くいい加減な記憶であった。

    阿佐ヶ谷ラピュタ 2003.12〜2007.06 (タテの部) - 北小路ゲバ子の恋
  • 谷中・根津 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2004.05 谷中(東京都台東区) 谷中・根津は、首から一眼レフをぶらさげたブロガー様がおいでなさる土地に違いなく、私のような者が嬉々として写真をアップするような場所ではないに違いない。このあたりにいくのなら、ついでに上野桜木町一丁目にもいくことを勧める。とは言え、私がそこにいったのは四年前のこと。ひょっとすると今はただマンションが建っているだけかもしれない。 ○2004.05〜2005.12 谷中および根津(東京都文京区)

    谷中・根津 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/08/17
    東京はまだまだ知らないところだらけだ
  • 有名と無名 - 北小路ゲバ子の恋

    では残りの大多数の人間はどこへゆくのか。「無名」の世界である。 (勢古浩爾「思想なんかいらない生活」28頁) 地元(諏訪)を有名にしたかった。 ( くまぇり ) でも…だからこそ僕は勉強ばかりしていました。都会へ出るってことを周りに納得させるためには、都会にある名の知れた大学に入るってのが最良の方法に思えたから。 (青色28号 20090511) くまぇりは「地元を有名にしたかった」と放火を繰り返した。おおよそ彼女の中高の同級生の半分くらいは、有名な土地、有名な大学、有名な企業を求めて高校卒業後に「地元」を離れたことであろう。くまぇり自身も有名になろうと、ブログで自らをひろめようとし、週刊SPAのグラビアに売り込み、果ては放火した現場写真をブログに載せることで「有名」を味わおうとさえ試みた。ニンゲンは有名に向かうものであって、無名な土地、無名な学校、無名な企業、無名な人生を甘受するのは、な

    有名と無名 - 北小路ゲバ子の恋