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2015年8月16日のブックマーク (9件)

  • ヒトラーはこうして独裁者に上りつめた 〜ドイツの運命を変えた1年半 【特別公開】石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』1 | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]

    ナチ党幹部たち。右から、ヘス、ヒムラー、ダレ、ゲーリング、レーム、ヒトラー、ゲッベルス、着席しているのがフリック ヒトラーの政権ができたのが1933年1月。この時点ではナチ党の単独政権ですらなかった。それがたった1年半のうちに、絶対的な権力を手中におさめ「総統」の座につく。この短期間で、ドイツは不可逆地点を越え、結果的にホロコーストへの第一歩を踏み出したことになる。いったい何が起きたのか? (*石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』より「第四章 ナチ体制の確立」を特別公開) ナチ体制の確立 これまで書では、ヒトラー政権の成立(1933年1月30日)にいたる経緯と背景を検討してきた。この日から、ヒトラーが首相と大統領の地位と権限をあわせもつ絶対の「指導者」(フューラー・ウント・ライヒスカンツラー、以下、総統と記す)に就任する34年8月2日までは、振り返ると実に恐ろしい1年半だ。あれよあれよとい

    ヒトラーはこうして独裁者に上りつめた 〜ドイツの運命を変えた1年半 【特別公開】石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』1 | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]
  • 【速報】佐野研二郎に『猫デザイン』をパクられた俣野温子氏「私がこのデザインを描いたのはすでに20年以上前。認めないという佐野さんの認識は少しご自身に甘い」 | 保守速報

    884:名無しさん@1周年:2015/08/16(日) 10:53:08.25 ID:52ynBGHw0.net のパクリ元俣野温子さんブログ更新 2015.08.16 Sunday 悩みましたが書くことにしました。 お盆休みの前の日に、降ってわいたようにネットに私の名前が出てきました。 ずっと私のシンボルマークのようになっているポケットから 黒が顔を出しているデザインを、 オリンピックエンブレムをデザインした 佐野研二郎さんが盗用した疑いがあるという記事が、 あちこちに出回っていたのです。 私がこのデザインを描いたのはすでに20年以上前。 以来ずっとポケットから黒の顔が半分出ている デザインの商品は 数え切れないほど作ってきました。 最初のころはエプロンやパジャマのポケットから 黒が顔を出しているもので そのにはヒゲも鼻もありましたが 少しずつ変化して、今ではヒゲも鼻もなく た

    【速報】佐野研二郎に『猫デザイン』をパクられた俣野温子氏「私がこのデザインを描いたのはすでに20年以上前。認めないという佐野さんの認識は少しご自身に甘い」 | 保守速報
    nashika-ryo
    nashika-ryo 2015/08/16
    "私はこれからも愚直に丁寧に ただ、ものつくりと静かに向き合っていきたいです。 "…同意。作品がクリエイターの言葉だし、言い訳したらクリエイターとして敗北だよね。
  • 「未来永劫、謝り続けるのは違う」 自民・稲田氏:朝日新聞デジタル

    稲田朋美・自民党政調会長 日中国交正常化以降のODA。そして、韓国との国交正常化、その際にも、韓国の予算で約1・5倍の経済援助。そして何よりも、戦後日が一度も戦争をせずに国際貢献を続けてきたこと。私は戦争の解決は国際法上の平和条約がすべてであり、未来永劫(みらいえいごう)、謝り続けるのは違うのではないかと思っております。 政治家には国家観が必要だと言われます。国家観は、やはり歴史観がなければ語れないと思っております。1928年の不戦条約以来の東京裁判で裁かれた日歴史、満州事変以降の日歴史について、占領期間も含めてきちんと自分たち自身で総括し、検証し、何を反省し、何を未来に生かしていくかということを政治家自身がきちんと踏まえる。私は、党内にそういった検証と総括の機関をつくろうと思っております。(靖国神社であった日会議の集会で)

    「未来永劫、謝り続けるのは違う」 自民・稲田氏:朝日新聞デジタル
    nashika-ryo
    nashika-ryo 2015/08/16
    "日本の歴史について、…政治家自身がきちんと踏まえる。私は、党内にそういった検証と総括の機関をつくろうと思っております。"←名称は、「歴史決定懇話会」でおk?(文化芸術懇話会のもじりのつもり)
  • 【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」

    画集「NO WAR!」より。Untitled 2004-2005 (c) Yoshitomo Nara, courtesy of the artist 終戦から70年という節目の年、安倍政権が進める安保関連法案は国民的な議論を呼んでいる。この夏、私たちは戦争や安全保障についてどう考えたらよいのだろうか。2014年末に戦争をテーマにした画集「NO WAR!」(美術出版社)を上梓したのは、国際的な現代美術家、奈良美智さんだ。 私たちは奈良さんの画集からかつてないほどの強いメッセージを受け取ることができる。東日大震災や福島第一原発事故を経て、原発再稼働、安保関連法案など、「世の中の流れを見ている時に、このままだと、おかしくなっちゃうんじゃないかと不安をすごく覚えた」という奈良さん。前半のインタビューでは、画集を出したきっかけを『「僕はこういうことを考えてきたんだよ」っていうふうに出してもいいん

    【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」
    nashika-ryo
    nashika-ryo 2015/08/16
    "東京タワーって、…朝鮮戦争でスクラップになったアメリカ軍の戦車が使われてるんです。"いろいろな表象としての「東京タワー」…。別の表象として「陸奥鉄」を思い出す。
  • 中東から「平和の国」日本へ(川上泰徳)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    私は中東のエルサレムで戦後70年を迎える。どこに目を向けても戦争や紛争が日常の風景になっている中東。ここから日を見ると、70年間、一度も戦争をしなかった国があるなどとは信じられない。逆に平和と繁栄が当たり前の日から見れば、中東ははるか遠い世界であろう。しかし、日はかつてアジアの国々を侵略し、国際社会と対立した軍事国家だった。いま中東で歯止めなく武力や暴力を行使する政府軍や過激派の姿は、かつての日の姿でもある。 Photo by 特輯満洲事変大写真帖 私は長年、中東でジャーナリストとして働き、暴力が暴力を生むという負の連鎖をいやというほど見てきた。米国が始めたイラク戦争は、その最たるものである。世界最強の軍隊が8年間の「対テロ戦争」で4400人の兵士を失った。戦争の巻き添えになったイラクの民間人の死者は公表された集計で15万人。50万人以上という推計もある。戦争はさらに血みどろの宗派

    中東から「平和の国」日本へ(川上泰徳)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    nashika-ryo
    nashika-ryo 2015/08/16
    "しかし、アラブの若者たちはいまなお「日本のような国をつくりたい」と語る。"これを読んで、居心地の悪い、そわそわした気持ちになった。…なぜだろう。
  • 明日から一週間ほど留守にします - しいたげられたしいたけ

    はてなダイアリー」はともかく、こちらのほうは一週間どころか何か月も平気で放置してますが、その間ブログ巡回とブックマークコメントと「はてなスター」が滞ります、という告知として。 滅多に遠出しない私にしては珍しく、海外旅行です(^^)

    明日から一週間ほど留守にします - しいたげられたしいたけ
  • 【戦後70年】諜報、情報収集力の重要性痛感 元陸軍少尉「敵を知らずに戦争突入した」 近衛元首相長男「教訓」次世代に託す(1/3ページ)

    終戦から70年を迎えた15日、東京・靖国神社は深い祈りに包まれた。「負けるべくして負けた戦で、多くの有為な人材を失った」。陸軍少尉として土決戦に備えているとき、終戦を迎えた和田泰一(やすいち)さん(90)=東京都品川区=は、悔しさを胸に戦後を生きてきた。静かに手を合わせながら「今日の繁栄があるのは英霊のおかげ」とかみしめ、次世代の人たちに祖国の未来を託した。(池田祥子) 日露戦争当時の武器 70年前と同じように、朝から蝉時雨が降り注いでいた。15日早朝から、長い九段の坂を上って人々が靖国神社(東京都千代田区)に参った。社頭に続く長い列の中に和田さんの姿もあった。 昭和20年8月15日。鹿児島・志布志湾で土決戦に備えていた。陸軍士官学校(第58期)を卒業後、少尉に任官して約2週間。陸士での作戦立案の課題は、勝つためではなく「何日もたせるか」が主題だった。 鹿児島でも武器の一部は明治時代の

    【戦後70年】諜報、情報収集力の重要性痛感 元陸軍少尉「敵を知らずに戦争突入した」 近衛元首相長男「教訓」次世代に託す(1/3ページ)
  • ヒトラーはどうやって議会政治を「合法的に」解体したか 【特別公開】石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』2 | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]

    1933年1月のヒトラー政権誕生後、わずか「半年」の間に、ヴァイマル共和国の議会制民主主義は、ナチ党の一党独裁体制に取って代わられた。しかも「合法性」の装いを維持しながら……いったいなぜそんなことが可能になったのか? 鍵を握るのは、ヒトラーがすべてを賭けて手に入れたかった「全権委任法」である (*石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』より「第四章 ナチ体制の確立」を特別公開) ←前回はこちら 3 授権法の成立 授権法 ヒトラーがすべてを賭けて手に入れたかったもの、それは授権法だった。 授権法は、「全権委任法」とも呼ばれる。それは、この法によって立法権が政府に託されるからである。首相は国会審議を経ずにすべての法律(予算案を含む)を制定できるようになる。近代国家を特徴づける権力分立の原則が壊され、行政府の長=首相への権力集中がなされる。しかも政府には「憲法に反する」法律を制定する権限までも与えられ

    ヒトラーはどうやって議会政治を「合法的に」解体したか 【特別公開】石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』2 | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]
  • 天皇陛下おことば「深い反省と共に」 NHKニュース

    終戦から70年を迎えた15日、天皇陛下は、全国戦没者追悼式でのおことばで、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、新たに「さきの大戦に対する深い反省と共に」ということばを加えられました。戦没者追悼式での天皇陛下のおことばに「反省」ということばが盛り込まれたのは初めてです。 天皇陛下は例年と同様、冒頭で「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」と述べられました。続いて戦後の日の歩みを振り返る際、例年のおことばに多くのことばを足して、「国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません」と話されました。 そのうえで、戦没者を追悼し平和を願う結びの一文に、新たに「さきの大戦に対する