ドットインストール代表のライフハックブログ
前の記事 日本にある「世界最大の耐震実験施設」で、木造7階建の試験(動画) 視覚障害の写真家たちと、撮影を可能にした諸技術 2009年7月23日 Brian X. Chen Photo:Alex Dejong プロの写真家であるAlex Dejong氏は、3年前に脳腫瘍のために視力を失った。同氏はその後も芸術を生み出すために、各種のガジェットを選んだ。 携帯電話『Nokia N82』を持ち歩くDejong氏は、支援ソフトを使って、さまざまな環境情報を、自分の心の中の映像に置き換えていく。 『Nokia N82』は視覚障害者支援に対応している。N82でサポートされている『vOICe』アプリケーションは、内蔵カメラで検出した光を解析し、その明るさなどに応じて異なる音を出すことにより、視覚障害者が「音で見る」ようにするものだ[NY Timesの記事によると、明るさは音量で表し、高さはピッチで表す
「電話の進化に一石を投じたかった」――通信機器開発のエイビット(東京都八王子市)がワイヤレスジャパンで展示していたのは、ペアになった端末同士だけで通話できるPHS「ペアフォン」の試作機だ。親子のホットラインや、高齢者向け端末として使ってもらう考えだ。 端末中央の丸い通話ボタンを押せば、対になった端末に電話がかかる仕組み。通話ボタンと終話ボタン、電源ボタン、音量調整ボタン、スピーカーとマイクのみを搭載し、液晶画面やダイヤルボタンは付いていない。通話は3分間まで。 サイズは45(幅)×20(厚さ)×73(高さ)ミリと、子どもの手にもすっぽり収まる大きさだ。防犯ブザーも内蔵し、下から出ているひもを引けばブザー音が鳴る。単4形乾電池×2で駆動する。 ペアの端末にしかかからないため、知らない人から電話がかかってくる恐れもなく「安心、安全に電話でやりとりできる」(担当者)としている。 子どもと親や、高
政治家のあいだにも浸透中のインターネット上で短い文章を“つぶやく”サービスを選挙運動で利用することについて、政府が「公職選挙法に違反する」との答弁書を閣議決定したことが話題を呼んでいる。弊紙が決定の背景を独自に取材したところ、違反認定の根拠となったのは 「“ヒウィッヒヒー”なんて名前は心を病んでいるとしか思えない」 という指摘だったことがわかった。 ヒウィッヒヒーはロマンスの神様も利用するなど急速に普及しているWebサービスで、国会議員が議事の実況中継に使い政治にまで活用される事例が増えていた。政府筋によれば、21日の閣議では各大臣から「アイコンが“ヒヒヒ”だったり、“ヒウィッヒヒー”とかいう名前はちょっとおかしいんじゃないか」と質問が相次ぎ、管轄の舛添要一厚労相が 「悪いクスリかハッパをキメて精神に異常をきたすと、こういう言語障害が起きることがある。ヒウィッヒヒーも同様のものだろう」 と
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
プロフィール マルコ フリーライター/BL研究家やってます。お仕事のご依頼、ネタのタレコミはメール、またはtwitterあてにお気軽に。お仕事について詳しくはこちら。 メールアドレスはma-cafe@hotmail.co.jp 書いている人のことがなんとなくわかる記事↓ 生きていく上でまったく知る必要のないボーイズラブの最新事情まとめ ダニに噛まれたと思っていた脇腹の傷が、とんでもない病気だった話 テニスの王子様は18年でどれだけインフレしたのか 【2009年7月21日】 深く考えるとちょっと怖い恋愛アドベンチャー「サイキン恋シテル?」 読者の方からネタのタレコミをいただきました。 その情報によると、何やら怪しいゲームがニンテンドーDSで発売されるとのこと。さっそく公式サイトを見に行ってみると……。 「サイキン恋シテル?」という女性向けの恋愛アドベンチャーゲームでした。左下の半裸の男性キャ
二日ぶりに学校に来て自分のブログを開くと、すごいことになっとる。やったね!ブクマ自己新更新♪……と喜んでもいられないことを、コメント欄とブクマページを開いて気づく(それにしても更新する度にページビューが何十も増えているのは、初体験だが不気味である)。 正直、読んでいてがっかりした。うんざりである。最近わけあって村上春樹の作品を読みあさっているのだがまさにこの状況、村上春樹的な「やれやれ」、である。 ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「伯父の家族エピソード」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の本質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。なのに、書いた本人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。僕はこの状況に、うんざりする。「木を見て森を見ず」とはまさにこのことではないだろうか。 「読みの多様性」や「創造的な
こないだ学食で、同じ研究室所属の後輩四人が飯食っているところを遠巻きに目撃したのだけれど、その輪の中に入ろうか入るまいか迷ったあげく、結局最初っから知らなかったフリをしてそこを後にした。 今年で、この大学のキャンパスで過ごす夏は六回になる。6年生にもなると、本人がどう思おうと、周囲からは多少でも敬われてしまう。 なんつーか、僕が輪に入っただけで場が変わってしまうのがわかるわけだ。 その彼らは学部の3年生だから、現役だと仮定すると年齢、学年で3年違う。3年というのは、社会に出てしまえばそれはそれでちっぽけな差なのかもしれないが、幸か不幸か僕の後輩君たちは、その辺の礼儀ができているほうなため(政治が巧いと言うべきか?)、そんな「ちっぽけな差」であろうと、大切にしてくれる。変な話、確実に場が「あらたまってしまう」のだ。 僕にとっては、それはそれで困ってしまうのだ。これはまるっきり「シュレーディン
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