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ブックマーク / apeman.hatenablog.com (13)

  • 「河野談話」について知っておくべきたった六つのこと(三分で読めるよ!) - Apeman’s diary

    法華狼さんのエントリ「橋下徹大阪市長はデマを根拠に従軍慰安婦問題へ言及していたことが確定」に付け加えるべきことはほぼないのですが、なにしろこの件について橋市長や池田信夫の主張に頷いちゃうような人々は肝心の「河野談話」すら読んだことがないのはほぼ確実なので、要点をぐっと抽出してみました。 (1)「河野談話」は「慰安婦」のすべてが「強制連行」されたと言っているわけではない(「人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」) (2)「河野談話」は「強制連行」のすべてが官憲によって行なわれたと言っているわけではない(「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たった」) (3)「河野談話」は“銃剣を突きつけて無理矢理トラックに乗せる”ようなケースだけが「強制連行」だと言っているわけではない(「甘言、強圧による等、人たちの意思に反して」) (4)「河野談話」は「強制連行」だけが人権侵害だったと言

    「河野談話」について知っておくべきたった六つのこと(三分で読めるよ!) - Apeman’s diary
  • 大江・岩波訴訟、高裁判決が確定 - Apeman’s diary

    asahi.com 2011年4月22日 「「沖縄ノート」訴訟 集団自決の軍関与を認めた判決確定」 判決の内容は「原告の事実誤認などの主張は、上告が許される場合にあたらない」として上告を棄却したものですから、各争点について新しい判断が下されたわけではなく、また予想に反するような判決でもありませんので、事実上は二審判決が出た時点で決着していた問題ではあります。

    大江・岩波訴訟、高裁判決が確定 - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2011/04/23
    id:mujin新聞の元記事の書き方が悪いですが、「原告の事実誤認などの主張」というのは「高裁判決の事実認定が誤っている」と上告人(一審原告)が主張した、という意味だと思われます。
  • 「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary

    この番組について書く前にとりあげたいもあり、また第3回、第4回も見たうえで評価したいということもあって、とりあえず思ったことを漫然と書いておくことにする。 1月16日に放送された第2回「巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」について、hokusyu さんが次のようにコメントしておられる。 昨日のNHK戦争話は、まあ実証歴史学の罠というか。よくあるホロコースト機能派批判がそのまま通用してしまう感じ。つまりカタストロフがあたかも「運命」であったかのように物語られることですが。 (http://twitter.com/#!/hokusyu82/status/26857725812019200) たしかに「暴走のメカニズム」といったタイトルは視聴者にそうした「物語」を暗示しかねない。第1回の導入部では当時の軍・政府関係者の戦後の発言が紹介されていたが、佐藤賢了の次のような発言*1は「カタストロフ

    「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」第1回、第2回を見て(追記あり) - Apeman’s diary
  • ボールは菅政権に投げ返された - Apeman’s diary

    今日の朝日の報道ではアメリカのキャンベル国防次官補が普天間飛行場の移設について「我々は再び期限や時期を設けることはしない」「我々は、これは日の国内問題と認識している」と発言したとされていますが、来日していたゲーツ国防長官はもっと踏み込んだ発言をしていたようです。 New York Times, January 13, 2011, "Gates Signals U.S. Is Flexible on Moving Air Base in Japan" TOKYO ― Striking a conciliatory tone on an issue that has divided Japan and the United States, Defense Secretary Robert M. Gates said Thursday that the Obama administration

    ボールは菅政権に投げ返された - Apeman’s diary
  • 「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary

    cf. http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101212.html , http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__101215.html 多くの民衆は、戦争と敗戦にいたる過程を「ダマサレタ」という論理でとらえて納得したが、そこには戦争責任をみずからのものとする意識が欠落しているとともに、旧い価値とのふかい内面的な対決を経ないままに、いち早くあたらしい価値を受容してゆく姿態が表現されていた。 どうです? 1990年代の匂いがぷんぷんしませんか? アイデンティティ・ポリティックスにうつつを抜かすクサレ文化左翼の言いそうなことじゃないですか? 出典は1971年刊の『講座日史8』(東京大学出版界)が初出の、安丸良夫著「戦後イデオロギー論」(『日ナショナリズムの前夜 国家・民衆・宗教』、洋泉社MC新書、263ページ)。ちなみに「階級」

    「国民」の戦争責任について - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/12/20
    コメント欄も。
  • 「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary

    ツイッターではすでに指摘しておられる人もいるが、念のためこちらでも。「最終(的)解決」という用語は日の同盟国であったドイツの国家犯罪の(当事者が用いた)婉曲表現であるがゆえに注意を要するものではあるが、戦後補償問題という文脈においてはより切実な問題がある。先日、名古屋空襲で両足を失った女性の妹の「国は戦災傷害者が死ぬのを待っている」という言葉(を伝える記事)を紹介した。名古屋空襲の被災者は他地域の戦争被害者とともに今年「全国空襲被害者連絡協議会」を結成して国に補償を求める活動をしているが、国内外で公的な補償を求めている人々が共通して口にするのが「日政府はわれわれが死ぬのを待っているのではないか?」という言葉だ。日政府の中で特定の個人が明確にそうしたことを意識して対応を決めているかどうかは別として、従来とおりの不作為を続けることがどのような結果につながるかは明白である。したがって、戦後

    「最終的解決」はむしろ現在進められつつある - Apeman’s diary
  • 「なぜ助けたのか?」という問い - Apeman’s diary

    先月末に放映されたETV特集「シンドラーとユダヤ人〜ホロコーストの時代とその後〜」に登場する生存者の一人は、「なぜシンドラーはユダヤ人を助けたと思いますか?」という質問に対し、私はそんなことは尋ねるなと言うことにしている、「なぜ?」と問われると不快になる、という印象深い答えを返していた*1。その意味するところを彼自身が明示的に語っているわけではないのだが、次のような解釈が頭に浮かんだ。 あの時代においてユダヤ人を助けることは、彼らを見捨てたりあるいは積極的に殺害に加担することに比べれば遥かに困難なことであったから、「なぜ助けたのか?」という問いが出てくるのは当然のことに思える。だがその問いは、来問われるべき「なぜ助けなかったのか?」という問いを背景に退けてしまいかねない。彼らが助けられることに理由など必要なかったはずであるにもかかわらず。 *1:このやり取りは、上記番組の短縮版である「ホ

    「なぜ助けたのか?」という問い - Apeman’s diary
  • 河村たかし議員(民主)の質問主意書 - Apeman’s diary

    ※南京事件についての政府見解を引き出した質問主意書の内容 先日コメント欄で Hawk さんからご紹介のあった、南京事件に関する政府の最新の見解、 政府は22日の閣議で、日中戦争中の南京大虐殺について「旧日軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」との答弁書を決定した。同様の見解は外務省のホームページにも掲載されている。 答弁書は「外務省として当時の関係者に直接聞き取り調査を実施したことは確認されていない」としながらも、「これまで公になっている文献などから総合的に判断すれば、否定できない」と指摘。 ただ中国の南京大虐殺記念館に展示されている当時の「写真」については「事実関係に強い疑義が提起されているものが含まれている」と同記念館に指摘したことを明らかにしている。 だが、質問主意書を出したのが民主党の河村たかしということで、従来の見解を再確認させることを

    河村たかし議員(民主)の質問主意書 - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/11/05
    河村たかしの脳の腐りように呆れて言葉が出ない。まさに恩知らず。
  • あえて邪推してみるなら - Apeman’s diary

    田母神閣下をかついだ右派のデモについて、ネットで「日のマスコミがこれを報じないのはおかしい!」云々と言われだしている件について。 別にマスメディアの中の人々の行動原理についてよく知っているわけではないのだけれど、仮に取材し報道するのに必要なリソースが充分にあってなおかつスルーする理由というのをあえて考えてみると、「もしあんなデモ報道しちゃったら、“噴き上がっている中国VS冷静な日”という図式が台無しじゃないか!」というのを思いついた。

    あえて邪推してみるなら - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/10/18
    コメント欄”結局マスメディアは排外主義的な主張、歴史修正主義的な主張を自らの責任において批判する気がない、ということじゃないでしょうか。”
  • 「龍馬人気」に疑問 - Apeman’s diary

    昨年の総選挙前に、地元の候補者への「尊敬する人物」というアンケートへの回答をブログのネタにしたことがあったが、そのときにも複数の票を集めていた坂龍馬。その龍馬人気について10月5日の朝日新聞(大阪社)朝刊オピニオン欄で野田正彰氏が「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」「軍国主義に利用された過去も。勝手な使い方はもうやめよ」などと批判的なコメントを。 ――坂龍馬はなぜ、こんなに人気があるんでしょうか。 「龍馬とは青春像そのものです。30代前半で暗殺されてしまって、中年以降がない。もし龍馬が明治維新以降も生きていたら、時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかったと思います。(後略)」 ――いつまでも龍馬のように若々しくいたい。それはいいことなのでは? 「いえ、成熟拒否です。来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは、申し訳ないで

    「龍馬人気」に疑問 - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/10/09
    いまだに「改革」に夢見る龍馬ワナビーうざい!!現実見ろ!!/エントリそのものは抑え目なのに、コメント欄及びブクマコメの皆さんが熱すぎて、禿同しつつ笑った…いやーみんな(私も)溜飲下げてんだろなー
  • 「連帯責任」じゃありません - Apeman’s diary

    松尾匡氏が当ブログに言及しておられるということをこちら経由で知る。 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100820.html 「読んでない」と公言しているのタイトルをパロッたエントリタイトルだったので恐縮してしまうが、内容を拝見すると一連の経緯についてやや誤解があるようなので。なお、執筆意図について丁寧に説明していただいた点につき最初に謝意を述べてさせていただきます。 簡潔な文章なので、目を通していただきたいのですが、いわゆるリフレ派の中にいる金子洋一議員が、「日韓併合は悪くない」的立場の言動をしていることに、demianさんが、言わば「連帯責任」を負わされているようです。 むしろ順番は逆です。私にとってきっかけになっているのは次のようなやりとり。 https://twitter.com/hatenademian/status/20716049671

    「連帯責任」じゃありません - Apeman’s diary
  • 「日本と朝鮮半島」第4回 - Apeman’s diary

    7月25日(日) 午後9:00〜午後9:55 NHK総合 「NHKスペシャル プロジェクトJAPAN シリーズ日と朝鮮半島 第4回」 “在日コリアン”の法的地位。その原点はGHQ占領期にある。敗戦後“在日”の多くが在日朝鮮人連盟(朝連)を軸に、民族教育を求めた。しかし、GHQは冷戦の中で共産主義の運動と警戒を強め、1948年、神戸に非常事態宣言を発令し「阪神教育闘争」が起きる。一方、日政府は「外国人登録令」をだし“在日コリアン”を外国人と見なした。GHQ文書や証言を基に“在日コリアン”をめぐる政策がつくられていく過程を追う。 http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=202&date=2010-07-25&ch=21&eid=25894 追記:私の知識ではこの番組の“出来映え”について論評することはできないけれども、冒頭、解説委員

    「日本と朝鮮半島」第4回 - Apeman’s diary
    quagma
    quagma 2010/07/27
    コメント欄も。
  • 「日中歴史共同研究」への識者評 - Apeman’s diary

    「日中歴史共同研究」については案の定産経新聞が熱心に報じているので助かりますね。 【日中歴史研究】私はこう読む 現代史家の秦郁彦氏 「日弾劾色」に変化 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010010002-n1.htm 南京事件について、中国側の報告書は典拠を明らかにした事実関係の記述にほぼ終始しており、日の弾劾から始まるプロパガンダ色が強かった従来の歴史論文と比べると、大きく変わったという印象を受ける。 事件の事実経過に限れば日側とほぼ同じと言っていいが、大きく違うのは「30万人以上」とする被害者総数だ。報告書では中国側の軍人参戦者を計15万人とし、市民の被害者については、ほぼ唯一の推計である「スマイス報告」から約3万人とする数字を挙げている。しかし、これだと軍人が27万人殺されたことになり、15万人の参戦

    「日中歴史共同研究」への識者評 - Apeman’s diary
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