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アジア太平洋戦争に関するquatrosheのブックマーク (39)

  • 沖縄慰霊の日:「絶対生きろ」投降促した知事の言葉胸に- 毎日jp(毎日新聞)

    「女、子供に敵は何もしないから君たちは最後は手を上げて出るんだぞ」。沖縄戦の組織的戦闘が終結したといわれる1945年6月23日の直前、当時の島田叡(あきら)知事=兵庫県出身=から掛けられた言葉を胸に、県警察部職員だった山里和枝さん(85)=うるま市=は戦後67年間を生きてきた。島田知事はその後、沖縄島南部・摩文仁(まぶに)の軍司令部壕(ごう)に向かい、消息を絶った。語り部として戦争の悲惨さを訴え続ける山里さんは言う。「知事は私に『絶対に生きろ』と言ったんです」 45年5月、沖縄守備軍司令部が置かれた首里にほど近い県庁壕に、海軍から県庁職員を看護要員として派遣するよう要請があった。県警察部職員だった山里さんはすぐに応じた。「どうせ死ぬ命。少しでも役に立って死にたいと思った」 だが、たどり着いた海軍壕(豊見城=とみぐすく=市)は「地獄」だった。病棟には薬も包帯もない。治療どころではなく、壕外

  • 47NEWS(よんななニュース)

    イメージと違ったトランプ支持者、人口250人の町で見た「草の根民主主義」 アイオワ州の町長宅で開かれた共和党員集会【混沌の超大国2024 アメリカ大統領選③】 ソウルよりも平壌の方が近い韓国の島、その北方の海に大量の砲弾が撃ち込まれた 夜間は「中国の海」に?生活への影響は、住民の思いは【ルポ・韓国最前線の島】

    47NEWS(よんななニュース)
    quatroshe
    quatroshe 2012/05/24
    さて、ライカやハッセルだったらどんな対応するのかな。(え?キヤノン?何を今更)
  • 「アジア・太平洋戦争」って言いたくないだけと違うん、それ? - Apeman’s diary

    『日を滅ぼした国防方針』(黒野耐、文春新書、2002年)を読みはじめたところ、しょっぱなでつまづいてしまった。「プロローグ」は「大東亜戦争という呼称」という見出しのつけられた節で始まっている。「先の大戦」をどう呼ぶかは「戦争歴史的意義をどのように評価するかという歴史観にもとづいている」(7ページ)というのはまったくもってその通りであるし、一般によく用いられる「太平洋戦争」という呼称が「アメリカだけとの戦争という錯覚を起こしがちになる」(8ページ)というのもその通りなのだが、では著者(自衛隊出身者)がどういう呼称を選ぶかといえば、「六カ国を相手に、太平洋・東亜全域で戦われた戦争という実態をイメージできる「大東亜戦争」の呼称を使用したいのである」(同所)、ときた。 奇怪なのは「近年になって「太平洋戦争」とする呼称が定着しているが」という著者の認識。家永三郎氏の有名な『太平洋戦争』(岩波書

    「アジア・太平洋戦争」って言いたくないだけと違うん、それ? - Apeman’s diary
    quatroshe
    quatroshe 2012/04/09
    「大東亜」という呼称を好む連中から常に滲み出ているものは、日本型華夷思想(中華思想コンプレックス)。
  • 仏教者の戦争協力と「不殺生戒」 河野太通師のコラムをめぐって

    佐藤哲朗(nāgita) @naagita 中外日報8月3日リレーコラム時感断想67回『不殺生戒の意味「自性霊妙」強く自覚を』臨済宗妙心寺派管長・河野太通を読んで考えた。曰く、「達磨大師の一心戒文は「自性霊妙」からはじまる。その第一に「自性霊妙、常住の法に於いて断滅の見を生ぜざるを名付けて不殺生戒と為す」とある。(続く) 佐藤哲朗(nāgita) @naagita (河野太通 承前)十重禁戒はわれわれの心の質が元来霊妙であることを前提としている。常住不変の真実の法において、それを曇らせるという誤りを犯さない。これが不殺生戒である。単に「殺してはいけない」というのは社会の倫理道徳だ。一方、仏教の立場では常住の法においては「殺せない」(続く) 佐藤哲朗(nāgita) @naagita (河野太通 承前)のである。人々具の自性霊妙なる仏性は人為的には殺せない。「断滅の見を生ぜず」を強く自覚

    仏教者の戦争協力と「不殺生戒」 河野太通師のコラムをめぐって
  • 東京新聞:731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査:社会(TOKYO Web)

    一九八九年に大量の人骨が見つかった東京都新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地で、財務省が年明けにも発掘調査を始める。軍医学校の元看護師の女性が「人体標が埋められた」と証言した三カ所の一つで、市民団体が調査を求めていた。中国で人体実験をしたとされる「七三一部隊」との関連が指摘されてきたが、真相究明につながる可能性もある。 現場は、財務省が管理していた国家公務員宿舎跡で、八九年に国立感染症研究所を建設中、大量の人骨が発見された場所の近く。当時は新宿区の鑑定で「人骨は百体分以上」「日人とは異質とみられる人種が含まれ、ドリルや銃の跡がある」-などの見解が示された。軍医学校には七三一部隊の日での研究拠点もあったが、人骨との関連は分かっていない。 研究所用地とともに三カ所の一つだった厚生労働省宿舎跡は、今年二~六月に同省が調査し、人骨は見つからなかった。三カ所目となる今回の現場は、元看護師が「人体標

  • 大日本帝国の逸話と画像を貼っていく:哲学ニュースnwk

    2011年12月02日07:28 大日帝国の逸話と画像を貼っていく Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:10:02.97 ID:cmMZLHdr0 解説交えて紹介していきます。 5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:10:48.62 ID:qrFEvGyr0 これは期待せずにいられない 12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/02(金) 02:11:54.35 ID:cmMZLHdr0 ~撃墜王編~   坂井三郎 撃墜数は64機。僚機を失ったことがなく、これは第二次世界対戦の歴代搭乗員の中で坂井ただ一人だけ。 戦後に海軍時代の経験を綴った著書『大空のサムライ』はあまりにも有名。 超人的なエピソードが幾多も存在する。 ・昼間に星が見

    quatroshe
    quatroshe 2011/12/02
    逸話ねえ・・・終戦前、関西の老人達の厭戦気分の高まりに激怒したある国内軍司令官は、「関西の老人と子供は本土決戦の邪魔だから “処分” しろ」と参謀本部に三度意見具申して三度退けられた、みたいな話でいい?
  • 語る:加藤陽子さん 『昭和天皇と戦争の世紀』を刊行 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇不意だった開戦…心情探る 昭和天皇をテーマにした書籍が、相次いで刊行されている。戦後生まれ、気鋭の研究者による力作ぞろいだ。『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社)を著し、謎の多いその人物像に迫った加藤陽子・東京大教授に聞いた。【栗原俊雄】 日史を歴代の天皇から読み解くシリーズの第8巻。主に大正期の皇太子時代から第二次世界大戦の敗戦までを振り返っている。 序章「焦土に立つ人」の項目でまず、昭和天皇の前半生を俯瞰(ふかん)する。皇太子時代に視察した、第一次世界大戦で荒野になったヨーロッパ。関東大震災後の焼け野原。そして国破れた第二次世界大戦。天皇が激動の時代を生きたことが、改めて分かる。 大正期、発達したメディアなどによって皇太子は広く国民に親しまれた。加藤さんはその露出を、牧野伸顕宮内大臣ら宮中グループの意図とみる。「普通選挙などデモクラシーの機運は高まっていましたが、小作農民や労働者に対

    quatroshe
    quatroshe 2011/11/10
    「火事場泥棒みたい」とか言いつつ仏印進駐許可。開戦においては「独白録」で自ら白状してるように、君主大権を行使しようとすれば出来た、でもケツをまくれなかった。それがこの人の限界。凡帝は素直に凡帝と評そう
  • 【ニュース】 バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述   高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり。「設営班慰安所」の地図です)。: 短歌の花だより

    【ニュース】 バリックパパンの日海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述   高知市の平和・資料館の調査で判明 (つづきあり。「設営班慰安所」の地図です)。 中曽根康弘海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして各方面が追求してきました(人は、いわゆる「慰安所」ではないと否定してきました)。高知市升形9の11の平和資料館・草の家は、防衛省防衛研究所に、その問題に関連した資料があることをつきとめ、10月27日午前、その文書の内容を同館ホールでの記者会見で報告しました。その文書は、ボルネオ島バリックパパンの日海軍322基地に海軍の「設営班慰安所」があったこと、それは、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で「土人女を集め」、1942年3月11日に開設

  • asahi.com(朝日新聞社):旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公文書に記述 - 社会

    印刷 細菌戦を行ったとして記されていた場所と「効果」掲載されていた細菌作戦の一覧表=陸軍軍医学校防疫研究報告第1部第60号「PXノ効果略算法」から  旧日陸軍が1940〜42年、中国で細菌兵器を使用していたことを示す陸軍軍医学校防疫研究室の極秘報告書が見つかった。細菌兵器の使用は93年に見つかった陸軍参謀の業務日誌にも記述があるが、細菌戦に直接携わった研究室の公的文書でも裏付けられた。  旧日軍の細菌戦については中国人遺族らによる損害賠償訴訟で東京地裁、高裁とも事実と認定したが、日政府は「証拠がない」との見解を示している。  この文書は「陸軍軍医学校防疫研究報告」のうち第1部の「PXノ効果略算法」。市民団体「731・細菌戦部隊の実態を明らかにする会」(事務局・東京)のメンバーが、国立国会図書館関西館(京都)で見つけた。 関連リンク中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日人の募金で設置(7

  • asahi.com(朝日新聞社):旧日本兵以外の遺骨、厚労省確認 フィリピンで収集不備 - 社会

    印刷 遺骨収集の流れ  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した旧日兵などの遺骨収集で対象外の骨が混入した可能性が指摘された問題で、事業を所管する厚生労働省は5日、現地で収集された鑑定前の遺骨に、フィリピン人や女性・子どもとみられるものが多数含まれていた、との検証結果を発表した。同省は収集作業を現地の関係者に任せ、チェックしなかった。今後は収集や鑑定方法を厳格にする方針だ。  すでに日に持ち帰られた遺骨については、フィリピン政府側の証明書があることを理由に「すべて日兵のものと考えている」との見方を示す一方、違う骨の混入の可能性は「完全に否定できない。遺族に疑念を持たれている」とも説明。いったん東京・千鳥ケ淵の戦没者墓苑に納骨した約4500柱を同省の霊安室に移す異例の措置をとったことを明らかにした。  厚労省はフィリピンでの遺骨事業を2009年から東京のNPO法人「空援隊」に委託。10年

    quatroshe
    quatroshe 2011/10/05
    このNPO法人の顧問にズラズラ名を連ねている国会議員の皆様におかれましては、是非ともきちんとした釈明をお願いしたいですね。
  • asahi.com(朝日新聞社):フィリピンでの遺骨収集、戦没者以外も多数 厚労省事業 - 社会

    印刷  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した日人の遺骨を収集する厚生労働省の委託事業で、日人戦没者でないとみられる遺骨が多数確認されたことが両国関係筋への取材でわかった。フィリピン人の遺骨が収集された疑いが持ち上がり、同省が調査していた。同省はフィリピン政府に収集がずさんだったと認めており、来月にも調査結果を公表するとみられる。  「先祖の遺骨が日人の骨として収集された」と両国政府に調査を求めていたフィリピンの住民らは日政府への補償要求を検討しており、新たな賠償問題に発展する可能性が高い。  厚労省はフィリピンでの遺骨収集を2009年から東京のNPO法人に委託。NPOの現地スタッフを通じ住民らに協力を呼びかけ、日当を払って遺骨を収集した。それまで年間数十柱だったフィリピンからの収集数は09年度と10年度で計約1万7千柱に増えた。このうちすでに3300柱余りが東京の千鳥ケ淵戦没者墓

  • 原爆の隠蔽:米国によるヒロシマとナガサキへの原爆投下の隠されたストーリー - マスコミに載らない海外記事

    2011年8月9日 デモクラシー・ナウ! エイミー・グッドマン: "一発の爆弾が1945年に長崎に投下されて以来、最悪の核災害が、2011年春、巨大な津波の後に福島原子力発電所で起き、日を襲った。つい先週、現場の放射能測定値が、これまでの最高に達したと報じられた。放射性物質の広範な放出と、それへの恐れから、日や世界中の全員が、1945年に日で起きたことと、(通常は覆い隠されている)現在も続いている核兵器とエネルギーの脅威について熟考することを強いられている。" これは、Hrioshima in America: A Half Century of Denial(『アメリカの中のヒロシマ:半世紀の否定』)の共著者グレッグ・ミッチェルさんの言葉です。ミッチェルさんが今日のお客様です。彼はまたAtomic Cover-Up: Two American Soldiers, Hiroshima

    原爆の隠蔽:米国によるヒロシマとナガサキへの原爆投下の隠されたストーリー - マスコミに載らない海外記事
  • 真実を知りたい: 沖縄における日本軍の蛮行(「細川日記」)

    「細川日記」は、もともと昭和28年2月に、磯部書房から『情報天皇に達せず』という標題で出版されたものであることが「あとがき」に記されている。東条が独裁体制を敷いて情報を統制したため、近衛が、細川護貞に各方面から情報を集めて高松宮に報告する任務を与えたことを考えると、磯部氏による『情報天皇に達せず』の標題の方が、内容を暗示して理解しやすいのであるが、世間の耳目を聳動させることを避けたい著者の思いによって、再出版の際に、「細川日記」としたようである。  下記は、細川護貞が、沖縄の日軍の蛮行について、高村秘書官(近衛前首相秘書官)から得た情報を記述している部分である。高村秘書官は、直接沖縄に赴き、視察してきたことを話しているので、その事実は疑いようがないが、沖縄戦の始まる前から、下記のような蛮行があったということに驚かざるを得ない。この少し前までは、東条憲兵が絶大な権力を振るっていたのである。

  • 東条英機・関東 日本軍・アヘン _元関東軍証言1/7

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 47NEWS(よんななニュース)

    タクシー業者「我慢の限界」 高知県内の運賃4年ぶり値上げ 燃油高騰、コロナ後も客足戻らず 利用者はあきらめも

    47NEWS(よんななニュース)
    quatroshe
    quatroshe 2011/02/21
    「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会」http://www.geocities.jp/technopolis_9073//「モンゴロイド系の複数の人種が混在」「複数の頭骨にドリルによる穿孔、鋸断、破切などの人為的加工の痕跡」などの特徴
  • Amazon.co.jp: ワシントンハイツ: GHQが東京に刻んだ戦後: 秋尾沙戸子: 本

    Amazon.co.jp: ワシントンハイツ: GHQが東京に刻んだ戦後: 秋尾沙戸子: 本
  • 池田香代子ブログ : ワタシは何者であったか 大道森(だいどぅーむい)のしゃれこうべ - ライブドアブログ

    2010年10月22日00:00 カテゴリ社会・世界情勢お知らせ ワタシは何者であったか 大道森(だいどぅーむい)のしゃれこうべ ワタシは何者であろうか。 かつて何者かでありはした。生まれた場所も、住んでいた場所も、親きょうだいや友だちの名もあったはずである。通った学校もあったはずである。 死んだ時に何者であったか、これははっきりしている。 大日帝国の兵士であった。 そして今、ワタシは何者であるか。それ以前に何であるか。これはワタシの遺骨だ、と言っていいのであろうか。こうして65年ぶりに、沖縄のていねいな手によって掘り出され、沖縄のねんごろな手によって洗われ、沖縄のふるえを抑えた手によって切られたシャッターのおかげで、万人のまなざしに晒されているワタシのしゃれこうべ、その中で、65年かけてその内部が沖縄の土へと置き換わりつつもなお残った奇跡のかけら、ミイラと化したワタシの脳みそは、怨の涙

  • 回天で元気が出るなら隗より始めよ - 法華狼の日記

    悪評紛々な『元気のでる歴史人物講座』の中でも、あまりにひどすぎて驚いた。この文章のトピックスのどこが歴史や考古学だというのだ。 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100804/acd1008040751002-n1.htm 神風特攻とともに米軍を震撼(しんかん)させたのが人間魚雷による回天(かいてん)特攻である。魚雷を改造した1人乗りの特殊潜航艇に1550キロの爆薬を積み敵艦に体当たりする攻撃である。 この特攻兵器を創案し、回天特攻の訓練に全身全霊の超人的努力を傾注し、昭和19年9月6日、訓練中に真っ先に殉職をとげたのが黒木博司(ひろし)海軍少佐である。時に22歳。 黒木はなぜ回天特攻を思い立ったのであろうか。黒木は大東亜戦争を「日の天命」と捉(とら)え、「神武肇国(じんむちょうこく)以来の最大国難」と見、「一度敗れなば永久に世界より抹殺

    回天で元気が出るなら隗より始めよ - 法華狼の日記
    quatroshe
    quatroshe 2010/10/24
    若い人間が大量に死んでいく物語に酔っぱらう浪漫主義者ほど、ろくでもないやつはいないね/黒木とかいうタコは事故死か。こういうやつは強引にでも生き残らせて、戦後の一生、遺族への償いに従事させるべきだったの
  • Amazon.co.jp:失敗の本質―日本軍の組織論的研究

    Amazon.co.jp:失敗の本質―日本軍の組織論的研究
    quatroshe
    quatroshe 2010/10/14
     名著。共同著者6人中、5人が防衛大の教授・助教授などの歴任者ですが、決してアッパラパーウヨウヨ系列の本ではありません。