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フィリピンと歴史に関するshigak19のブックマーク (2)

  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

    フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS
    shigak19
    shigak19 2016/03/01
    歴史学の専門的な研究はこれだけの前提の上にこれだけの成果を確実に積み重ねているのに、「反日」だの「自虐」だの「左翼」だのといったレッテルで政権からも一部マスコミからも否定され続けているという厳しい現状
  • フィリピンで語り継がれる特攻 NHKニュース

    太平洋戦争末期、旧日軍が特攻隊を編成し体当たり攻撃を始めてから70年。終戦までに6000人以上が特攻作戦で死亡したとされ、多くが20代の若者でした。特攻隊が初めて出撃したフィリピンでは、飛び立つ若者の姿を記憶にとどめ、戦争の悲惨さを語り継いでいる人たちがいます。 特攻隊の出撃拠点の1つだったルソン島中部の街、マバラカット。70年前の昭和19年10月25日、ここから飛び立った最初の特攻隊がアメリカ軍の空母などに突撃しました。 フェルナンド・サントスさん(82)は当時、海軍の航空部隊の司令部として接収されていた自宅で、出撃していく特攻隊員たちを目撃していました。出撃前夜、上官の指示を受けたあと、何かを唱えながら涙を流し、最後には大声で万歳を叫んでいたという若者たち。サントスさんは今もその姿が忘れられないといいます。 そうした記憶を戦争の悲惨な歴史として語り継いできた人もいます。当時14歳だっ

    フィリピンで語り継がれる特攻 NHKニュース
    shigak19
    shigak19 2014/10/26
    マバラカットとは…/『レイテ戦記』の大岡昇平も、日米両軍に比べ本来の住民であるフィリピン人のことがなかなか分からないし戦史に登場しないって趣旨の発言を執筆後にしてたりするし
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