@WORLDJAPAN 『残酷な天使のテーゼ』誕生秘話も、うちのマネージャーが通りすがりに仕事もらってきて、30分ほど適当に打ち合わせして、あと企画書斜め読み&2話分のビデオ早送りで観て、ええい好きなこと書いちゃえ〜!で、約2時間で書いたものです〜。みんなの夢を壊してごめんね。
![及川眠子 on Twitter: "@WORLDJAPAN 『残酷な天使のテーゼ』誕生秘話も、うちのマネージャーが通りすがりに仕事もらってきて、30分ほど適当に打ち合わせして、あと企画書斜め読み&2話分のビデオ早送りで観て、ええい好きなこと書いちゃえ〜!で、約2時間で書いたものです〜。みんなの夢を壊してごめんね。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/499cbd5c91b10ce8dbc337494f3bda7591f1a930/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F866720662286630912%2FravcCd93.jpg)
@WORLDJAPAN 『残酷な天使のテーゼ』誕生秘話も、うちのマネージャーが通りすがりに仕事もらってきて、30分ほど適当に打ち合わせして、あと企画書斜め読み&2話分のビデオ早送りで観て、ええい好きなこと書いちゃえ〜!で、約2時間で書いたものです〜。みんなの夢を壊してごめんね。
このシリーズ、久しぶりの更新です。『季刊 戦争責任研究』*1の第83号(2014年冬季号)に「河野官房長官談話(1993年8月4日)後に発見された日本軍「慰安婦」関連公文書等資料」(第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議)が掲載されています。といっても、掲載されているのは資料そのものではなく、そのリストと解説、アジア連帯会議による日本政府への提言、並びに内閣総理大臣安倍晋三に対する申入書です。河野談話後に発見された、ということは言葉を変えれば安倍内閣(第一次、第二次)が必死になって「なかったこと」にしようとしている資料群です。アジア連帯会議は昨年6月、ここに掲載されたリストに含まれる資料群を日本政府に提出しました。なんのためか? 日本政府にこれら資料群の存在を認めさせるためです。しかし日本政府は誠意ある対応を未だ見せていません。 これらの資料には、当ブログの読者の方々にはおなじみの「野
下村博文文部科学相が代表の自民党支部が、暴力団と親密交際する建設会社から2年間で計18万円の献金を受け取っていたことが9日、本紙の調べでわかりました。この会社は、大阪府と大阪市の公共事業から排除されており、同社の献金を受けた下村文科相の責任が問われます。 暴力団との親密交際企業からの寄付が判明したのは、「自由民主党東京都第十一選挙区支部」です。 同支部の政治資金収支報告書によると、大阪市中央区の建設土木会社から2009年2月に12万円、10年6月に6万円の献金を受けていました。 同支部に献金が行われた10年に、この建設土木会社は「暴力団または暴力団員と親密交際など社会的に非難されるような関係を有している」として、大阪府警の認定を受けています。 当時の報道は「男性社長は、山口組弘道会系幹部と二十数年の付き合いで、頻繁に飲食を共にしたり、歳暮や中元を受け取ったりしたとしている」(「産経」10年
どうも鳥井(@hirofumi21)です。 最近、ジブリに飢えています。時にやってくる、この感じ。ジブリもしくは井上雄彦作品を猛烈に欲する時が不意に訪れるんです。最近は完全に諦めています。むしろ自分の感情に正直になろうと…。 さて、そんな中ご紹介するのは、先日発売されたばかりの鈴木敏夫著『仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場 (岩波新書)』。 2008年に発売された『仕事道楽』に、新たな1章が追加されて、『崖の上のポニョ』から、『思い出のマーニー』までの出来事が書かれています。 今回はこの中で語られていた、「若者に評価されなかったかぐや姫」という部分を取り上げます。、個人的にもかなりショッキングな内容だったので、備忘録の意味も込めて書き残しておきたいと思います。 ストーリーを追って、表現を気にしない若者たち。 話は、『かぐや姫の物語』が世間ではどのように受け入れられたのか、について。少し
「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊…。大阪市淀川区に超ユニークな教育を園児に施している幼稚園がある。塚本幼稚園幼児教育学園。安倍晋三首相夫人が同園を訪れたとき、園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだという。さて、その塚本幼稚園の籠池泰典園長が、小学校運営に乗り出している。現代教育のゆがみをも映し出すその理由とは-。(服部素子) 昭恵夫人「安倍首相に伝えます」 「夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己を持(じ)し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習ひ…」。園庭に2~5歳の園児約150人の大きな声が響く。 教育勅語(正式には「教育ニ関スル勅語」)は、明治23(1890)年に発布され、第2次世界大戦前の日本政府の教育方針の根幹となった文書。なぜいま、教育勅語なのか。 「子供に学んでほしいことは何か、とつきつめたとき、その答えが明治天皇が国民に語りか
1858年(安政5年)に飛騨地方を襲った大地震(マグニチュード7程度)は、常願寺川の上流域である、大鳶・小鳶山を崩壊させ、立山カルデラ内に推定で4億立方メートルを超える膨大な量の土砂がたまった。このため、常願寺川は、洪水の度に土石を押し流し、流域に大きな被害を与えている。 1891年(明治24年)7月、九州から山陰、北陸、信越、東北地方にかけて、豪雨災害が発生した。常願寺川流域も御多分にもれず、安政の大水害に次ぐもので、堤防決壊6,500メートル、流出地1,527haに達した。当時の県知事森山茂は、国に専門技師の派遣を要請、デ・レーケが同年8月6日、富山に到着した。9月2日、石川県へ出発するまでに常願寺川をはじめ、黒部川、片貝川、上市川、庄川、神通川の各水系と伏木港を視察して、治水計画を立てている。 彼が立てた常願寺川治水計画は、 12本の右岸側農業用水の合口化 12箇所の取水口が堤防を壊
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