・中国とタイ、マラッカ海峡回避するため運河を建設へ、メディア「米国の封鎖を破る」(新華ニュース) → マラッカ海峡とクラ“地峡”が経済戦争をしていたのは1400年ほど前の話。西暦600年頃までのマラッカ海峡は交通の難所で(ある程度は現在でもそうだが),安全に通れる保証が無かったため,不便は承知でクラ地峡で陸揚げし,横断して別の船に乗り換えていた。それゆえにタイ湾沿岸部が栄え,特に現在のベトナムの最南端に位置した港市オケオが繁栄した。しかし,インド人の航海技術が進歩した結果,それなりにマラッカ海峡が使えるルートとなり,すると陸揚げの手間をさけるべくこちらに商人が集中するようになる。結果的にオケオは没落し,代わってマラッカ海峡沿岸部が繁栄を始める。その原初としてのシュリーヴィジャヤ,15世紀以降のマラッカ,近現代のシンガポールとその繁栄は続く。というわけで,クラ地峡が1400年ぶりのリベンジを