自宅で、日本刀を使い巨人の王貞治選手の打撃指導をする荒川博コーチ(右)=1964年夏、東京都中野区で(荒川博氏提供) プロ野球巨人の打撃コーチとして王貞治さんを育てた荒川博さんが四日、死去した。東京は下町育ち。粋できっぷのいい若者を表す「いなせ」という言葉がぴったりだった。歌舞伎の六代目尾上菊五郎をひいきにしていたところが江戸っ子らしい。その粋の良さが、秘蔵っ子の王さんが一本足デビューするきっかけとなった。 一九六二年。ある大物コーチから「王が打てないから勝てない」となじられた。打撃コーチの荒川さんに火が付いた。「おれは三冠王にしようと教えているんだ」。目先の白星じゃねえ、とたんかを切ったのだ。「王、一本足で打て」。七月一日の大洋(現DeNA)戦だった。王さんは右足を高く上げた新打法で本塁打を放った。 この六二年に本塁打王。ここから「王時代」の幕が上がり、三冠王に二度輝いた。「王にはとにか