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2021年12月21日のブックマーク (3件)

  • 『鬼滅の刃 遊郭編』の歴史知識 第二章ー吉原大門

    吉原大門の歴史一般的に吉原吉原と呼ばれている吉原ですが、遊廓としての吉原の正式名称は「新吉原」です。 勘の鋭い人は、ここでピンときます。 ご名答、「新吉原」があれば「旧吉原」があったのです。 場所は東京日人形町。400年前、ここに「旧吉原」が存在していました。 ここにも「大門」があり、400年経った現在でも「大門通り」と呼ばれています。日歴史が、まるで講談の続き話のように脈々と受け継がれていることが、この一件でもわかります。 なお、旧吉原から新吉原へ移転されたのは明暦3年(1657)。4代将軍家綱のころです。 「新吉原」の大門の現在は、こうなっています。ここにかつて、吉原の大門が建てられていました。ちなみに、別の遊郭は「だいもん」と読むところもありますが、吉原は「だいもん」ではなく「おおもん」です。 写真で確認できる、もっとも古い吉原大門は明治初期のもの。その姿はけっこうショボい木

  • 遊女ら供養 振り返る20年 吉原弁財天で来月9日 家田荘子さん法話:東京新聞 TOKYO Web

    奥浅草の吉原弁財天(台東区千束三)で十一月九日午後二時から、真言宗僧侶で、作家の家田荘子さんによる青空法話がある。家田さんはこの場所で毎月、関東大震災で亡くなった吉原遊女らの供養を二十年続けてきた。一九二三年の関東大震災の際、遊郭の「新吉原」でも出火。吉原大門は遊女の足抜け(脱走)を防ぐため閉められた。逃げ場を求めた遊女らは弁財天を祭る大きな池に飛び込んで溺れ、およそ五百人が亡くなったとされる。三年後、現地には慰霊のために観音像が建立された。 テーマは「『この世に生まれ、生きて、生かされて…』~この地に眠る吉原遊女たちとともに~」。家田さんと一緒に活動をしてきた地元の吉原達雄さん(吉原神社総代)は「家田さんがこの二十年を振り返る。現在は観光で弁財天を訪れる人が多いが、供養という観点から考えてもらう機会になれば」と話す。参加無料で、受け付け不要。雨天時は近くの区立健老センター一階で行う。問い

    遊女ら供養 振り返る20年 吉原弁財天で来月9日 家田荘子さん法話:東京新聞 TOKYO Web
  • キャンドル大国デンマークの悩み | "Japan In-depth"[ジャパン・インデプス]

    vitamincba
    vitamincba 2021/12/21
    「1年間1人当たりのキャンドル消費量6kg」「燃焼時に発生する超微粒子が気管支や肺に悪影響を与え、さらには環境やガン発生時の一要因ともなりうるブラックカーボンも排出するのだ」