吉原大門の歴史一般的に吉原吉原と呼ばれている吉原ですが、遊廓としての吉原の正式名称は「新吉原」です。 勘の鋭い人は、ここでピンときます。 ご名答、「新吉原」があれば「旧吉原」があったのです。 場所は東京日本橋人形町。400年前、ここに「旧吉原」が存在していました。 ここにも「大門」があり、400年経った現在でも「大門通り」と呼ばれています。日本は歴史が、まるで講談の続き話のように脈々と受け継がれていることが、この一件でもわかります。 なお、旧吉原から新吉原へ移転されたのは明暦3年(1657)。4代将軍家綱のころです。 「新吉原」の大門の現在は、こうなっています。ここにかつて、吉原の大門が建てられていました。ちなみに、別の遊郭は「だいもん」と読むところもありますが、吉原は「だいもん」ではなく「おおもん」です。 写真で確認できる、もっとも古い吉原大門は明治初期のもの。その姿はけっこうショボい木