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ブックマーク / tkido.blog43.fc2.com (6)

  • 浜野喬士『エコ・テロリズム 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ』 神は細部に宿り給う

    シー・シェパードがあそこまでやる理由~『エコ・テロリズム』 浜野 喬士著(評:栗原 裕一郎):日経ビジネスオンライン 上の記事で見てようやくこの分野の入門書として当におすすめできる読みやすいが出たかなと思って早速借りてきたが正解。全体で200ページとちょっとの新書だが、変な陰謀論やポジショントークに陥ることなく、歴史的・思想的背景を幅広く取り上げている。 また参考文献の表記が非常に充実しており、この分野で重要ながほとんど一覧できると言ってもいいぐらいだ。この問題に興味を持った人のための最初の一冊としてベストと言えるのではないか。 どちらかというと環境運動の側に同情的で、タイトルに反発を憶えるような人にもおすすめできる。著者は、 素朴に、それこそFBI的に(もっとも彼らは政策的意図からそうしているのだが)「エコ・テロリズム」という概念のみを用いて分析していくことは、歴史的背景を、そして

  • 誰が見張りを見張るのか『ウォッチメン』オススメ度 10/10 神は細部に宿り給う

  • 無能で説明がつくことを陰謀のせいにしてはならない 神は細部に宿り給う

    ハンロンの剃刀 「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(直訳:まさか、愚かさによって充分に説明できるものを悪意のせいにする必要なんかありません。)」 Robert J. Hanlon Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity. というのは、オッカムの剃刀=思考節約の原理の系で、レベルの低い陰謀論退治にとりわけ良い道具のひとつ。それは別にいいのだが、これが『ヤバい経済学』の中ではナポレオンの言葉ということになっている。 ぱっと見にはナポレオンよりRobert J. Hanlonの方がデータが充実しているので、そちらの方が正しそうだが、こういう時はどう考えたらいいのだろう。 『捏造された聖書』で出ていた話だが、研究者が聖書の異の中に意味の通りにくい文と意味の通りやすい文を見つけた場合、ま

  • 第6回東方シリーズ人気投票主要キャラ相対順位変動ランキング 神は細部に宿り給う

    第6回東方シリーズ人気投票 のランキング発表動画のコメントで、 下がったなあ。 いや新キャラが増える分下がるのは当たり前だよ。 つまりキープは実質上がってるよ。 とかの話がループしっぱなしだったのでだんだん気になってきて、主要キャラの浮沈がよく分かるように独自基準で集計してみた。 主要キャラ相対順位変動ランキング 順位 名前 変動 1位 風見 幽香 △12.81 2位 秋 穣子 △11.94 3位 東風谷 早苗 △9.99 4位 秋 静葉 △8.88 5位 伊吹 萃香 △4.75 6位 河城 にとり △4.37 7位 八坂 神奈子 △4.28 8位 犬走 椛 △3.86 9位 藤原 妹紅 △2.96 10位 十六夜 咲夜 △2.27 11位 八雲 紫 △1.75 12位 岡崎 夢美 △1.62 13位 鍵山 雛 △1.46 14位 洩矢 諏訪子 △1.14 15位 アリス・マーガトロイド

  • 脳は陰謀論を生む機械 神は細部に宿り給う

    分離脳についての実験からは「説明装置」とでも呼ぶべき機能が左脳側にあることが示唆される。たとえ(分離脳の状態になければ右脳から送られたであろう)正しい情報がなくても説明装置はとにかく結論を出す。 端から見ている実験者の立場ではそれはどう見ても作話であるのだが。どうも(少なくとも言葉で説明ができるような)自我は、脳で働いている様々なモジュールがそれぞれ高度に専門化された仕事をこなした後の最終結果しか知らされていないようである。 交通事故などで手足の神経を損傷した患者が「これは私に見つからないように隠れている他人の腕なんだ」とか「誰かが死体の腕をくっつけたのだ」とか、かなりトンデモない考えを抱くようになることがあるという。これは必ずしも現実を受け入れたくないがための通常の精神作用のひとつとばかりとは言えないようだ。 というのも全くの健康な被験者であっても、鏡などを巧みに使ったトリックによって自

    vitamincba
    vitamincba 2009/01/25
    「妄想の部分は、幻聴や幻覚という間違った情報を与えられた説明装置が、不完全な情報からでも素早く何らかの結論を出そうと「正常に」動作した結果なのではないか」
  • 土居健郎『「甘え」の構造』 神は細部に宿り給う

    英語には日語の「甘える」に相当する言葉がない、という話から始まる日論。Wikipediaにも項があるようなベストセラーだったそうだが最近まで知らなかった。私にはやはりこれは日論というより裏返しの一神教論として読めてしまう。 たとえば浄土真宗では他力願といって、自己の力で悟りを開いて成仏するなどという考え方は捨てて、ただ阿弥陀如来の力にすがるべし、というようなことを強調するわけだが、思えば『歎異抄講話』では、その感覚を“赤子が母親の乳房にすがるように”というように表現していた。 キリスト教にも、救済には神によって決められる(すでに決められている)もので自分の力でどうにかなる問題ではない、というような一見よく似た思想はあるわけだが、この場合“赤子が母親の乳房にすがるように”神に頼れってのは、まったくありえない形容だわな。「キリスト教の神は男性じゃねえか」と思うかもしれないが、そういう意

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