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海軍に関するyuigon_infoのブックマーク (2)

  • 戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)

    今から65年前の1945年8月15日正午――。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんと欲す・・・」 ラジオから流れてきた天皇陛下の玉音放送を、松太助・海軍中尉は青森県・大湊の陸上輸送部隊で聴いていた。途切れ途切れでよく聞き取れず、「陛下が『堪え難きを堪え』とおっしゃるのだから、もっと頑張れということなのか・・・」と首をかしげた。 だが放送後、上官から「今の放送は終戦の詔書である」と教えられ、松中尉は「当に戦争が終わったのか? 自分は助かったのか?」と自問自答を繰り返した。既に兄と弟は戦死していた・・・ 軍国主義を叩き込まれ、商船学校から海軍士官に 松 太助氏(まつもと・たすけ) 1922年8月京都市出身 44年9月神戸高等商船学校卒、海軍少尉 11月空母「海鷹」 45年1月戦艦「長門」 5月駆逐艦「初桜」 6月海軍中尉 復員・石炭輸送業務を経て49年海上保安

    戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 歴史に埋もれた旧日本軍の英兵救助劇を顕彰へ (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    【フルーム(英イングランド南西部)=木村正人】第二次世界大戦中、インドネシア沖海戦で艦隊が撃沈されて、漂流していた英兵422人を救助した旧日軍の駆逐艦「雷(いかずち)」の故工藤俊作艦長をしのぶ墓前祭と顕彰式が12月7、8の両日、それぞれ埼玉県、東京都内で開かれる。この戦争秘話を最初に明かした元英海軍士官サミュエル・フォール氏(89)は一連の行事出席のため来日するのを前に、「命を助けてもらった恩返しに日英友好に役立ちたい」と話しており、今回の催しは、旧日軍の捕虜となった英兵たちと日側との和解プロセスの一助にもなると期待されている。 1942(昭和17)年3月1日、現インドネシア・ジャワ島のスラバヤ沖海戦で、英重巡洋艦エクゼターと駆逐艦エンカウンターが旧日海軍の艦隊に撃沈された。両艦の乗組員らは海に投げ出され24時間漂流。力が尽きる寸前の翌2日、雷に発見された。「幸い海は温かかった。遠

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