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雪斎に関するyuigon_infoのブックマーク (9)

  • 2011年の始まりに - 雪斎の随想録

    ■ あけましておめでとうございます。 昨年十二月は、例年になく「走った」一月になった。 民主党の党内抗争は、下らないものだと思っていたけれども、立場上、色々な論評を書いた。 年末、「電脳」環境を一新した。 デフレのご時世にもかかわらず、またまた散財をした。 朝日、読売の元旦社説を読んでいたら、どちらも与野党の「協働」を説いていた。 ● 朝日/「政権交代の可能性のある両党が協調する以外には、とるべき道がないではないか」。 ● 読売/「次善の策として、懸案処理のための政治休戦と、暫定的な連立政権の構築を模索すべきではないか」。 なるほど、現状が続けば、予算案以外の法案は、何も通らない。朝日、読売両紙社説が想定する民主、自民両党の「協働」がなければ、向こう二年半は日の停滞は続く。 おそらく、余程の奇跡が起きなければ、次の総選挙では、民主党の惨敗は、必至であろう。 自民党に対する支持がもどってい

    2011年の始まりに - 雪斎の随想録
  • 「反革命分子」の思考 - 雪斎の随想録

    ■ 鳩山内閣には、懸案を処理していく「推進力」は、もはやない。 普天間基地案件の決着は、雪斎が読む限り、次の三つのシナリオしかない、 ① 鳩山総理が、苦渋の決断を演出して、「現行案」に近い線での落着を図り、政権の維持を狙う。 ② 鳩山総理が、自分の首と引き換えに、「現行案」に近い線で落着させる。 ③ 普天間移設が、実質上、頓挫する。 この件jは、あとで、あらためて書くことにしよう。 ところで、民主党のウェブ・サイトを見ていたら、次のニュース記事には、腰を抜かした。 ○ 小沢幹事長「民主党青森県連躍進パーティー」で挨拶 腰を抜かしたのは、次の記述である。 主催者を代表して、横山北斗県連代表が「昨年の総選挙では、まさに革命と呼ぶにふさわしい出来事として、私たちは政権交代を実現したが、革命の後は、反革命が起こる」とし、「今、民主党を批判する反革命分子に負けずに、この危機を乗り越えて行かなければな

    「反革命分子」の思考 - 雪斎の随想録
    yuigon_info
    yuigon_info 2010/04/29
    自分も民主党が「本気」出したら、粛清されるクチだわ。
  • 政治における「鶏口牛後」の嘘 - 雪斎の随想録

    ■ 「新党」花盛りである。 だが、こうした新党は、小選挙区制主体の次の衆議院選挙で議席を獲得できるのか。 現に、「みんなの党」の二人、「たちあがれ日」の一人を除けば、他は、参議院議員か比例代表復活組である。こんな具合では、「永田町」の世界では、影響力を行使するにも、自ずから限界ががあるだろう。 たとえば、渡辺・江田党であるところの「みんなの党」は、元々の地盤もカバンもない新人候補を擁立して、「みんなの党」という看板だけで、小選挙区で何人を当選させることができるのか。 「鶏口となるとも牛後となるなかれ」」という言葉は、政治の世界では、大いなる「嘘」である。「鶏」と「牛」とでは、行使できる影響力に差がある。政治において、「力」や「数」がモノを言うのは、厳然たる事実である。。「鶏」を「モスラ」に化かす資金や人脈の裏付けがあるならば、ともかくとして、それができないならば、「牛」に踏みとどまって前

    政治における「鶏口牛後」の嘘 - 雪斎の随想録
    yuigon_info
    yuigon_info 2010/04/22
    「数は力」は、不朽の法則なのかも。
  • 週末の二題 - 雪斎の随想録

    ■ 昨日は、従妹の「華燭の典」である。 当世、流行の「アラフォー婚」である。 叔父や叔母は、さぞかし安心したであろう。 「人生の味わいは深くして濃く、人生の響きは豊かにして華やかに」。 帰宅して、リヒャルト・ワーグナーの「タンホイザー序曲」をヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で聴きながら、そうしたことを考える。 雪斎の自室には、大正時代の「モダン・ボーイ」だった祖父の写真が飾ってある。 雪斎宅は、宮城や広島から駆けつけた親族の「集結地」に相成る。総て、この祖父から発した係累である。 祖父の世代は、白洲次郎が典型であるけれども、一九〇〇年代に生まれ、一九一〇年代の「自由」の中で成長した。そして、戦時中は年齢が高すぎたので応召せず、「経済大国・日」の復活を見届けて、一九八〇年代以降に鬼籍に入っていった。 日史でも、最も恵まれた世代であろう。 そうした世代の「自

    週末の二題 - 雪斎の随想録
  • 『カーマ・スートラ』の世界、そして「性事」としての政治 - 雪斎の随想録

    ■ 何を思い立ったか、『カーマ・スートラ』を詠む。 俗に、「インドの性典」と呼ばれる書である。 しかし、実際に読んでみれば、誠に深遠な書である。 インド哲学によれば、人生の段階で追求すべきものは、それぞれ異なっているそうである。 青年期には、アルタを求める。アルタとは、権力とか富、地位といった「実利」に関わるものである。 壮年期には、カーマを求める。カーマとは、「愛」に関わる官能的素養である。 老年期には、ダルマを求める。ダルマとは、宗教。道徳上の義務に表される「美徳」である。 要するに、若い時は、必死になって「富」を得て、その後には「薔薇の日々」を送り、老境に至っては「悟り」を開けということであろう。 『カーマ・スートラ』というのは、壮年期に追求すべき「カーマ」に関する「教典」である。だから、「性の技術」ということ以上に、かなり細かい話が続いている。「結婚相手にしてはいけない女」という項

    『カーマ・スートラ』の世界、そして「性事」としての政治 - 雪斎の随想録
  • 政治「エリート」養成のための七つの選択肢 - 雪斎の随想録

    ■ さて、昨日のエントリーの続きである。 以下の記述は、「敬称。略」とする。 昨日、学歴を前面に出した議論をしたものだから、奇妙な反応が返っている。「今時、東京大学OBだって、大したことはない、「歴代の自民党宰相は、どうなのか」…という具合である。 だが、昨日のエントリーでも、、わざわざ下のような断り書きを書いているはずである。 ここでいう学歴は、「刻苦勉励」の証となるものの喩えである。昔日の英国ならば、恵まれた家庭に育った人材は、大概、十代から二十代のころに、「心身ともに厳しい環境」に放り込まれるものであるけれども、日では、そうした人材には、何故か「生ぬるい環境」が用意されるのである。 雪斎は、13年前にも、現在の日には、政治「エリート」養成ができていないと書いた。9年前に上梓した『国家への意志』でも、「統治の作法」を身に付けさせる仕組みについて色々と書いている。何のことはない。「戦

    政治「エリート」養成のための七つの選択肢 - 雪斎の随想録
  • 日本の位置 - 雪斎の随想録

    ■ このところ、昼間のテレビ東京系列で『大忠臣蔵』を放映していた。大石内蔵助を演じていたのが、三船敏郎さんである。よくよく考えれば、日の物語では、ナンバー2、3辺りの人物が主人公になる事例が多い。『忠臣蔵』は、その例である。『水戸黄門』も、「先の副将軍」が主人公である。 そういえば、雪斎が好きな映画『日の名残りは』は、英国貴族に仕えた執事の生涯を描いた作品であったけれども、この原作を書いたのも、カズオ・イシグロという日系英国人であった。 かんべえ殿やぐっちー殿の最新エントリーを読んでみて、日という国は、結局、こういう「家老」、「執事」という生き方がもっとも性に合っているのではないかと思うことがある。要するに、「覇権国家」と「他の大多数の国々」の間を取り持つ立場である。たとえば、米国のような「ピューリタンが作った覇権国家」と「イスラム国家」とが直接に交われば、「摩擦」が置きそうであるけれ

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    yuigon_info
    yuigon_info 2008/02/14
    主張はごもっともと思いますが、もっと気の利いたネーミングにできないモノですかねぇ。
  • 「官製不況」、否、「永田町不況」か。 - 雪斎の随想録

    ■ 何故か、一週間もエントリー更新を怠ってしまった。 一昨日、楽しみにいていた「リッカルド・シャイー指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」来日公演が、指揮者であるシャイーが急病により中止になったと伝えられた。雪斎は椅子から転げ落ちるほどの衝撃を受けた。このショックは大きい。サントリー・ホールでの公演を二日連続でS席で聴くはずだったのだが…。 ところで、「小泉純一郎の遺産」と考えられたものは、次の三つである。 ① 自民党の議会内優位 ② 磐石な日米関係 ③ 好調な経済情勢 小泉元総理が退任した折、これだけの条件が安倍晋三前総理に引き継がれた。1988年に中曽根康弘元総理が竹下登に引き渡したのも、同じ条件である。 この内、昨年の参議院選挙で①の条件は消えた。②も、小泉時代に比べれば、明らかに冷めたものになったといえよう。「補給活動継続特措法」が成立したとはいえ、一旦、インド洋から退いた

    「官製不況」、否、「永田町不況」か。 - 雪斎の随想録
  • 「自由」への想い - 雪斎の随想録

    ■ 雪斎にとっては、「自由」が至上の価値である。 雪斎は、六歳から九歳までの頃、障害児施設で暮らしていた。その時期、何が憂であったかといえば、「いたいものがいたいときにえない」ということである。アイスクリームがべたいな思ったときに、駄賃をもらって店で好きなものを選んで買うというわけにはいかないのである。加えて、万事、規則ずくめの暮らしだから、息苦しいこと、この上ないのである。「こういうところからは早く出たい」と思っていた。 だから、後年、社会主義体制の実態を知るようになったときに、「昔のこと、そのままだ」と思ったものである。 「自由」とは「独立自尊」の同義である。 そして、雪斎は、二十数年かけて、「自由」を手に入れた。カネは何のためにあるのか。それは、自分の「自由」を担保するためのものである。生きていく上での「不自由」は、カネがあれば減らすことができる。元々、物欲にも淡白な雪斎が

    「自由」への想い - 雪斎の随想録
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