福岡市早良区の臨床心理士で医療に詳しい藤井悟子(さとこ)さん(62)が著書「延命治療について知っておきたいこと-こころに添う最期」を出版した。延命治療の内容や、終末期の医療について自分の希望を記す「事前指示書」の書き方に関するアドバイス、そのまま記入して使える「ひな型」も盛り込んだ。藤井さんは「命の終え方は最後の生き方。最期をどう迎えるかを自身や家族が考えるときに、この本が役に立てば」と話している。 藤井さんは、85歳だった母親の最期の医療をどうすればいいのか迷ったり、不安になったりした経験を踏まえ、2012年8月に冊子「やってくる死と自分らしさと 延命治療-いのちの終わり方を考える」を書き上げた。本紙記事などで無料提供を表明すると申し込みが相次ぎ、配布数は約800冊になった。 その反響ぶりに、延命治療に対する人々の関心の高さをあらためて認識。冊子を読んだ人から「事前指示書のひな型があれば
先祖代々受け継いできた墓を処分し、寺に将来にわたって託す「永代供養墓」を選ぶ人が増えている。少子化を背景に守り手がいなかったり、縁遠い遺骨を託されて困ったりと、それぞれの事情がある。 佐賀県小城市の臨済宗妙鏡院(みょうきょういん)の住職、阿比留節眞(あびるせつしん)さん(42)は2010年に永代供養墓を設立した。あるおばあちゃんの言葉がきっかけだった。 独り身で90代を迎え、永代供養墓を検討したが、わずかな年金では手の届かないところばかり。「ご先祖さまだけは無縁仏にしたくない。お金のない人間はどうすればいいのでしょう」 永代供養墓は合同納骨や個別の墓石があるものなどさまざま。一般の墓より安く数十万~数百万円だが、別途の管理費や檀家(だんか)となることが条件の場合もある。 高額な墓や葬儀に疑問があった阿比留さんは「営利目的だから高くなる。誰でも入れる墓をつくろう」と考えた。価格競争を仕掛ける
24年にわたる介護生活を作品にしたためてきた長崎市の詩人、藤川幸之助さん(51)=「上」は19日掲載。昨年9月末に逝った母キヨ子さん(享年84)は、人生の3分の1を認知症として過ごした。つまり藤川さんは、人生の半分を認知症の母に寄り添ったことになる。 自宅で見せてくれたキヨ子さんの遺影。認知症になる前の笑顔の写真の隅に、認知症を患ってからの小さな写真が挟んであった。藤川さんにとって「一番、母らしい写真」であり、その姿を「天衣無縫の母になった」と表す。そんな思いは詩作「遺影」「愚かな病」などににじむ。認知症の母を「恥ずかしい」と思っていた藤川さんの心は、どうして変わったのか。 2000年、キヨ子さんを実家のあった熊本県から長崎市の介護施設に移した。これを境にキヨ子さんは言葉を失い、食べられなくなる。藤川さんの判断で胃に穴を開ける胃ろうを施し、寝たきりになった。 弱っていく母を前にして、紙オム
拡大 エンディングノートを書いて「人に支えられているな」と実感でき、より感謝するようになったという田村恵美子さん 明日が来るのは当たり前ではない-。突然、多くの命を奪った東日本大震災の影響で「死」を身近に感じる人が増えたといわれる。その一つの現れだろうか。葬儀の希望や最期の迎え方、自分史をまとめる「エンディングノート」が若い世代にも広がりつつある。実際に「死」を見据えて書き込んだ30代の2人に思いを聞いた。 「人生でうれしかったことは?」というエンディングノートの問いに、頭を悩ませた。しばらく思いを巡らせて浮かんできたのは、6年ほど前に亡くなった祖母の温かい手だった。 北九州市に住む社会福祉士の渡部文華さん(31)は幼いころ、祖母が試験の好成績を喜び、頭をなでてくれたエピソードを書いた。「何げない日常の一コマだけど、いつも応援してくれた祖母らしい思い出なんです」。愛情に包まれた体験として心
自分らしい最期を迎えるために、元気なうちに老い支度を始めたい-。その一歩となるのが、望む介護や延命治療、葬儀のあり方などをまとめる「エンディングノート」。意思を書き残すことは、見送る家族の悲しみを和らげる一助にもなるという。 「葬儀でまず困るのは誰を呼ぶか。呼んでほしい人の連絡先を書いておきましょう」「既に戒名がある人はいませんか。家族が知らずに別の戒名を付けて、後悔した例もありますよ」。講師の話に出席者は大きくうなずいてメモを取った。 福岡市のNPO法人「ふるさと安心サポート九州」が2カ月に1回、市内で開くエンディングノート作りセミナー。3年前にスタートし、高齢者を中心に10人前後が参加する。東日本大震災後は50代も増えた。 事務局長の中橋優さん(38)は「震災で多くの人が自分もいつどうなるか分からないと感じました。今や死を語ることはタブーではありません」と話す。高齢化が進んで老後につい
拡大 松井幸繁さん(左)と道子さん(右)に囲まれ、笑みを浮かべる長女の渕上綾子さん(中央)。両親への感謝の気持ちを込めて「夫婦メモリー」を贈った 「自分史」と言われてどんなイメージを持つだろう。老後に人生の軌跡を振り返り、自分で筆を執るのが代表的だが、最近は子どもから老いた親へ思い出アルバムを贈ったり、死別した夫を追悼して文章にまとめたりと、その形態は多様になっている。何が自分史づくりに心を向かわせるのか。 娘からの贈り物を大切にしている。福岡県宗像市の松井幸繁さん(78)と道子さん(77)夫妻は、ハードカバーで装丁された「夫婦メモリー」を手に笑みを浮かべた。 二人は1958年に結婚。それから55年の歩みが53ページ、111点の写真とともに克明につづられている。「こげな本になって…。恥ずかしか」と幸繁さん。「親戚から寄せ書きをもらってうれしかった」と道子さんもうなずく。 自分史の夫婦版とい
高齢者の経験“買います” 臼杵市が10月からポイント制 [大分県] 2013年09月28日(最終更新 2013年09月28日 01時33分) 臼杵市は10月1日から、ボランティア活動に取り組む市内の65歳以上の高齢者を対象に、現金などと交換できるポイントを付与する制度を始める。中野五郎市長は「長年培った経験を地域で生かしてもらいたい」と話している。 市によると、9月1日現在の65歳以上の高齢化率は34%で、10年後には40%に達するとみている。このため、お年寄りが積極的に支え合う地域をつくろうと企画した。 「お達者長生きボランティア制度」と名付けた活動は、介護施設の食堂内での配膳やシーツ交換、散歩や外出の補助のほか、児童の登下校時の見守りや声かけ、地域で開かれるイベントの会場設営手伝いなど。活動内容を自分で選び、市役所で登録手続きをすれば、手帳が交付される。市は初年度、100人の登録を見込
自宅で老後を過ごせなくなった高齢者が暮らす介護施設。「ついのすみか」とも位置づけられるが、意外にも施設で最期を迎えるケースは少ないという。「病院死」が圧倒的な現状に疑問を抱き、施設で穏やかな最期を迎えてほしいと試行錯誤する介護スタッフや医療関係者が増えている。介護施設でのみとりを取材した。 「とても安らかな時間でした」。福岡市東区の住宅型有料老人ホーム・すばるの施設長、垣野至信(しのぶ)さん(48)は、施設内で初めてみとった女性=当時(84)=の最期を振り返った。 がんで「余命半年」と診断された女性は昨年2月に入居した。すばるは2011年10月の開設当初から「自然で穏やかな最期を迎えられるように支援」との理念を掲げており、女性をみとる覚悟で受け入れた。 春には食べるのも、座っているのも難しくなったが、往診と訪問看護を受けて介護を続けた。昨年5月下旬、医師に「家族に連絡を」と告げられた。その
空き家対策 実効性高める法整備急げ 2013年09月03日(最終更新 2013年09月03日 10時33分) 放置され、荒れ果てる空き家が全国的に増え、社会問題となっている。 空き家が適切に管理されずに放置されると、強風や地震など災害時に倒壊する恐れがある。放火やごみの不法投棄などの犯罪や被害にもつながりかねない。 管理が不十分な空き家対策として、自民党が防災・防犯などの観点を踏まえ、安全性の確保などを図る新たな法案づくりを進めている。早ければ、秋の臨時国会に議員立法で提出するという。 すでに多くの自治体が条例制定などを通じてこの問題に取り組んでいるが、限界もある。政府や国会は実態を把握し、実効性を高める法整備を急ぐべきだ。 5年ごとに実施する総務省の調査によると、2008年の全国の空き家は757万戸で、住宅全体の13・1%を占めた。この20年でほぼ倍増したという。 少子高齢化や人口減少な
終末期医療とケア、在宅サービスなどの課題を、医療や福祉の関係者、患者、市民らが学び合う「日本ホスピス・在宅ケア研究会」(神戸市)。7月には長崎市で全国大会が開かれ、在宅医療・福祉を担う地域のネットワークをテーマに、長崎の実践や各地の先進的な取り組みが紹介された。6日と7日にあった大会の様子を報告する。 6日は連続シンポジウムを開催。第1部で多職種が連携する「長崎方式」の取り組みを全国に発信した。 坂の町・長崎では往診が大変だが「病院から自宅に戻られない患者を出したくない」と志した開業医が連携。「長崎在宅Dr.ネット」を2003年に設立し、主治医とバックアップ役の副主治医が2人1組で24時間365日の安心を支え、自宅死率は約50%と高い。 その活動を側面支援するのが「長崎薬剤師在宅医療研究会(P-ネット)」。薬局の薬剤師が自宅を訪ねて薬の管理指導を担う。長崎市訪問看護ステーション連絡協議会が
70年間、心の支えにしてきたものがある。たんすの引き出しいっぱい、約150通に及ぶ手紙。26歳で戦死した夫が残したラブレターだ。 寂しいとき、悩んだとき…。宮崎市の貴島テル子さん(97)は折に触れて手紙を広げる。「気持ちが落ち着いて、元気になるんです。手紙の中の彼は生きているから」。海軍航空隊のパイロットだった夫の政明さんは、1942年9月5日、ソロモン諸島で戦死した。結婚から1年8カ月、一緒に過ごせたのはたったの75日間だった。 親友の兄だった政明さんと知り合ったのは、23歳のとき。父の赴任先の中国から宮崎に帰省中だった。海を隔てた手紙のやりとりが始まり、互いにひかれていった。 《貴女(あなた)を得ればほかのものを全て失っても悔いないくらいです》《毎日毎日貴女のことでいっぱいで苦しい》《この幸福が何時(いつ)までも何時までも続く様 確信すると同時に二人でそれを築き上げませう》 手紙は3日
死後の葬儀や家財処分を頼める人がいない…。独居高齢者の不安を和らげようと、福岡市社会福祉協議会が親族に代わって生前の見守りから死後の多様な手続きまでを請け負う「ずーっとあんしん安らか事業」が注目を集めている。無縁社会や人生の最期に向けて準備する「終活」ブームを反映してか、事業の登録者は年々増加。協力企業も広がっている。 「博多座の歌舞伎、どうでした?」「市川中車さんがよかったわ」-。8月の午後、福岡市城南区の団地に住む田川とみ子さん(86)と、市社協職員の城谷史子さん(54)のおしゃべりに花が咲いた。城谷さんは1人暮らしの田川さん宅を3カ月に1回訪問。2時間近く会話しながら、生活ぶりや健康状態に変化がないかを見守る。 独身の田川さんは1年前、安らか事業に登録した。福岡県三潴町(現久留米市)出身で、10人きょうだいの末っ子。きょうだいは全員亡くなった。故郷に親戚は多いが「めいたちに迷惑を掛け
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