1998年のワールドカップ(W杯)・フランス大会、日本は悲願の初出場を遂げた。だが、FW城彰二は3試合に先発出場し、ノーゴールに終わる。チームも3戦全敗でグループリーグ敗退となった。06年に現役を引退した城氏が大舞台で味わったエースのプレッシャーや責任、プロの世界で戦って得たことを振り返る。 ■夢舞台から一転……日本中から受けた激しいバッシング ――98年のW杯直前、エースFWだった三浦知良がメンバーから外されて日本中が驚きました 今までの絶対的エースストライカーがいなくなって、(当時の)岡田(武史)監督が「城をエースとして使う」と公言したことで、大きなプレッシャーが自分にかかりましたね。 ――城さんにとって、三浦選手はどんな存在なのですか? やっぱりオレは昔からカズさんにあこがれて、「この人をお手本にしよう」と読売クラブ(現東京ヴェルディ)の時代からずっと見ていましたから。18歳で