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emperorとresponsibilityに関するa1otのブックマーク (4)

  • 日本がなぜ戦争したかは、新国立競技場問題が教えてくれる 週刊プレイボーイ連載(206) – 橘玲 公式BLOG

    1923(大正12)年12月27日、国会議事堂に向かう皇太子(後の昭和天皇)の車が狙撃されました。犯人の難波大助は、父親が衆議院議員という山口県の名家に生まれた24歳の若者で、ステッキに仕込んだ散弾銃の銃弾は車の窓を破ったものの、同乗していた侍従長が軽症を負っただけで皇太子には怪我はありませんでした。 欧米のジャーナリストを驚かせたのは、事件よりもその後の出来事でした。 内閣総理大臣の山権兵衛はただちに辞表を提出し、内閣は総辞職しました。当日の警護の責任をとって警視総監と警視庁警務部長が懲戒免官となったばかりか、道筋の警護にあたっていた(事件を防ぐことはとうていできなかった)一般の警察官までもが責任をとらされて解雇されます。 難波の出身地の山口県の知事と、上京の途中に立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責処分となり、郷里の村は正月行事を取り止めて「喪」に服しました。難波が卒業した小学校の校

    日本がなぜ戦争したかは、新国立競技場問題が教えてくれる 週刊プレイボーイ連載(206) – 橘玲 公式BLOG
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    a1ot 2015/08/10
    「政治学者の丸山真男は皇太子狙撃事件を例にあげて、日本社会の特徴は範囲の定めのない無限責任にあると論じた。いったん不吉なことが起きると、関係する全員がなんらかの“けがれ”を負い、批判の矢面に立たされる
  • 遠州報國隊さんの「報國、愛國、憂國、そして靖國」:イザ!

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    a1ot 2014/02/06
    「対『内』的な敗戦責任は、神聖にして不可侵とされ、世俗的な政治権力を行使することがなかった天皇個人には、ない」
  • 安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋

    憲法を改正したい、誤った史観を正したい 政権発足から丸1年が経過した2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。首相の靖国参拝は06年の小泉純一郎氏以来、7年ぶりのことである。今回の安倍首相の靖国参拝を「馬脚を現した」という声もあるが、そうではない。質的にそういう人間なのだ。 安倍首相の応援団は2派ある。一方は経済重視のアドバイザリーグループで、「靖国参拝は封印して経済に専念せよ」と安倍首相の手綱を引っ張ってきた。もう一方は、地元サポーターなどの伝統的な保守勢力からネトウヨ(ネット右翼)まで含めた右派グループで、彼らは「国民の代表である首相が靖国に行くのは当然」と考えている。 安倍首相のメンタリティはどちらかといえば後者に近い。つまり集団的自衛権を行使したいし、憲法を改正したい、戦後の誤った史観を正したい。そして靖国神社に参拝したいのだ。 それらを封印して1年頑張った結果、

    安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋
    a1ot
    a1ot 2014/02/05
    「『先の戦争における本当の加害者は誰なのか』という議論は、本来、日本人自らがしていなければいけない、絶対に不可欠な作業である。しかし問題を突き詰めていくと、どうしても天皇の戦争責任に行きついてしまう」
  • 豊健活人生:春山昇華 : 昭和天皇伝 : 伊藤 之雄

    2012年10月02日21:10 カテゴリ[edit] 昭和天皇伝 : 伊藤 之雄 明治、大正、昭和、平成、と連なる日政治と経済の歴史を猛烈な勢いで調べ始めた2012年だ。 この間45年間、そして64年間という在位である明治天皇と昭和天皇の事を調べずに避ける事は出来ない。 歴史的な資料の公開が相次いでいるので、なるべく新しいが良いと考えて、下記の昭和天皇伝を購入した。 ザーっと一回読んで、現在2回目の読み込みをしている。 昭和天皇伝では、満州事変、日中戦争、太平洋戦争、と移り変わる時代の中での様々な人間関係の有様が記述されており、他の書籍の記述の裏取りや補完ができて参考になる。 しかし、そんな調べ事から離れて、一番心に引っかかった文章は、下記のコピペ部分であった。 外人から指摘される「日人のあいまいさ」、「日人の優柔不断さ」の遠因はここにもある、、、そんな事を強く感じたのだ。

    a1ot
    a1ot 2012/10/04
    もしあと10年早く昭和天皇が円熟した政治能力を習得していれば、無分別の若者による原敬の暗殺がなければ、桂太郎の早すぎる病死がなければ、と合わせて3つのタラレバ
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