サッカーJ3アスルクラロ沼津のMF伊東輝悦選手が、今季限りでの引退を発表しました。そのプレースタイルから “テルドーナ”と呼ばれ、1996年アトランタ五輪では、優勝候補筆頭のブラジル相手にゴールを挙げ、“マ…
サッカーJ3アスルクラロ沼津のMF伊東輝悦選手が、今季限りでの引退を発表しました。そのプレースタイルから “テルドーナ”と呼ばれ、1996年アトランタ五輪では、優勝候補筆頭のブラジル相手にゴールを挙げ、“マ…
1993年のJリーグ創設時を知る唯一のJリーガー、J3アスルクラロ沼津のMF伊東輝悦(50)が、今季限りでの現役引退を発表した。 清水エスパルスでプロ生活をスタートし、高卒2年目の94年6月11日のガンバ大阪戦でJリーグデビュー。J1通算517試合出場は歴代9位で、ヴァンフォーレ甲府時代の2011年7月には史上初めてJ1通算500試合出場を達成した。主にボランチとして活躍。特筆すべきはそのフェアプレーだ。 J2通算25試合、J3通算18試合を合わせ、リーグ戦で560試合に出場したが、レッドカードを受けたことがなく、累積警告による出場停止もなし。リーグ屈指の出場数を誇りながら、警告数はJ1通算25枚、J2、J3各1枚の計27枚にとどめた。07年には全34試合3056分間の出場でカードなし。フェアプレー個人賞を受賞し、「フェアでアグレッシブなプレーを続けていければいいと思います」と話していた。
MF伊東輝悦、今季限りで現役引退…Jリーグ元年からプレーする“50歳”が32年のプロ生活に終止符 2024.10.31 アスルクラロ沼津に所属する元日本代表MF伊東輝悦が、今シーズン限りで現役を引退することを発表した。 現役Jリーガー最年長がスパイクを脱ぐことを決断した。Jリーグが開幕した1993年からプレーする“日本サッカー界のレジェンド”伊東は、1974年8月31日生まれの現在50歳。高校卒業後、1993年に清水エスパルスでプロキャリアをスタートすると、1996年にはアトランタオリンピックのU-23日本代表に選出され、初戦のブラジル代表戦で決勝ゴールを記録。『マイアミの奇跡』の立役者となり、翌年にはA代表に初選出された。1998年のFIFAワールドカップ(W杯)フランス大会では出場こそなかったものの、本大会のメンバーに入り、国際Aマッチでは通算27試合に出場した。 1999年には清水を
「サッカーが好きで、プレーすることが何より楽しい。プロ1年目から何も変わらないですね。若い時に『長くプレーできたらいいな』と思っていたけど、まさかこれだけ長くプレーしているとは思っていなかったから、変な話、プレーすることに関してはいつ辞めてもいいんじゃないかというか、言うことねぇっていうか。これだけプレーできているのは、『すげぇ幸せだな』と思っているんです」
サッカーJ3・アスルクラロ沼津の元日本代表MF伊東輝悦(48)とDF大迫暁(24)が24日、三島市内でサツマイモの収穫作業を行った。 三島市、JAふじ伊豆の協力のもと、ホームタウン活動の一環として参加。同市の特産品「三島甘藷」の収穫に汗を流した。 伊東は「(芋掘りの経験は)記憶にない。掘り出すだけの状態にしてくれてあったので、気持ち良かった」。大迫も「2年前に植え付け作業を経験させてもらい、今回は『その先』を知れて楽しかった」と笑顔で振り返った。収穫したサツマイモは、11月の今季ホーム最終戦で販売される。 今季は残り4試合。30日の次節は、ホームでヴァンラーレ八戸と対戦する。現在チームは6戦勝ち無し(3分け3敗)と苦しい状況が続くが、伊東は「結果が伴わず難しい状況だけど、前向きにやっていきたい」。地元市民との交流を通じて英気を養った様子だった。
伊東輝悦(アスルクラロ沼津)インタビュー@後編 8月31日に47歳の誕生日を迎える伊東輝悦は、現在J3のアスルクラロ沼津でプレーする。現役Jリーガーとしては、54歳のカズ(三浦知良/横浜FC)に次ぐ2番目の年長者だ。 常人には想像もつかない領域に足を踏み入れている"鉄人フットボーラー"は、果たしてどのようなメンタリティで格闘しているのか。その心境を語ってもらった。 「伊東輝悦(アスルクラロ沼津)インタビュー@前編」はこちら>> 今年でプロ生活29シーズン目の伊東輝悦この記事に関連する写真を見る---- 18歳でプロ入りして以来、今年で29シーズン目を迎えました。清水エスパルスに入団した当時、この年齢まで現役を続けているイメージはありましたか? 「できるだけ長くプレーしたいとは思っていましたけど、たとえば35歳までとか、具体的な目標を設定したことはなかったですね。そもそも、この年齢までやって
伊東輝悦(アスルクラロ沼津)インタビュー@前編 1996年7月21日、日本がブラジルから大金星を挙げた「マイアミの奇跡」は、サッカーファンの垣根を超えて今も人々の間で語り継がれ、日本のオリンピック史における伝説のひとつとして数えられる。 あれから25年。東京オリンピック開幕を目前に控えた今、あの伝説の試合で決勝ゴールを決めた伊東輝悦が、当時の思いを振り返ってくれた。 アトランタ五輪ブラジル戦で決勝ゴールを決めた伊東輝悦この記事に関連する写真を見る---- テレビ番組などで「マイアミの奇跡」の映像が流されるのは、もはやオリンピック前の風物詩になりました。そのことを当事者として、どのように受け止めていますか? 「あれがなかったら、こうした取材を受ける機会もなかったし、4年に1度、定期的にあの映像がテレビで流れることで僕のことを思い出してくれる人もいるわけだから、個人的には良い思い出になってます
この度、アスルクラロ沼津は下記選手と契約を更新し2019シーズンも共に戦っていただく事が決定いたしましたので、お知らせ致します。 伊東輝悦 (Teruyoshi ITO) 【ポジション】 MF 【出身地】 静岡県 【生年月日】 1974年8月31日(44歳) 【身長/体重】 168cm/70kg 【経歴】 清水エスパルス - ヴァンフォーレ甲府 - AC長野パルセイロ - ブラウブリッツ秋田 【2018シーズン出場記録/得点】 リーグ戦 0試合 / 0得点 天皇杯(予選) 0試合 / 0得点 【コメント】 今季もクラブの躍進、発展に貢献できるように頑張りたいと思います。 よろしくお願いします。
起こせジャイキリ サッカー日本代表◆J3アスルクラロ沼津・伊東輝悦選手 日本サッカー史上最大の番狂わせといわれる「マイアミの奇跡」。1996年アトランタ五輪でブラジルを破ったこの一戦、勝利に導くゴールをあげたのが、43歳の今も現役の伊東輝悦選手(J3アスルクラロ沼津)です。前評判がいま一つのワールドカップ(W杯)日本代表に勝算は? 伊東選手に聞きました。 いとう・てるよし 1974年生まれ。静岡県出身。ポジションはMF。93年にJ1清水に入団し2010年までプレー。J1甲府やJ3長野などにも所属。17年に沼津に移籍した。11年に史上初のJ1出場500試合に達するなど、J1通算出場517試合(歴代7位)、30得点。日本代表として国際Aマッチ27試合に出場。 《主に23歳以下の選手で臨む96年アトランタ五輪にブラジルは、後に世界的な選手に成長するロナウドやロベルトカルロス、オーバーエージ枠にも
今季からJ3に参戦するアスルクラロ沼津が、元日本代表MF伊東輝悦(42)を獲得することが20日、分かった。23日の練習から合流する見通し。 静岡市清水区出身の伊東は、東海大一高(現東海大翔洋高)から1993年にJ1清水入り。2010年まで18年間プレーした。96年アトランタ五輪代表でブラジル戦の決勝点を挙げ、日本代表でも国際Aマッチ27試合に出場した。J1通算517試合(30得点)出場は歴代4位。清水退団後はJ1甲府、J3の長野と秋田でプレーした。静岡のクラブでのプレーは7年ぶりとなる。 アトランタ五輪でコーチを務めた沼津の山本昌邦会長(58)を中心に伊東との交渉を続け、入団が内定した。 沼津はJ1磐田の黄金期を支えた元日本代表FW中山雅史(49)も所属する。クラブ関係者は中山と、清水の中心的存在だった伊東の両ベテランに、豊富な経験をチームに還元してくれることを期待している。
【秋田】42歳「鉄人」MF伊東輝悦が退団 現役続行に意欲 2016年11月16日17時49分 スポーツ報知 伊東輝悦 J3秋田は16日、元日本代表MF伊東輝悦(42)と来季の契約を更新しないことを発表した。 伊東はJリーグ元年の1993年、東海一高(静岡)から清水入りした。J1通算517試合30得点を記録し、「鉄人」の異名を持つ。2014年、J1甲府からJ3長野に移籍。今季は秋田で2試合に出場した。また、1996年のアトランタ五輪では、ブラジル戦で決勝点を記録し「マイアミの奇跡」の立役者になった。98年フランスW杯のメンバー入り。国際Aマッチ27試合に出場している。 伊東は秋田を通じ、「1年間の短い間でしたが、僕にとっても家族にとってもよい時間を過ごすことができました。ブラウブリッツ秋田のために少しでも貢献できていればうれしいです。今後のクラブのますますの発展を願っています」とコメントし
今季からJ3長野に加入したMF伊東輝悦(39)が20日、93年から18年間プレーした古巣・清水のクラブハウスを訪れた。竹内社長らとの会談後に、取材に応じた。報道陣から、かつて自身が清水で14年間つけた背番号「7」を今季から背負うMF本田拓也(28)について問われると「自分のスタイルで頑張ってほしい」とエールを送った。
サッカーJ1ヴァンフォーレ甲府(VF甲府)と清水エスパルスによる“富士山ダービー”が11日、山梨中銀スタジアムで行われ、VF甲府は0-2で敗れた。今月15日、20周年を迎えるJリーグ。敗れはしたものの、プロ選手としてJリーグと同じ時間を過ごしてきたVF甲府の伊東輝悦選手(38)にとって、特別なダービーマッチとなった。 1993年5月15日、東京・国立競技場。5万9626人の大観衆が見守ったV川崎(現東京V)-横浜マリノス戦でJリーグは幕を開けた。 同年春、静岡・東海大一高を卒業した伊東選手は、清水に加入。以来、清水で18年、VF甲府で2年。Jリーグの歴史とともに、プロのキャリアを積み、フィールドプレーヤーとしてはJ1最多の出場を記録している。 11日、山梨中銀スタジアムで行われたVF甲府-清水戦。腰、ふくらはぎなど度重なるけがで出遅れていた伊東選手にとって、今季初めてのリーグ戦メンバ
かつて清水で指揮を執っていた(1996年~1998年)町田のオズワルド・アルディレス監督と師弟関係にあたる伊東輝悦選手。プロ入り20年目を迎えたいまでも、影響を受けた指導者の一人の“オジー”の名を挙げるなど「出会いは本当に大きかった」(伊東選手)。22日のJ2第9節・町田戦では、その二人がひさびさの再会を果たしました。 試合前に、さっそくあいさつに出向いたという伊東選手は「会ったのは10年ぶりぐらいかなぁ。清水のときはまだオレも20代前半で若かったけど、いまでは髭が生えていて、お互いに『歳をとったなぁ』って(笑)。懐かしかった」。 さらに町田が本来の[4-4-2]ではなく、[3-5-2]システムで臨んできたことについては「オジーが清水でやっていたときも[3-5-2]システムだったからね。スイーパーには森岡(隆三)がいて、ストッパーは斉藤(俊秀)と戸田(和幸)がやったり。サイドにはアレックス
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