理論や理屈を知っていれば、自分もそれができると思いがちだよあいつら。 スポーツやってりゃ、スイングの理論知ってても、それが実践できなけりゃ意味無いなんて事は考えるまでもなく分かってる事なんだけどな。 知ってるとできるは別問題っていう当たり前すぎる事。 ググってスッキリ俺天才。説明できたから俺は問題なし。で止まっちゃう奴って、やっぱそういう経験あまりない奴が多いんじゃね? それ一歩も動いてないのと何も変わらないのにな。
どのベクトルにであれさー、 ちょっとでも過剰な言説をさー、 みんなネタとして扱ってさー、 深入りを避けているよなー。 にも関わらず、ブクマだけはするんだからなー。 「ネタをネタとして見抜(ry」、ネタとマジをしっかり区別するのが紳士たる条件だったのが、ちょっと浮世離れしたこと言うと「もうみんなネタと見なしてしまえ」って風潮があるのがどうにもこうにも。 そんなみんな傷つくのがイヤか? 馬鹿扱いされるのがキライが? 「魚」とやらになりたくないのか? アホか? だったら、id被って発言すんのなんかやめちまえよ。 名前なんか捨てて、裸一貫で2chに戻れよ。増田になれよ。 それが出来ないんなら、たった今「釣り乙^^」米つけたブログに向けて、1000文字のマジレストラバ送りつけろよ。考えろよ。思考停止すんなよ。それじゃあ勘違い君方式やってる側だって可哀想だろ。あいつら人の尻に鞭打ちつけて歩かせるために
トラカレ! ― 知と情報を繋ぐ人文系ニュースサイト ― - 筆不精者の雑彙 : ロフト+1「秋葉原通り魔事件 絶望する社会に希望はあるか」レポ でリンクされているロフトの秋葉原事件のイベントのレポート(ZIPされたテキストデータの方)を読んでいたら、質疑応答での東浩紀氏の発言が面白かったのでメモ。 質問者1「物語がコピーというのが許せない」*1 東「オリジナルなんてないよ。ゲームみたいなもんだ。でも1回しかない。コピーとかオリジナルとかって問題じゃない。今のセーブデータを大切にして生きろ」 すごい、かっこいい。フィクションの決めゼリフみたいだ。っていうと馬鹿にしているように聞こえるけど、本気でかっこいいと思ったので! この発言を見て思ったけど、ノベルゲームみたいな物語重視タイプのゲームにおけるセーブデータって、個人個人の差は薄いけれど、それ以外のゲームのセーブデータの方が個人個人にとって違
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p3#cコメント欄でのSayokというお方の発言を引用。 >CloseToTheWall あなたはここの他の人に比べるとだいぶましな反論をしてきますね。しかし、「優生学がもし学問的に正当なものとして認められるようになっていたとしても、ホロコーストは批判されなければならないんです。」というあなたの主張は私には到底認めることができません。もし仮に今、優生学が正当であって全人類の繁栄のためには倫理に目をつむってでもホロコーストが不可欠であるという結論が出たとするならば、それはトリアージと同様に「正しい」と私は認めます。私たちは今ここにいるからホロコーストを批判できるのです。当時、優生学の正当性、そしてホロコーストの正当性を信じていた人間にホロコーストを批判することなど不可能です。逆にいえば、ホロコーストを批判するには優
「知識は正しい方がよい」という話をもうちょっと掘り下げようと思ったら、なぜか懐疑論になってしまったので、先にこっちを投下します。 懐疑主義とは疑うことではない まかり間違って私の文章を読んでいるような人から見ると、世間には「あまりに簡単に信じすぎだ」と思うことが多いかと思います。そういった問題意識があるからこそ、「疑え」という強い主張が出てきます。 そんなわけで、「疑え」というキャッチフレーズは良く使われます。懐疑主義の猛者というより「ニセ科学批判者」という肩書きで有名になってしまった菊池誠さん*1のASCIIの記事も「ASCII.jp:信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く (1/3)」でしたし、香山リカさんとの対談本も『信じぬ者は救われる』です。 結果として「疑う事が重要だ」「懐疑主義者は、常識も、そうでないものも疑ってかかる」という印象が強くなり、「疑え」は懐疑という考え方
既にどこかにもっと分かりやすい適切な話がありそうなのですが、「はてな」というエントリの「謙虚さが足りない」に対し脊髄反射的にエントリを上げてしまいます。一応、自然科学を頭に置いてますが、科学と呼ばれるのが適切な分野なら殆ど当てはまるものと思います。脊髄反射的なので、散漫な文章です*1。 科学は万能か? 「まともな科学者で科学を万能だと思っているような人はいない」というFAQとして有名なぐらい明確に答えられます。万能なんかじゃありません。もう、問われる前から「当たり前」だったんです。 論理で、「演繹」とか「帰納」とか出てきましたよね。帰納は論理的にも絶対的な真にはならないという話も知っている人の方が多いかもしれません。100人の人を集めてきて、陸上短距離100m走のルールで100mを10秒代で走る人が居なかったからといって、100mを10秒代で走る人が存在しないわけではありません。101人目
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