村上裕一 | yuichi murakami | 文フリ東京 せ-62 @murakami_kun ようやくABを見始めたが、1秒目は神と思い、1分後にはゴミと思い、5分後には正確なのか?と思ってきた。 2010-05-02 13:50:30
村上裕一 | yuichi murakami | 文フリ東京 せ-62 @murakami_kun ようやくABを見始めたが、1秒目は神と思い、1分後にはゴミと思い、5分後には正確なのか?と思ってきた。 2010-05-02 13:50:30
ちなみに、一回目は複雑系の池上高志氏、二回目には翻訳などをしている山形浩生氏。行かなかったのが今更だいぶ悔やまれる。 講演の主題は「知」についてである。図書館は知のアーカイブを担うが、知のありようそのものが動いている状況で、図書館はどのように変化していくべきか。 まず 国立国会図書館館長、情報工学者、長尾真氏が話す。長尾氏の時代はネット、図書館はない。本すら十分にな買った中で問題解決には知識を集めてもどうしようもなく、深く考えるということになる。しかし、近年情報がふんだんにある中で考えることをしなくなった。知識の累積のなかには直面する問題の答えがどこかにある。考えるより探す方が楽な時代になってしまった。 自分たちの場合、基本的な定理から証明していっていた。1日2日かけて鶴亀算の解答が思い浮かぶという経験があったという。今は探せば必ずあり、それを見た方が早い。ある意味で非常に嘆かわしい、と。
@kohmiの登場とついコン騒動いままでTwitterに使い慣れてきたユーザーにとって、@kohmiこと広瀬香美さんの登場はかなり大きな衝撃だったのではないでしょうか。もちろん、有名な小説家やミュージシャンなどの「有名人」のTwitterへの参入は、それまでもよく見られたことでした。しかし、それでもkohmiさんのようにある一時期に、あれほど多数のユーザーの注目を集めるような「有名人」がTwitterに現れることはなかったのではないでしょうか。今は少し鎮静化して穏やかになったものの、彼女発言や「ヒウィッヒヒー」話などは、一時は新聞等の外部メディアまでに取り上げられるほどまでの過剰なの盛り上がりを見せていました。では、あの異様な盛り上がりは、いったいなにによって引き起こされたものだったのでしょうか?いったい彼女のどのようなところが、Twitterユーザーをあそこまで惹きつけたのでしょう?この
濱野智史 | Satoshi Hamano @hamano_satoshi 直前の再告知。あさって月・祝の16:00からは「創造するアーキテクチャ」に登壇。江渡浩一郎+木原民雄+中西泰人+濱野智史。場所は六本木ヒルズ。入場無料・予約不要。http://bit.ly/4wpfhd タグは #afc2009 Hiro Kanki @hkanki 7月の「創造するアーキテクチャ」で印象に残ったのは、江渡さんと濱野さんが、それぞれに描いた夢の挫折体験を語ってくれたこと。ちょうど二人が在学した狭間に創設メンバーが徐々に去り、多くの人々に「慶應の残念なSFC」と揶揄された時代の、学校の姿が重なりました #afc2009
@tenkyoin アーキテクチャー派とコミュニケーション派って、例えば新しい土地に引っ越しす人が「どこに住めばよいか」という質問に対して、どう答えるかを考えると分かりやすいかも。 @tenkyoin アメリカなんかだと、シムシティばりに、その都市の「人種別居住地域マップ」「収入階層別居住地域マップ」「犯罪発生率別居住地域マップ」みたいなものが手に入る。 @tenkyoin アーキテクチャー派だったら、そのマップを手に入れて(手に入れない状況だったら、そういったマップがオープンに作られるようなインフラを整備して)、自分の収入・人種と照らし合わせて決めなさい、と教えるだろう。
「建築夜学校2009 データ、プロセス、ローカリティ ― 設計プロセスから地域のアイデンティティを考える」第一夜 感想 まずは僕の感想を。 ・twitterで実況をさせていただきました。建築学生でtwitter中毒(一部ではツイフルエンザとか言われてますがw)な方はまだ全然少ないと実感してますし、これからもそんなに増えないのじゃないかと思ってます。なぜなら、建築の学生は「つくる」ことが好きな人だから。ただ、大学や地域、さらには世代を超えて情報を共有できたり議論ができるという点においては、twitterはかなり有効なツールだという僕の実感があって、もっと普及していけば教育のあり方を一変に変えうる可能性を感じました。 ・上にかいた話を受けて今回の議論に重ねて見ると、集合知による設計と建築家個人による設計という対立が設定された議論の終盤の部分を受けることができると思います。僕はこの対立軸に疑問が
「建築夜学校2009 データ、プロセス、ローカリティ、設計プロセスから地域のアイデンティティを考える」 非常に素晴らしいイベントだったのだが、ツイッターでの実況もあり、内容はいくつかレポートもあるので、ここではこのシンポジウムを藤村龍至氏が設計(デザイン)したひとつの作品として読み解くという、いささかアクロバットではあるがそのような方法を試みてみたいと思う。もちろんシンポジウムは誰かが設計したひとつの作品では決してない。しかしそれなら建築はどうだろうか。建築も誰かが作ったひとつの作品ではないと言う意見は大いにありうる。だからここではひとつの建築を作品として論じるのと同じように、ひとつのシンポジウムを作品として論じてみたいのだ。そして今回このようなことを試みなければならないのは、建築学会の学会誌である「 建築雑誌」で特集が組まれていながら、その中身は各論者の批判的なことのみが掲載されるという
今回筆者が編集部から依頼されたテーマは、「きたるべき秩序とはなにか」というものだ。その論考に入る前に、自己紹介もかねて、本稿を執筆するに至った背景や経緯について簡単に記しておきたい。 昨年から筆者は、さまざまな場所でウェブ上の新しい「秩序」に関する論考を発表する機会に恵まれてきたが★1、そこでキーワードにしてきたのが「生態系」や「生成力」といったある種の生命論的・生態学的なメタファーであった。インターネットの大衆的普及からはや10年以上が経過したが、そこでは種々さまざまなコミュニティやそれを支えるアーキテクチャ(人工構造物)が日々発生・成長・淘汰を繰り返しており、その全容を見渡すことは極めて難しくなっている。筆者はまずその現象に切り込むための解読格子として、「生態系」をはじめとする生命論的なメタファーを採用したのである。 ■ しかし、ただちに注釈しておかねばならないのは、こうした生命系のメ
2009年07月30日23:00 カテゴリ都市デザイン 超高層の嫌いな僕が、あえてその魅力を考えると… 某大学の留学生から、超高層の観光における可能性、というユニークな研究で、僕に意見を求めてきた。台湾出身で、日本の高層建築は台湾のそれと違い「街」のようになっている。これは、都市観光資源として見ると面白いのではないかというのである。 超高層がなぜ東京で80年代以降ドドッと建てられるようになったのか、まずその社会的な背景を述べた。バブル経済の真っただ中にあった日本は、アジア地域の都市間競争に勝ち抜くために、まず規制緩和をし都市再生の名のもとに都市再開発を強力に進める必要があった。なかでもその中心となる東京は、インフラ整備、高度情報化、高密度化を推進し、高付加価値型都市へと転換することが求められた。日本経済の発展という錦の御旗のもと、都市の建物は高層化せざるを得なかったのだ。 次に超高層とは何
最近思想地図のvol.3 特集・アーチテクチャー*1を読んでいます。非常に面白くて、まだ全部読み終わってもないのに、こうして記事を書く気になりました。 ここで言われているアーチテクチャーという言葉は拡大解釈されて使われていますので、言葉の説明から入ります。 「アーチテクチャー」という言葉には「建築」、もう少し抽象的な「社会設計」、そして最近では「コンピューターのシステム」という三つの意味があります。さらに付け加えると、現代社会において人間の生活にいつの間にか入り込んで人々の行動を制御する、工学的で匿名的な権力の総称としても使われるようになっている。(東浩紀) というわけで思想地図ではWEB・建築・サービスなどのなじみのない話が交わされることになるのですが、これがTRPG論だったらどうだろうと考えると身近な問題となって考えやすくなり、いろいろアイデアも湧いてきます。以下、TRPG論としてはそ
西田亮介のblog 所属 : 慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程。 専門は政策形成とソーシャルイノベーション。 最近の研究分野は湘南の地域活性化と大規模商品間関係の分析。 NPOや自治体、企業などのソリューション・デザインにも携わっています。 また、『思想地図』vol.2や『α-SYNODOS』等に寄稿させていただきました。 企画立案や執筆、非営利組織のファンディング等、仕事の依頼はサイドバーの「about me」からお願いします。 This weblog written by Ryosuke Nishida, Graduate Shool of Media and Governance, Keio University in Japan. Major in regional development(Shonan, Japan) and trend
「思想地図 vol.3」刊行記念 濱野智史×藤村龍至 @青山ブックセンター・カルチャーサロン 19:00から行われた藤村龍至氏と濱野氏の議論は、藤村氏によって設計された。最初に建築学生に向けてメモをとってそれを踏まえて感想を書け、質問は聞きながら準備しろ、といっていた。 前半―超線型プロセス論について 議論が始まる前に藤村氏の超線型プロセス論についてのレクチャー。ここで自分の誤認に気づかされた。フレームとしてはシステマティックではありながら細分化された諸条件の入力、選択と対応する解決には明らかに主観的な手法が持ち込まれている。あまりにマクロに考え過ぎて、建築家のみているところをみていなかった、明らかな私のミスであった。変数の扱いは個人差が出てくる。教育実践の場で、結果は評価の対象にならず、どこまで忠実にプロセスをふんでいるか、そして最優秀には変数を独自に増やした学生が選ばれたというところで
ちょっと油断するとオタク電波を受信しがちのぼくですが、『思想地図』第3号の編集も着々と進めています。寄稿も集まり始めています。 まずはお知らせですが、じつは次号では円城塔氏に短編(論文ではなくて小説)を寄せてもらっています。そしてこれがじつにすばらしい。例のシンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」への応答になっているとともに、『Boy's Surface』のような思弁的で奇妙な恋愛小説にもなっています。円城氏の作品のなかでも、一、二を争うものなのではないかと思うので、ぜひお読みください。 他方、今回はまた福嶋亮大くんにご登場願っているのですが、こちらの村上春樹/東方論もたいへんすぐれています。先日乱入したGEISAIのスーパー☆ラルクブースの黒瀬くんとの対談で、ぼくはメガホン片手に「ゼロ年代には、大文字の、すなわちコンセプチュアルな文学/芸術は死んで、その外部のジャンクを次々と文学認定、
もう先月の話になってしまったが、1月28日、東京工業大学大岡山キャンパスで行われた『思想地図』シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」のレポートを書こう……。と思っていたのだが、すでにid:gginc によるレポートを始めとして、色々と出揃っている感はある。ので*1、シンポジウムの話はそこで確認された問題設定の確認にとどめ、その後31日に行われた建築系のイベント「Live Round About journal」のレポをメインに書いていきたい。 と最初は書いたのだが思ったよりシンポの話が長くなったので前後半に分ける。今回は思想地図シンポの話 例によって以下敬称略。 2つの問題設定 「切断」による恣意的な固定/ひろゆき的公共性 冒頭、司会の東浩紀がシンポのコンテクストを二つ挙げていた。一つは、 徹底討論 私たちが住みたい都市 身体・プライバシー・住宅・国家 工学院大学連続シンポジウム全記録
沈と黙こんばんは。 最近、ブログの更新なんでしないの?と聞かれることが多いのですが、 なかなか更新してなくてすみません。 なんというか、なかなかネタがなくて困っているというのが本音です(笑) まぁ、考えすぎず、カフェのスイーツ写真とかをのっけた丸の内OL日記みたいのを書けば 良いのかなと思うのですが、 ゼロアカに出ている以上、それじゃダメなのかなと思ったりして・・・。 ・・・とかなんとか考えているうちに、また更新せずに一日が終わってしまうので、 とりあえず書く癖だけでも取り戻したいと思う今日この頃です。 さて、先日、NHK時代からの友人であるディレクターのY君や プロデューサーのO君と、久しぶりに会ってきました。 2人とも同い年なんですが、昔からの友人というものはやはり良いものですね。 ちなみに、僕はNHKという組織の在り方に対しては大きな疑問を持っていますが、 現場レベルでは、今でも親し
筑波批評社の面々が都内まで来て聴講しに来るということを聴きつけ、補講終了後、だらだらと大岡山に向かいました。 到着するまで、大学の教職で知り合った親切な教官から印刷代をお支払いして譲っていただいた、J.ジェインズの私家版訳を読んでいました。ISBNコードがついた本もちゃんと出ているのですが、この同人誌の方が翻訳に気合が入っている(らしい)。 面白いです。神話・哲学・心理学・物語論・レトリック論が渾然一体となったような魅惑的な議論が序盤からひたすら続いている。しかもアイディアの核となる〈双脳精神〉という概念がとてもよい。私たちの祖先は、「意識」と呼んできたものを外にも置いていた頃があったかもしれない(そしてそれが「神々」と呼ばれていたのではないか)というようなことが仮説として論じられている。トンデモ一歩手前ですが、これって宮崎駿映画の主人公達にそのまま当てはまりそうです。彼・彼女らは、自我の
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