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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (54)

  • 平成四十一年、晩夏、太海にて  - 北小路ゲバ子の恋

    平成四十一年の晩夏、勤め先の金1.600.000.000円ちょうどを横領、かたことの日語を喋るおんなと逃避行に出たものの、六日目の朝に目覚めると、そのおんなに持ち逃げされており、どうにか財布に残っていた銭金を頼りに国道をさまよう。彷徨五日目、くたびれ果て、外房・太海、民宿に入る。ラウンジで缶ジュースを買うかどうかと小一時間悩んでいると、私よりもいくばくか若い男が申し訳なさそうに話かけてくる。「あのう 野球…って知ってます? 知ってますか! 川端は?清川は?山根は? …じゃあ秋村は? そうです、宇部商出身の秋村です。なんだ、詳しいじゃないですか。ここはひとつ、昭和生まれ同士、ファミスタ、ファミスタをやりませんか?」 その男、自転車で神奈川から来たという。つちのこを避けそびれて転倒し怪我を負い、ここに留まっているという。暇をもてあまし、宿のなかを物色するうちに都合よくファミスタを見つけ出した

    平成四十一年、晩夏、太海にて  - 北小路ゲバ子の恋
  • 東向島・墨田・八広・向島 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2005.01 東向島(東京都墨田区) 「陰惨な、暗い、絶望と宿命の折りかさなっているような、侘びしい土地であったが、それでいて、吉原などのような伝統と型にはまった感じはなく、むしろ一種独特な自由で明るい空気は、その日くらしを通して溌剌たる新鮮さにみちていた---時代の相違ともいえるが此処では瞬間があって永遠がない。だからこそきれぎれの時間がひとつひとつの永遠を表象しているともいえる。」  (尾崎士郎「人生劇場 残侠篇」) 前田豊「玉の井という街があった」(立風書房)より孫引き。南喜一(艶歌師・共産党員から国策パルプ会長になった人物)が玉の井銘酒屋組合に対抗する「女性向上会」をつくり、「玉の井戦線ニュース」を発行する話などが面白い。 ほか、玉の井では永井荷風「墨東奇譚」、高見順「いやな感じ」、滝田ゆう「寺島町奇譚」、鳩の町では映画「渡り鳥いつ帰る」などがあるが、今現在のこのあたりを収めた

    東向島・墨田・八広・向島 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/06/28
    くわあ / 来週行く
  • 法政大学学生会館 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2003.08 法政大学構内(東京都千代田区) 雨の滴に見えるのはオーブである。内ゲバで死んでしまった人びとの怨霊である。 「ねえ、クルプスカヤ」「なんだい、清水?」「革命がうまくいったら、なにかいいことがあるの?」「あるですとも! 大河ドラマで『太田龍がいく』が4年かけて放送されたり、小金井の『江戸東京たてもの園』が『共産にっぽん革命建物博物館』に改装されるんだですとも!」 そうだ、共産にっぽん革命建物博物館が出来るのだ。そこには何が展示されるのか。やはり法政大学六角校舎や学生会館、池袋時代の前進社ビルが復元されるのは確実で、斎藤和と浴田由紀子が互いの名も知らぬままに暮らした亀戸のマンションの一室もだ。鈴木邦男さんが暮らす「みやま荘」も蝋人形と化した鈴木さんとともに展示されるだろうし、三里塚空港管制塔からは一日3回 1978年3月26日のごとく紙がまかれるショーが催されるわけだ。お

    法政大学学生会館 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/06/28
    好きすぎる。
  • 津田沼 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 JR市ヶ谷駅(東京都千代田区) 東京の西の方より、朝、中央線でなしに総武線に乗ってみる。少しでも会社への到着を遅らせたいからで、要するに一時しのぎの現実逃避。10分程度の違いしかないのだが。いや、それ以上の違いがあるか。どのみち東京駅までしか行かれない中央線と違い、総武線は隅田川を越え、荒川を越え、千葉県まで行ける。「津田沼行き」、どんな沼だかは知らないけれども、沼にさえも行ける。そんな総武線ならば、ほんとうに現実から、私という事実から逃避してしまえるかもしれない。 そのようなことを想いながら総武線に乗ってみては、ちゃんと秋葉原で京浜東北線に乗り換える。四の五の言いながらも、結局は踏み外せない。高校も卒業したし、大学も出たし、就職をしもした。働きもしている。これは、無能でありながらも、身の程をわきまえることなく普通であろうとするあまりに、無理した結果に過ぎない。 よくよ

    津田沼 - 北小路ゲバ子の恋
  • 電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2005.07 千束(東京都台東区) 「道徳などというものは、そうですね、土曜日の午後、発売されたばかりの村上春樹の新著をさっそく読んでいる、そういう余裕のある人たちに任せればいいのだと想いますよ。社会は彼らのものですし、世間とは彼らのことですから」 (杉並区・会社員) 「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ。」 (小林秀雄「イデオロギイの問題」より) 「もう昭和のものを残さなければなりません。」 (小沢昭一「日遊廓建築残骸大全」 『芸術新潮』1987年6月号) ○ 2003.06〜2006.04 千束(東京都台東区)

    電線の町〜千束(1) - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/06/08
    これを見て吉原まで行ってみたいとおもった。 / 「社会は彼らのものですし、世間とは彼らのことですから」
  • 市ヶ谷駅、いつも通り意味もなくブコウスキー - 北小路ゲバ子の恋

    ○ JR市ヶ谷駅(東京都千代田区) このはまったくのフィクションであり、誰にも捧げられない  (ブコウスキー「ポスト・オフィス」) わたしは自分自身の習癖、自分自身の偏見の中にとじこもっている。自分の世界にこだわりすぎるあまり無知といわれるのだとしたら、それもいいではないか。 (ブコウスキー「詩人と女たち」171頁) 「人生の意味とは何ですか?」「否定」  (ブコウスキー「酔いどれ紀行」149頁) わたしの感情はといえば、不具者や責め苦に苛まれた者、呪われた者や堕落した者に歩み寄る。それは同情などからではなく、同胞意識からだ。何故ならわたしも彼らの一人で、堕落し、途方に暮れ、はしたなくてさもしく、怯えていて、臆病だからだ。 (ブコウスキー「酔いどれ紀行」151頁) …その死に関しては、(臆病なわたしにしては)ほとんど恐れてはいなかった。わたしにとって死はほとんど何の意味もない。次から次へ

    市ヶ谷駅、いつも通り意味もなくブコウスキー - 北小路ゲバ子の恋
  • 東京カテドラル - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 東京カテドラル(東京都文京区関口3-16-15) 最寄りの駅は有楽町線江戸川橋駅。そこのホームには「鳩山会館」の広告があって、「鳩山家四代の歩み」とある。胸糞が悪くなる。もし私が革労協の活動家ならばその広告に向かって迫撃弾を打ち込むところであろうし、統合幕僚長ならば習志野空挺団を突入させるであろうし、上田利治ならば1時間半にわたって抗議をするところであろう。 というような革命的劣等感など、すっとぶくらいの見事な建築物であった。すげえな、丹下って。それはそうとJR大久保駅から見えるこれ(link先は私のfotolife)は、ここを意識? などと無学者がああだこうだとくだくだ言っても恥をかくだけなので、リンクを2つ貼って黙ることにする。 wikipedia:東京カテドラル聖マリア大聖堂  俺は魚だ,と言ってみるテスト「東京カテドラル聖マリア大聖堂」(2008-03-04)

    東京カテドラル - 北小路ゲバ子の恋
  • 飯田橋−九段下 - 北小路ゲバ子の恋

    ○2009.05 飯田橋(東京都千代田区) JR飯田橋駅の西口を出ると早稲田通りの橋の上。朝夕で一方通行が逆になるので知られる。かつて「森川」という有名な豚かつ屋があったのもこの橋。ここから上ると田安門に抜ける。途中まで商店が並び、九段高校前から急に閑静になる。抜けきると右手に靖国神社、正面には皇居が広がる。 ○2006.04 / 2009.05 これは日歯科大向かい辺りの横町。「上田ビル」はリフォームされていたが、看板はそのまま。ハマリがいいというかなんというか、ついカメラを構えたくなる どんつきである。下は九段高校前、さらにその下は田安門前に抜けきる手前の靖国神社の脇道。いつも湿った感じで、ひと稀で、死のかげり。

    飯田橋−九段下 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/05/07
    北小路さんの一連の写真をみて東京にたいする認識が変わりつつある。
  • 小日向 ☆ 死の家の記憶。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2009.05 小日向(東京都文京区) 漱石で好きなのは、「門」で御米が易者に占ってもらうくだりと、下記の「坊ちゃん」のお終いである。 清(きよ)の事を話すのを忘れていた。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃん、よくまあ、早く帰って来て下さったと涙をぽたぽたと落した。おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。 その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。*1 共働きの家庭であ

    小日向 ☆ 死の家の記憶。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋

    書くことの目的はまず第一に、愚かな自分の救済だ。  (ブコウスキー「死をポケットに入れて」81頁) ある夜、会社をたたんだ男、それはかつての上司でもあるのだが、誘われて大井にいった。ちょうど御神訓史がやってきた頃のこと。この縁起のよい名字のジョッキーは島根県益田市にある小さな競馬場にいたのだが、そこが廃止となったので大井競馬場に移籍したのである。遅れて到着した私に、男は御神を応援しているんだよと言って、多点買いした馬券を見せる。男が御神の境遇に自分を重ねていたのは言うまでもない。だから私も御神から買いまくった。 御神は馬券に絡めなかった。ああ、はずれましたね。そういって馬券をちぎる私。あっそう、ぼくは馬連とったよ、と男。男は御神以外も買っていたのだ。私は御神からの馬単流しだったというのに。つまるところ、私はお人好しの愚か者である。 その数年前、就職も決まらぬままに大学を出て六

    夜の砂、六月の記憶 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/04/18
    惚れる。
  • 秋の福島 4レースでも走りにいくか - 北小路ゲバ子の恋

    何にでもなれる、その可能性があるような気がしていた時代、何になるかは自分の選択だと思っていた時代、時がたってみると、ただそこに追いこまれて、こうしているほかはない自分。 (色川武大「狂人日記」) 競馬場に集まる人の群れは、仮面をはぎ取られた世界であり、敗北に擦り減らされた人生そのものなのだ。最後に勝つ者など誰一人してなく、わたしたちはただ一時的な猶予、眩しい光から逃れる一瞬を追い求めているだけなのだ。 (ブコウスキー「死をポケットに入れて」) 「この『未勝利』って俺達の事じゃね?」 (2ch競馬板「競馬場のオッサン達から聞いた名言集」) ひと昔前、秋の福島は4歳未勝利戦がやたらと組まれていて、まともに予想していると全頭がケシになってしまう、そんな競走だらけであった。どうしようもなく弱い馬同士の争いなもんだから、仕方ない。しかし走る方は、いわば崖っぷち、ここで勝ち上がれないとなると地方競馬へ

    秋の福島 4レースでも走りにいくか - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/04/14
    「昨日は昼には会社に出るつもりだったのだが、コーヒーをもう一杯呑んでからもう一杯呑んでからと想ううちに、結局五・六杯も呑んでしまった。今日はもう出よう。えらいな、おれ。」
  • 神奈川県 - 北小路ゲバ子の恋

    なにか書きたいことがあって、しかしそれをそのまま書くのはつらかったり、リアルバレしそうだという際には、嘘まみれのなかに「書きたいこと」を紛れ込ませばよいに違いない。読む方にしても、その方が読み易いだろう。 たとえば、である。ブログエントリに「井の頭線と京王線とが交差する附近の学校に通っていた頃」と書いてあれば、そこでは明治大学の学生か中退者か卒業者になる。一方で3月にはじまったと記憶するMyはてなの「プロフィール」の項目に「学校」があるが、ここに明治大学と書き込めば、そのID主は明治大学の学生が中退者か卒業者になる。 で、前者の事例と後者のそれでは、同じようでありながら、違うだろう。(ここで一行目に戻ろうか) ブックマークなりブログなりにて、えんえんとそれらを読むうちに、すこしづつ、ぼんやりとそのIDの素性が知れてくるのに面白みを憶える。すこしづつ、ぼんやりと。あるいは男だと想っていたID

    神奈川県 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/04/11
    「ブックマークなりブログなりにて、えんえんとそれらを読むうちに、すこしづつ、ぼんやりとそのIDの素性が知れてくるのに面白みを憶える。すこしづつ、ぼんやりと。」
  • 上高田 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2003-07 上高田(東京都中野区) 敗北者たる私のブログにおいては、春も桜もあったもんではない。墓だ。 赤穂浪士の墓が泉岳寺にあるのは有名であるが、こいつらに殺された吉良上野介とその家臣の墓がどこにあるか御存じか。って、中野区上高田の功運寺にある。ここには林芙美子も眠る。そもそも上高田は寺町で、早稲田通り沿いにずらりと寺が並び、さらに沼袋方面に歩くとまた寺が蝟集している。内田百間もこの界隈、金剛寺に墓があるのだが、ここは立ち入り不能のため、いまだ拝めず。 また上高田は他にも団地と木造住宅が見所(であった。) 03年ごろに、東京の木造住宅群マニアの掲示板があって、それでは豊玉の木造住宅群と上高田の木造住宅群が人気スポットとなっていた。上高田のは都営の平屋木造賃貸で、立ち退きが進められており、また樹木が生い茂っていてバードウオッチングに来ている人がいたりで、なかなかすごいところであった

    上高田 - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/04/05
    「敗北者たる私のブログにおいては、春も桜もあったもんではない。墓だ。」 / そういえば百鬼園先生のお墓には参っておきたいな… / 今度実家帰ったときに参ってみます。柳川なら岡山駅から近いし。
  • 京都市と、まるで関係のない話。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 2007-01 京都府京都市 その女は四年であったこともあり、あまり学校へは来ず、そのために顔を合わせるのは久しぶりであった。女の顔を見るなり、まぶたに目がいった。何か違うとの直感により、まぶたに目がいったのである。要するに整形である。就職期に軽い美容整形を施すのが流行った時期であった。立ち話をする間、どうしても目がいってしまう。女は女で、私が整形に気づいていると気づいているのだが、気づいていることを気づいてないふりをしていた。あの時の女の表情に、私は多くのものを見た。 隠そうにも隠しきれない、そんなもののみが語り得るリアリティがある。それは欠けた指だったり、妊娠腺の跡だったり、注射針の痕跡だったり。うっかり見てしまったならば、見ないふりをしながらもついつい目がいってしまうもの、それに気づかれたことを気づかないふりをするようなもの。それは表情や身体に限るまい。 これは、隈研吾の話にも通

    京都市と、まるで関係のない話。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 東京徘徊〜隈研吾ほか - 北小路ゲバ子の恋

    ● 2004.05.01 渋谷の"スペイン坂"上(東京都渋谷区) なごみの裏にあるあやしさ、うさん臭さ。駅前の大型商業施設とも、商店街ともまた違う次元が、この街には同時に存在しているんですね。僕は町田を少し甘くみていたようです。この街は面白い。今まで見てきたどんな町より面白いですよ。 絵の具の塗り残しの隙間から顔を出す、それらの「生すぎる」ほどのリアリティは、都心部に散在する、いわゆる「下町的」街角や、歌舞伎町の「生々しさ」すらも軽々と凌駕する。 以上は、建築家・隈研吾による「新・都市論TOKYO」(集英社新書)の、町田(東京都町田市)について論じた部分の引用である。小っ恥ずかしい書名ながらも、おすすめの書籍。 これの面白さは、汐留・丸の内・六木・代官山を訪れては語っていき、最後に町田に案内された隈研吾が、最初は退屈そうにしていながらも、次第次第にいろいろな発見をするうち、興奮を隠しきれ

    東京徘徊〜隈研吾ほか - 北小路ゲバ子の恋
  • 安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 なんとかかんとかed by 関内関外日記「『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー/中川五郎訳」(2005-08-09) ←のリンクこそ、このエントリのすべてである。以下に書かれるものは、まったくの余談に過ぎない。 みじめったらしい部屋で読むのも何だしなと、ブコウスキーの「死をポケットに入れて」をわしづかみにして、サンマルクカフェに入る。私の中では色川武大「狂人日記」と並ぶものになるかもしれない。そんな書籍を読むのだから、タリーズに行ってもいいくらいだ。 河出文庫を買ったのはいつ以来であろうか。背のデザインが変な黄色になってからは初めてのはず。以前の白の"ぬめっ"としたカバーは好きだったのだが。松浦理英子の小説には、あの"ぬめっ"としたカバーがほんとうによく似合っていたじゃないか。 はじめて買った河出文庫は何だったかといえば、「ブルックリン最終出口」。著者の名前はなんど目にし

    安コーヒー屋でブコウスキーを読みながら、「ヒッチャー」のジェニファー・ジェイソン・リーを想い出す。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 神泉☆円山 - 北小路ゲバ子の恋

    ● 2005.04 神泉・円山町(東京都渋谷区) 横浜の寿町や台東区の玉姫と同じく、皮肉を含んで聞こえる地名の神泉。それに隣接するのが円山町。 ラブホテル街で知られる円山町は階段の街でもある。あちこちに組まれたそれをあがったり降りたりしながらふらついていると、神泉の駅前に出た。するとアパートの階段、想わず写真に収める。後になって、これが殺人現場のアパートの階段と知る。 いつも女が男に声をかけていた場所、たびたび女が買い物をした青果店も写真に収めていた。霊が呼んだ、と言いたのではなく、ひとを寄せる場所があるのだと想う。適当にふらついていると、自然と辿り着くような場所、目がいく場所、フレームに入れ込む場所が。 「日の暮れきるのも待ちかねて交わる男女がいた。」 (古井由吉「野川」) 「目を閉じると陽炎の坂道を狂女がやってくる。」 (久世光彦「昭和幻燈館」) 「我に帰る必要などない。私はどこまでも

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  • Thus Spoke Porn Master. - 北小路ゲバ子の恋

    代々木忠 1938− 華道師範、興行師を経て、広島代理戦争の最中の極道になる。「左手小指の欠落はそのころの生きてきた証でもあった」(橋)。その後成人映画の世界に入り、アル中になったりなんだりで、AV監督に落ちつく。そんな代々木が繰り広げる人生説話を橋信宏は次のようにまとめる。 きょう一日生きた自分、幼いころからいままで挫折しながらも生きてきた自分、そんな自分を自分が受け入れて誉めてあげなければいったい誰が誉めるというのだ。 (橋信宏「にくいあんちくしょう」257頁より) 村西とおる 1948− (天皇の具合が悪くなったり、ブルーザー・ブロディが死んでしまったり、阪急ブレーブスが消滅したりの そんな年に誕生したダイヤモンド映像は、経企庁が泡銭景気の瓦解を宣言した92年2月に倒産、村西は多額の借金を負う。) (滞納した家賃を請求しにきた大家に) はその場に土下座をして「スミマセン、スミ

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  • 軍☆畑 - 北小路ゲバ子の恋

    ● 2006.10 JR二俣尾駅前(東京都青梅市) JR青梅線でえんやとっとえんやとっとで軍畑駅につく。川俣軍司の"軍"に荒畑寒村の"畑"と書いて[いくさばた]と読む。So romantic。山村工作隊が野営していそうな地名であるのだが、このあたりは駅の間隔が狭くて、二俣尾駅−軍畑駅−沢井駅ではそれぞれの区間が1.2km−1.4kmしかない。おまけに川沿いには遊歩道まであるので、適当な駅で降りてぶらぶらすると結構楽しい。私のようなやさぐれ者ですら楽しいのだから、健全な精神をお持ち方々はもっと楽しいはずである。私はひとりで出かけてそれだから、アベックならばもっと楽しいはずである。ちくしょうめ。 wikipedia:二俣尾駅−1.2km→ wikipedia:軍畑駅−1.4km→ wikipedia:沢井駅。 この地図(リンク先はfotolife)にあるように、軍畑駅から山の中経由で西方へ。吊

    軍☆畑 - 北小路ゲバ子の恋
  • 町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて - 北小路ゲバ子の恋

    ピクニックもろくにいけないような人生になんの意味があるのだ。そう思って俺は就職しなかった。ところが大抵の者は就職した。そのことは俺がこの世界にばまりごんで、ついにはおばはんになってしまっていることに深い関係があるのではないかとおもう。だって、普通の奴はこんな目に遭わないからね。つまり、自業自得。普通の人がするようなことをしないから、普通の人が遭わないような目に遭うのだ。結局、ピクニックは一回もいかなかったし。  (町田康「宿屋めぐり」560-561頁) いかんせん602頁もあるために、サンマルクカフェにて1杯のコーヒーとサービスの水でもって読み切るのは難儀と想い、わざわざジョナサンに出向いて、そこのドリンクバーに頼りながら町田康「宿屋めぐり」(08年刊行)を読む。ちょうど上述の引用箇所を読み過ぎた頃、椎名林檎の「閃光少女」が有線から流れてきて、せっかくなので目を瞑って、あれこれ想うた。*1

    町田康「宿屋めぐり」 その他 悪態をついて - 北小路ゲバ子の恋
    murashit
    murashit 2009/02/12
    僕はずっと自分の故郷から出たかったんです。県内にのこっている大多数の同級生を、信じられない、という目で見つめていました。まだ見つめています。僕はきっと、まだまだ若いのだと思います。