タグ

ブックマーク / aketekure.hatenablog.com (21)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    カネゴンは好きでないものをめったに表明しないのだけど、Excelというソフトウェアに対してだけは近年になるほど憎しみが募ってしまう【可愛さ余らぬおれカネゴン】。なおWordに関しては諦めの心境です。 これまで、いったいどれほどの生産性・創造性がExcelによって無駄に地面に吸い込まれてしまっているだろうか。 Excelの恐ろしさの1つは、それをいじっているだけで何か仕事をした気になってしまうところだったりする。実際にはExcel操作の9割5分は単なる画面レイアウトの微調整であり、ほんの僅かな操作で印刷レイアウトはガタガタに崩れてしまうために、皆大変な苦労をして何かするたびに毎度毎度レイアウトを維持するはめになる。 Excelブックは、百歩譲ってもせいぜい中間生成物として最小限に使うだけにとどめるべきであり、Excelフォーマットのまま顧客に渡したり、地震データのような重要なデータをExce

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2014/01/19
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    全国のお年寄りが全員死に絶えるまでに、彼らを総動員して少なくとも明治時代ぐらいからのあらゆる公文書、私文書、論文、書籍、雑誌を片っ端から電子化しておいてもらわないとかなりまずいのではないかという気が普段からしている【朝から晩までおれカネゴン】。その時代の文章を普通に読み書きできる人が絶えてしまったら、入力に必要な手間暇は格段に増えてしまう。 必要なのは入力する人、スキャンする人だけではない。それを読み直して間違いを修正できる校正者こそ必要だし、それならPCを扱えなくても脳と目さえ効けばどんなお年寄りでも参加できる。 英語文化圏のようにタイプライターが早くから普及していた世界ではないので、OCRだけでは何ともなりそうにない。 高齢者の雇用問題を一気に解決し、彼らにとってもおそらく楽しくてしょうがない仕事で、老人ホームで所在なく日々を送る彼らが物の生き甲斐を得られ、さらにボケ防止にもつな

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    ビョークは、正直なところPhewの代用品として聴いている。 カネゴン家に転がっていたビョークの「Post」というアルバムを聴いたとき、コニー・プランクのサウンド構築が秀逸なことで知られるPhewの「Phew」というアルバムとあまりにその音世界が同じで驚かされた。違うのはPhewの声が万年鼻づまりなことと、ビョークのサウンドには圧倒的に金と時間がかかっていることだけ。 もちろんパクりでも何でもなく、たまたまどちらもこの世にない黄泉の国の響きを求めているだけなのだと思う。実際、フレーズレベルでは一つも似ていない。 カネゴンはP-MODELのときと同様、Phewも禁止リストに含まれていて、25年以上も一瞬たりともその音を思い出さないようにしていたのだけど、ビョークを知って、そんな禁欲に何の意味もないことにようやく気が付いた【暗示にまみれたおれカネゴン】。決して売れ行きのよくなかったであろうPhe

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    脳のせいなのか何なのか、だまし絵などではない単なる絵であるもかかわらず、不思議に生き生きと動いて見えるような絵がある。カネゴンは昔の漫画しか知らないのでその範囲で書く。 手塚治虫は「僕は、動かないものを見るといらいらするんです」という言葉に表されているとおり、止まっているはずの絵を動かすこと、つまり生き生きとさせることに常に腐心し続けていた。そしてその代償でもあるかのように、色のセンスだけはまったく凡庸だったりした。 ついでながらカネゴンアイには、上田トシコの「フイチンさん」や、オリジナルの「ひとまねこざる」も手塚治虫に負けず劣らず、もしかすると手塚治虫よりももっと絵が動いて生き生きして見える。 その逆に、絵を動かす気など毛頭ないのが水木しげるあたりで、昔の漫画はほとんどが両者の中間のどこかに位置していたという感じ。 今から思えば、大友克洋の絵が驚きだったのは、動いているものを徹底的に静止

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2009/09/14
    同日の上のほうのエントリとあわせて
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「子どものための論理学」みたいなものを義務教育で教えるわけにはいかないのだろうか【それがお似合いおれカネゴン】。 論理学は身につけるのに時間がかかるので、小学校低学年からこつこつと丁寧に教え続ける必要があるとカネゴン思っています【身を以て示すおれカネゴン】。理想の国語教科書の目次に「基論理学」と書いたのはそういう意図だったりする。 論理を子どもに教えるうえで重要な点: 論理の一貫性は、あくまで文章の中だけの話であり、その結論が現実と合うかどうかはまったく別の問題であることを理解させる。 論理を一貫させるとは、「最初が正しく、途中が正しければ、結論も正しい」「最初が間違っていて、途中が正しければ、結論も間違いになる」という結果が出るように論理を整備するということであることを理解させる。 とにかくこのようにして、子どもたちに切れ味のビンビンに鋭い論理を一人残らず身につけさせることができれば、

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    吉田伸夫「宇宙に果てはあるか」は、ドタバタ喜劇のように発展を続けてきた20世紀の宇宙物理学を手に取るように知ることのできる抱腹絶倒の名著。著者は主要な論文にひととおり目を通しているらしく、通り一遍のポピュラーサイエンスでは得られない科学者の細かな息づかいまで感じ取ることができる。データの乏しい中、どの学者も取りあえず思いついた説は片っ端からぶちあげては直後にガンガン頭をぶつけていることを痛感【ぶつけることならおれカネゴン】。大多数の学者たちが計算違いをしまくっていたことも知ってカネゴンに安らぎがもたらされる。 アインシュタインはシュヴァルツシルトによる「事象の地平面」説が大嫌いで、わざわざそれを否定するための論文まで書いたが、びっくりするぐらい初歩的な誤解を犯していて全然反論になっていなかった。 ビッグバン説(当時は「火の玉宇宙論」)で知られるガモフの当の論文は計算違いを含む勘違い誤解が

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • 2009-02-08

    たまたま見つけたAV監督の村西とおるのブログが半端でなく面白い【業界志願のおれカネゴン】。誤字脱字が目立つのが、逆に臨場感があったりする。漫画「ディアスポリス」に登場する山(不法入国の中国人)のごとく、あまりに口がうまいので「日の表AV業界にはヤクザとつながっているところは一つもございません」など、到底信じられないような記述も、ついうかうかと信じてしまいそうになるほど【暗示と闘うおれカネゴン】。 カネゴンの中でだけ通用する経験則として、アダルト業界からはなぜか名文家が出現しやすい(高橋がなり、中野監督、tagomagoさん、リリー・フランキーなど)のだけど、仕事として休みなく女性をくどきまくるために言葉が鍛えられ、つやつやに磨かれると同時に、エッセイの重要なコツである「主流派気分を捨てる」という立場を自動的に獲得してしまうからなのだろうか。 もちろん寺田寅彦のように、おぼっちゃん育ちを

    2009-02-08
    murashit
    murashit 2009/02/12
    いつにも増して面白い日だ…!
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    余談:今、大手一流企業になっている某会社がまだ中小企業だった際、当時の不況で社員の1割をリストラしなければならない状況になりました。で、社長の決断した解決方法はこうでした。「1割の人間の給料が足りなくて無職にしてしまうなら、自分も含め全社員の給料を一割引いて、その人の給料にしてあげようじゃないか」 当然、一部社員からは不満が出ました「がんばっている自分の給料を減らされるのは納得できない!そもそもリストラされるような人間は役立たずだ!」社長はそういう社員を一人一人呼んで、個別で面接しました。わずか10分足らず。しかし、ドアを出てきた社員はもう誰も反対しませんでした。なぜでしょう? 答え:「リストラ対象には君も含まれるんだが・・・」と言った(笑 これは見事だと思いました。結局、リストラってわが身にリアルで突きつけられるまで、実感がわかないんですよね。 http://jinon.tumblr.c

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2009/01/27
    第二原理だけが完全に採用される世界じゃんか!
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    「科学と技術の諸相」サイトの方による著作「光の場、電子の海―量子場理論への道 (新潮選書)」があまりに素晴らしくて泣きそうになる【電車で読むのはおれカネゴン】。 著者自身による紹介文: 量子力学と素粒子論を結びつけるミッシング・リンクたる「量子場の理論」。これまで、格的な解説書が皆無に近かったこの理論について、高等数学を使わずに解説します。「量子論の端緒となった光量子論はどうなったのか?」「γ線を用いた思考実験で不確定性原理を説明するハイゼンベルクの議論は妥当なのか?」「素粒子の標準模型と量子力学はどんな関係にあるのか?」−−こんな疑問を抱いていた人にお勧めです。 主要論文を読破し理解した上で、前期量子論からくりこみ理論に至る理論の形成過程を叙述します。現在の知識に基づいて再編成した「教科書的な科学史」ではなく、試行錯誤を重ねながら少しずつ前進していくプロセスを、理論の具体的な内容を中心

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    年末に読んだスパイ関連のによると、初期のスパイ衛星は通信帯域が狭すぎたため、撮影したフィルムをカプセルに封入して衛星から海に向かって投下し、それをCIA職員が回収するという実に気の長い方法が使用されていたとのこと。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    あまり思い出したくないのだけど、カネゴンは20年前にP-MODEL(のような音楽)を聴くことをさる筋によって禁じられていたことがあった。カネゴンのよくない部分が増幅されるからというのがその理由【ある意味ほんとのおれカネゴン】。それ以来歯をいしばって一瞬たりとも聴かず、頭音として頭蓋内に鳴り響くことすら起きないようにと24時間態勢で警戒を続けていた【努力の向きがおれカネゴン】。 それがここ半年でついに我慢できなくなり、堰を切ったようにこの種の音楽を激しく求めるようになってしまった【毎夜求めるおれカネゴン】。 しかしそれはある意味平沢進自身もそうだったのかもしれない。初期中期のP-MODELでは人間嫌いをベースとした皮肉を発することに自他共に囚われっぱなしで、そうでない音楽を作るなど当人を含め誰一人思いもよらなかった。 当時の平沢進の場合、心の奥底では実はとってもリリックなものを愛しているの

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2009/01/02
    おれカネ先生による平沢進論
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    中国汶川地震直前のオーロラ発光現象。 詳しい説明も発見。 それから何といっても世界をびっくりさせたのが、中国の海城地震の時の予知の成功です。 中国の地震予知の経緯は、文化大革命が発生した一九六〇年の河北省邢台(シンタイ)という所で発生した大地震に始まっています。その時に、井戸水の異変とか、動物たちの普段と違う行動とかを、住民たちが目撃していたのです。それを、被災地を見舞いに訪れた周恩来総理に住民が訴えたのです。こんなに異常な現象が前兆としてあったのに、何故政府は、対策を打ってくれなかったのかと、直訴したのです。そこで、周恩来は、国家として地震予知事業をやろうと決めて、中国科学院に国家地震局を設置しました。中国の予知の方法は、大衆からの自然観察の情報を吸いあげるものです。井戸水の異常や動物の挙動の異常などを、各地区のセンターに報告させ、取りまとめて総合判断するというものです。民衆パワーで、地

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2008/07/30
    っていうか科学ではないか / たしかにどちらかといえば神話だなあ
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    佐藤郁郎「私説・統計学(非正規分布統計学のすすめ)」。 統計解析とは基準値からのずれを物とみなすべきか,統計的誤差範囲内とみなすべきかを客観的な基準によって判定する方法ですが,それに数値解析(ノイズによって歪められた情報の中からシグナルを検出する方法)の技法を組み合わせることによって,母集団分布が正規分布とならない場合においても精度保証が可能になります.これによって,データ解析の基盤をさらに拡大させることができます. (中略) 正規分布の確率密度関数は複雑そうに見えますが,一般的な誤差の分布関数として導かれたものであって,自然界において普遍的な分布とされています.また,母集団分布が正規分布でなくても標が大きくなると標平均値の分布は次第に正規分布に近づく(中心極限定理)や正規分布をする変数どうしの和と差はまた正規分布になる(再生性)など,非常に扱いやすい性質をもっています. (中略)

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2008/05/26
    僕も統計くらいは勉強しなきゃ・・・
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    大槻先生のブログを読んで何となく思ったこと【思うでないとはおれカネゴン】: 科学と対立するものはオカルトとか新興宗教とかニセ科学とか枚挙に暇がないのだけど【後者が故郷おれカネゴン】、前者が苦手とするものがあるとすれば、自分のちっぽけな人生に意味を与えてくれること、言い換えれば「(どんなしょうもない方法でも構わないから)その人の人生を特別扱いしてくれること」だったりする。 というのも、(発見者や発明者を除いては)何事であろうと何びとであろうと特別扱いしない/してはならないという方法論そのものが科学だったりするので、先祖の因縁や失業や痴話喧嘩やヤクザな身内や働かない旦那や働かない親や働かない子供や寝たきりの家族に苦しむ誰かを(何の努力も要求せずに)特別扱いして慰めてあげたり、思わずぐっとくるような優しい言葉をかけてやったりするというのはどうしても苦手にならざるを得ない【単に苦手のおれカネゴン】

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2008/05/24
    やさしいとモテるという話
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    仮にエンジニアの視点から見れば、きっと光合成システムの設計には非常に無駄が多く、部品点数をもっと減らしてアーキテクチャをすっきりさせたい衝動にかられるのではないかと思う。 とはいうものの光合成も数億年もの間営業を続けているので、ピタゴラ装置のごとく手近な部品をいきあたりばったりで組み立てたような見苦しいつくりであっても、その無駄の多いつくりを保ったまま数億年の営みを経てそれなりに洗練され、このつくりからは想像しがたいぐらい効率も向上してきたと考えることもできそう。 ところで、無駄が多いということは少々システムに傷が入っても何とかやっていけるということでもあり、それによってシステムを動かしたままアップデートする(進化)ことも可能になる。 逆に一点の無駄も贅肉もない、カモシカの脚のように引き締まりまくったシステムだとほんのわずかな傷やささいな環境の変化でたちまちダウンするし、ちょっとした改良を

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    一部で流行った「もしもスターウォーズの公開が20年早かったら(動画)」で、使われている音楽がもろにバディ・リッチ・オーケストラの曲だったところがツボ【タイトル忘れるおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    NHK教育「新日曜美術館」でアウトサイダー・アートを特集してたので何となく見る。ずらりと紹介されているのは、ちびりそうなぐらい恐ろしいか、恥ずかしくて誰も真似できないという意味で個性的な作品ばかりなのに、鑑賞者の誰もその怖さと恥ずかしさを指摘せず手放しで賞賛していることの方が気になる。いずれにしろ、この種のアートについては(特に性善説で)語れば語るほどかっこ悪くなりそうで【最も語るおれカネゴン】、そうならずにアウトサイダー・アートを(主に根敬の著書の編集を通じて)カネゴンに紹介してくれた町山さんの腕前を今更ながら思い知る。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    かのスタン・ケントン (Stan Kenton) オーケストラが60年代前半にプログレに最接近していた頃の代表曲:「Waltz Of The Prophets 」。スタン・ケントンのファンからも毛嫌いされた問題楽器メロフォニウム(Mellophonium)の非常に貴重な演奏シーンもあり。 スタイルこそ仕方なくビッグバンドジャズなのだけど、目指しているものは紛れもなく乙女たちが一人残らずダッシュで逃げ出すほどの男臭いプログレ世界であり、リズムを変えてキング・クリムゾンが知らん顔でカバーしても遜色ない内容とカネゴン勝手に決め付けることにする【ご意見無用のおれカネゴン】。その証拠に、西海岸ジャズの代表格であるにもかかわらず、彼らの音楽にはまったくフュージョン/クロスオーバー音楽の匂いがせず、シャッターの降りまくった中野ブロードウェイのような怪しさだけがむんむんと立ち昇っている。 バンドリーダーの

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2008/01/06
    スタン・ケントン
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    音楽はスポーツと違って絶対的な判断基準というものがないみたいなことをよく言われているみたいなのだけど、ビッグバンドジャズのトランペットだけは「極端に高い音が出せる」というたった一つのパラメーターだけで評価される、他に類を見ない世界だったりする。なにしろ、死ぬほど高い音を確実に出すことさえできれば音程など最早合ってなくてもよく、それ専門の「ハイノート・ヒッター」というトランペッターを(4番トランペットとして)わざわざバンドに置いていたほどだったりしたらしい。 一番儲かっていた頃のスタン・ケントンのトランペットセクションは、Conte Candoliをはじめとするハイノートヒッターを楽々務められるほどの豪傑ばかり集め、さらに世界最強ハイノートヒッターであるスタープレイヤーのメイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson)まで抱えるという贅沢ぶり。5人もの超音波トランペットが可聴領域

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    murashit
    murashit 2008/01/01
    トランペッターのつらさ
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    そしてその価値判断をつかさどっているのは、かのもったいなくもかたじけない前頭葉様などではなく、脳の最下層で隠然と院政を敷いている扁桃体だったりなんかする。長い苦しい闘いの末、ついにボスキャラがカネゴンの眼前に現れたのだろうか。 とっさの場合の「敵か味方か」の判断は、正確であることよりも瞬時に結論を出すことが要求されるとカネゴン思うのだけど、それと引き換えなのかどうか、扁桃体は自分の動作を柔軟に変更するのが極めて下手なようなので、ここを万年時計に匹敵する高度に精細な小ぶりの人工物にてスカッと置き換えると今までの思い通りにならない自分とおさらばできて快適な暮らしが送れるなどとファッショナブルかつ全地球的に宣伝し一人残らず実装するまでは死ねないという道が今カネゴンの前に開けた。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記