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ブックマーク / lever-building.hatenadiary.org (7)

  • ニセの せかいで - やねごんの にっき

    なんかげつか まえに 町田康(まちだ・こう)さんの 『宿屋めぐり』を よみました。きおくが あいまいですが、おもいだしながら かきますと、たしか こんな はなしだったと おもいます。 主人公の おとこは、かつて 「げんじつの せかい」に いたのだけれど、ひょんな きっかけから 「ニセの せかい」に まよいこみます。とはいっても それは、この ものがたりの 一人称の かたりてでもある かれが 「そう おもっている」ということに すぎません。じっさいのところ、かれの さまよっている せかいが、ほんとうに 「ニセの せかい」なのかどうか、かれじしんにも、また よみてにも たしかめようが ありません。「ひょっとすると、じぶんが ニセの せかいと おもっている いま いる せかいが、げんじつなのかも しれない」。主人公の あたまにも ときおり そんな うたがいが よぎったりもします。 で、かれは そ

    ニセの せかいで - やねごんの にっき
    murashit
    murashit 2009/02/12
    町田康の作品にはなんだかこう、こういう意識が一貫してるきがする
  • 2008-09-10 - みんなして ガツガツ はたらくことも ないじゃないか - やねごんの日記

    sarutoraさんの 文章を よんで、さっき 電車の なかで ボケーッと かんがえていたことなど、つらつら かいてみます。 ●まあ、皆ほんとに労働しない(と思われている)人嫌いだよね - 猿゛虎゛日記(ざるどらにっき) sarutoraさんは、今村仁司(いまむら・ひとし)さんの ぎろんを ひきながら、「労働は大事だ」という かんがえかたは 「たった300年か400年前のヨーロッパで生まれて世界にひろまっていったものでしかない」のだということを、のべてらっしゃいます。 こんにちの わたしたちの いしきには、せっせと はたらくことを しない ひと、なまけている(ように みえる) ひとを みると、「みんなに めいわくを かけている」だとか 「ぜんたいの あしを ひっぱっている」だとか みなしてしまうような ところが ありますね。こういうふうに なまけものを うとましく おもったり、ときには は

    2008-09-10 - みんなして ガツガツ はたらくことも ないじゃないか - やねごんの日記
    murashit
    murashit 2008/09/11
    森毅
  • 表記が 生成される 場に たちかえってみる - やねごんの日記

    ちょっと まえに 「学校という空間」をこそ もんだいに しようという 文章を かきました。これに たいして filinionさんに ブログで 言及していただきました。 ●我流漢字が資を滅ぼす!(意味不明) - 小学校笑いぐさ日記 filinionさんの 文章を さいしょに よんだ 時点では、わたしの ほうから つぎの 4つの 視点から おへんじする 予定でした。しかし、のちに filinionさんが ご自身の 文章の 3, 4に 関係する かしょを けずられたようなので、(←わたしの かんちがい はやとちりでした。filinionさんは 削除されてませんでした。コメント欄を 参照してください。)おもに 1, 2の ふたつの 論点について わたしの かんがえを のべたいと おもいます。 「ひつよう」とは なにか? 「言語」と 「表記」を くべつすべきでは ないか? 「よみにくさ」って なん

    表記が 生成される 場に たちかえってみる - やねごんの日記
    murashit
    murashit 2008/08/26
    あくまで日本語の枠内で、というのは、ありなのかもしれない
  • 2008-05-04 - デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』- やねごんの日記

    あたたかくなって、またビールのおいしい季節がやってきました。ありがたいことです。いつ最初の缶のプルトップを開けたのか記憶がさだかでないのですが、まあとにかくおいしくいただいておりますです。 チャゲ&アスカは「要らないものなど〜ないよね〜」と歌ってましたけど、けっこうあると思うんですよね、要らないもの。 来は不要なのに、「必要だ」と私たちは思いこんでいる、というものは多そうです。プロパガンダの結果として私たちがそう「思いこんでいる」ということも、多くありそうです。 不必要なものをあたかも「必要」であるかのように思いこませるためには、恐怖をあおるのが、たぶんもっとも有効な方法でありましょう。これこれがないと、あぶないよ、ヤバイよ、安全が保たれないよ。あるいは、これこれぐらいしておかないと、持っておかないと、みんなの会話についていけないよ、というのも一見ささやかに見えながら、なかなかの「恐怖」

    2008-05-04 - デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』- やねごんの日記
    murashit
    murashit 2008/05/06
    アナーキズムが怖いモノになったのはピストルズのせい説
  • もっとも多感だったころ - やねごんの にっき

    もっとも多感だったころ。というのはわたしの場合、14歳ごろですかね。当時の夢をみた。 ところで、「多感」ってなんでしょうかね。「感」が「多」とは、いったいなんだろう。わたしはその精確な意味をじつは知らない。 辞書をひけばわかるのかもしれないけれど、いまはひかない。言葉の意味がわからないときは辞書をめくる、という考えは、ときにひどくナイーブな気がする。だって辞書なんかなくても、ぼくはこうやって「多感」という語をしゃべったり、書いたりしているのだから。 その意味や用法が「正しい」か「誤っている」か、という問いが頭をかすめることがあるけれど、それってなんか変よね。辞書というものは、わたしたちがしゃべったり書いたりしている語の意味と用法を蒐集して編んだもので、だから来はわたしたちのほうこそが規範であって辞書がそうなのではない。でも、いつのまにか辞書のほうが規範であるかのようにふるまっており、わた

    もっとも多感だったころ - やねごんの にっき
  • 生活指導と身分制 - やねごんの にっき

    相撲協会に「生活指導部長」なんていう役職があるのを最近知って、学校みたいなところだなあ、と思っていたところに、こんなニュースを読んだ。 ●asahi.com - ズボンずり下げたら禁固刑 米各地で「腰パン」禁止条例 ヒップホッパー的にはどうなんだろうか。「おれ腰パンでムショにいたんだぜ」という経歴があると、ハクが付いて仲間から尊敬されちゃったりするんだろうか。 それはともかく、学校みたいだ。 私が中学生だった頃というのは、華やかなりし校内暴力ブームの絶頂が過ぎ去った後、ということになるらしいのだが、うちの学校は田舎だったせいか身のまわりに生徒間のケンカはあふれていたし、生徒が教師を殴打するということもたまにはあった。もっとも、教師が生徒を殴るほうが日常茶飯だったが*1。 また、当時、全国の中学校のほとんど冗談としか思えないような校則のすさまじさは、「管理教育」として新聞の連載になるくらいだ

    生活指導と身分制 - やねごんの にっき
  • 右見ても左見ても私有地ばかり - やねごんの日記

    夜も遅めのファミレス、というのがけっこう好きだったりする。逸脱的かつ、いささか威嚇的ないでたちの、明らかに10代の子たちがタバコ吸いながらくだらないおしゃべりを延々と続けていたり、ワケアリな感じのカップルが「来週の日曜はダメなの? じゃあそのつぎの週は?」みたいな会話してたりするのも微笑ましい。 深夜のコンビニの駐車場や夏なんかだと近所の公園にも、つっぱった感じの子たちがた溜まってたりする。せつなくもの哀しくもある風景。 よく夜中に利用する24時間営業のファミレスに、「長時間の滞在、勉強、仮眠等飲以外のご利用はお断りいたします」といった意味の貼り紙がしてあった。 考えてみれば、家と職場以外にだらだらと過ごせるような場所は、どんどんなくなっているような気がする。見わたせばどこも私有地ばかりで、所有者とやらがおのれの所有を主張している。街を歩けば、いくばくかの金を払わなければならない場所ばか

    右見ても左見ても私有地ばかり - やねごんの日記
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