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photoとearthquakeに関するnw_windのブックマーク (2)

  • 朝日新聞デジタル:関東大震災、津波迫る瞬間 静岡で写真発見 - 社会

    静岡県伊東市の川奈港に押し寄せる津波とみられる写真。防波堤の沖にうっすらと波が確認できる=伊東市教育委員会提供津波で1階部分が素通しになった民家=伊東市教育委員会提供津波で橋に乗り上げた漁船(市制施行記念写真展で市民から提供された写真)=伊東市教育委員会提供手前の建物は土台だけになっている=伊東市教育委員会提供つっかい棒で支えられている被災した建物=伊東市教育委員会提供関東大震災の震源域  1923(大正12)年の関東大震災の際に起きた津波が港に迫る瞬間を撮影したとみられる写真が、静岡県伊東市で見つかった。関東大震災では、相模湾周辺で津波の被害もあり200〜300人が犠牲になった。関東大震災の津波そのものをとらえた写真は、これまで確認されていなかったという。  写真は、十数年前に亡くなった郷土史研究家の竹田信一さんの遺品から、伊東市教育委員会の金子浩之さんが見つけた。竹田さんが伊東市川奈地

    nw_wind
    nw_wind 2012/09/04
    地震があれば津波を予期するのは、当時一般的だったのだろうか? / 関東大震災の津波そのものをとらえた写真は、これまで確認されていなかったという。
  • 東日本大震災の現実を風化させないために:日経ビジネスオンライン

    東日大震災からちょうど16カ月が過ぎた。この16カ月、私は東北の被災地へと通い続けてきたが、被災地以外でのこの巨大災害に対する思いは急速に風化していることを強く感じるようになった。福島第1原発による原子力災害とその後の電力危機、原子力発電所の再稼働に対する関心はきわめて高いが、一方で巨大津波によって壊滅した地域の人々への思いは急速に失われている。「だいぶ復興も進んできたようだ」という印象を持っている人も少なくない。 ある仮設住宅暮らしの中年女性が、最近こう口にした。 「たくさん来てくれていたボランティの人がほとんど来なくなり、私たちは見捨てられたのかなって、さびしい思いです」 各市町村に設置された災害ボランティアセンターを経由して支援活動した人の数は、岩手、宮城、福島の3県合計では、2010年5月の17万1900人をピークに、2012年6月には1万6800人とほぼ10分の1に減っている(

    東日本大震災の現実を風化させないために:日経ビジネスオンライン
    nw_wind
    nw_wind 2012/07/23
    これは見るべき / 高画質、大サイズの写真を少しずつだが、毎回、無償で公開し続けることにした
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