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今回の山行についてのまとめです ・槍ヶ岳までの道のり この時期の槍ヶ岳山荘までの道のりで危ないところ、迷いそうなところは全くありません。 横尾まではほとんど平地歩き、槍沢ロッジまでは大した山登りでもないです。 大曲あたりから急登になってきて、殺生ヒュッテあたりからは勾配もキツイですが、九十九になっているので誰でも登れます。 ただ大曲からは日陰がほぼないので、めちゃめちゃ暑く体力の消耗はかなりのものです。 難易度は低いけれども体力をかなり使うコースだと思いますが、槍を見ながら槍沢を登っていくのはとても楽しいです。 きっと7月のお花の頃や紅葉の頃はかなりいい景色だと思います。いいなぁ・・・。 足元は石か岩ばかりなので重登山靴がいいです。慣れていない重登山靴で不安一杯でしたが やはりソールが硬くてかなり足の裏への負担は少ないなぁと思いました。あとソックスは夏でもウールで!!! ・槍ヶ岳の穂先につ
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
2011年3月26日(土)高尾山・小仏城山 京王高尾山口駅11:59→登山口12:03→旭稲荷12:07→稲荷山12:30→高尾山山頂13:03(休憩)→5号路もみじ台13:52→一丁平14:07→小仏城山14:25(城山茶屋休憩)→小仏峠14:53→中峠15:09→登山口15:22→底沢バス停15:42→小原宿本陣屋敷15:50→JR相模湖駅16:07 累積標高差+615m-600m ルートイメージ(赤はGPS軌跡ではありませんイメージです。) 関東へ転勤してから2回目の休みでやっと山歩きに行く事が出来た。 3月8日に引越ししてから3日後に地震があり、新しい環境に慣れるまもなく仕事も緊急体制モードとなった。 そんな中でも九州は取り止めになったものの大阪・札幌と出張もあり、休みどころではなかった。 そして混乱に拍車を掛けたのが東京電力の計画停電である。3月14日月曜日から突然それは始まっ
サイトを開くと一番上に表示される、横長の写真(コレ↓)を、 金剛山の夜景ホームページと、金剛山の夜景ブログに同じ写真を使用しているのは、二つのサイトのイメージを統一する目的もありますが、この写真自体が私のお気に入りということが大きいです。 平成20年12月14日 午後5時30分頃に、金剛山山頂(国見城跡広場)から大阪夜景を写したもので、すでに日は落ち、空には残照と夜の闇がせめぎあってるようなグラデーションを描き、地上は街の灯りがまるで星屑を散らしたように見えます。 夜景といえば六甲山が有名ですね。 すぐ目の間に広がる神戸の街並みと、神戸港と、大阪湾の対岸に広がる光の帯が魅力的です。 これに対して金剛山から見える夜景の魅力は、何と言っても雄大な夜景と言えます。 星を散りばめたように広がる大地と、阪神間から明石海峡大橋を抜けて淡路島までつながる街の光の帯が、緩い弧を描いて大阪湾の輪郭を形作り、
先日、金剛山頂で「DIY GPS」を試してみたところ、結構つかえることが判明。 ※本内容はiPhoneを所有している方向けの専門的な内容になりますことをご了承ください。 このアプリの名前のDIYは、つまりDo It Yourselfの略だろう。 ようするに自作地図とiPhoneのGPS機能を組み合わせてナビをさせてしまおうというアプリだ。 圏外でも使えます! 自作地図といっても地図を自分で作るわけにも行かないので、いわゆる自炊することになる。 たとえば、 ・国土地理院の2万5千分1地図「うぉっちず」(カシミールやTrekking Map Editorなどで切り出す) ・山と高原の地図をスキャンする。 ・カシミールの各種地図を利用する。(標高データ付き3D地図など) ・グーグルマップやYahoo!地図やマピオンなどなど これ全部が利用できる。 スキャンしたり切り出した地図は、左上と右下の目標
だいぶ後になって書いているのだが、夏の休暇の際に父親の古希の祝いということで(実際はもうちょっと前にお祝いするものだそうなのだが)一泊で湯田温泉に泊まりに行ってきた。父親と私の一家と妹の一家、計8名。 宿泊先は妹が自分とこの移動の新幹線の便とペアで JTB にて予約した。これが、松田屋ホテルだった。 さて、私は司馬遼太郎さんの書いたものが好きで、特に『街道をゆく』が好きだ。もっというと、『街道をゆく』の最初の刊、近江のあとに収められている『長州路』には、大袈裟にいうと救いを与えられたと思っている。 ここで司馬さんは長州人論というものを書かれているのだが、それを読んで私は長年奈良や大阪で過ごしてきてある主種の違和感、というか馴染めない感を感じていたことの理由に辿り着いた気がした。要は「自分は関西で生まれ育ったけど、根が長州人だからどこか馴染めないとこがあるんだ」という風に納得したのだ。 この
先月も末のことですが、髪を剪定してもらいに西久保癒しの理容室『アペゼ』にいきました。近道でもありますし、途中秋葉さんを抜けたのですが、何かちがうんですね。秋葉さんの風景がいつもと違う感じがしたんです。 そうそう、もうおわかりでしょ?タイトルにもあるとおり、いつもの百段下に狛犬が鎮座してるってぇわけです。えー!うっそーん!ひさしぶりの秋葉さん、とはいってもことしの夏も何度か散歩してましたし、幼少の頃より、ここは俺の庭だ、と思い上がって日常を過ごしているほど自称「秋葉さん通」であるこのわたくしゆえ、このたびの狛犬発見にはえらくおどろきました。いつのまにできたのだろうと。 どうにも気になり、剪定作業中のアペゼ若旦那に「秋葉さんの百段下の狛犬っていつできたんすかね?」ときいてみたところ、「...むかしっからあるんじゃないすかねー」などとさらりおっしゃいます。さらに、隣の椅子でアイスクリームぺろぺろ
日帰りで関西に出張、羽田と伊丹の空港を使ってANAで移動だった。 仕事場から羽田空港に行くのにモノレールを使う。モノレールの中 iPhone でメールをチェックしていたら、 id:oriono さんからトラックバックを頂いていることの通知メールに気がつき、トラックバック元をチェックした。私は大阪市大のある杉本町、おのさんはすぐ隣の我孫子のつながりでしばしば情報交換させて頂く。現在のサイト、「郷愁エントランス」の最新エントリーの写真を見た。 拝啓椋(id:mukunokiy0725)様 - 郷愁エントランス 強い衝撃を受けた。 既に何年も訪れていないながらも見慣れた杉本町の風景が一変していた。不況が継続するいま、それはどこのまちであれ、致し方ない。杉本町で店がばたばたと畳む現象は今に始まったことではない。私がまだ大阪にいた5年前にも既にみられていた。 衝撃を受けたというのは、更地になった場所
本日の大田区合気道会の稽古を休んだ。二週続けて休んでいる。 入会の案内に、稽古を休む場合は代表の師範にご連絡するよう書かれているので、先週も今週もご連絡している。なんとなく、心苦しい。 先週は家族の予定にあわせて休んだのだが、今週は家を出ないために休んだ。5月12日に仕事で神戸に行っており、まあ体調を崩しておらず、熱も出ておらず、新型インフルエンザを持って帰ってはいないはずだが状況が分かるまではあまりうろうろするまい、と思った次第である。 ただ、稽古をするのと他の外出とは違う。ニュースがいうところの「濃密な接触」にあたるだろうから、稽古に来られるひとの気も考えたらやはり家でおとなしくしておくのが良いだろう、という判断になった。一応東灘区に出かけたのだし。 来週は来週で子供関係の行事があるのだが、パンデミックといえる状況でなければ稽古にも行事に行きたいところ。かなうだろうか。 2009/05
出張で神戸に行ってきた。普段は阪急で移動する。塚口を通過するところで必ず海側のドアのところに張り付いて外を見ている。 塚口駅から少し西に行ったところに昔「若竹荘」という文化住宅があった。私が生まれたときに椋家が住んでいた場所だ。東京にうつる前ごろはまだあった気がするのだが、今見るともうないように見える。新しいマンションが建っているか、建て売りの一戸建てになっているようだ。一度歩いて確かめてみたい気がしている。 電車で塚口あたりを通るだけでも、私の最初の記憶は塚口の文化住宅か駅のあたりなので、幼い時の記憶を思い出す。 作業の最中、父親から携帯電話にメールが届いた。「奈良の家の売却手続きが正式に完了した」というお知らせだった。 塚口で4歳くらいまでを過ごした後、両親は奈良の学園前に家を建てた。私は最初奈良市立登美ヶ丘幼稚園に登園し、途中で新しくできた奈良市立二名幼稚園に編入されてそちらに登園す
2009.01.28 我孫子中学校 (2) カテゴリ:大阪 私が卒業した中学校です。 今は校区が再編されて、私がかつて住んでいたあたりにいる中学生は我孫子南中学校に通うことになっているそうです。 我孫子中学校は全国でも珍しい、学校の敷地の中というか隣接地に墓場があります。 今は手軽に航空写真が見られますから、ハッキリわかります。 だからといって夜な夜な人魂が出る、というような毎日肝試しのような学校ではありません。ごく普通の学校です。 卒業してだいぶ経ちますが、先生も含めてみんなどうしていることやら・・・ オリックス・バファローズの大引選手が後輩にあたるので、活躍を祈っています。 ちなみに彼は長居公園のそばにある長居小学校だったと思います。 BGM:BEAT EMOTION (布袋寅泰) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう いいね!0 シェアする Last updated 2009.
松山・三津浜をふらふら歩いた記録の続き。 松山の海の玄関口の一つ、三津浜(三津)には古い建物が比較的残っている。松山が空襲を受けた際、三津浜は戦災を受けなかったからだそうだ。前回触れた「三津駅」はそのような歴史を生き抜いてきた証人といえそうだが、今回は、そのほかの様々な建築に目を向けてみたい。 三津浜港のすぐそばに建つ、石崎汽船本社。木子七郎(きご・しちろう)が設計し、1924年に建てられたRC造の建築である。 設計者の木子は、愛媛出身の新田長次郎の娘婿となったことから、松山の建築を手がけてきた。近代以降の愛媛の建築を牽引したトップバッターだといっていいだろう。代表作といえる萬翠荘(旧久松伯爵本邸、1922年)と愛媛県庁舎(1929年)はともに松山城のふもとに建つ建築で、萬翠荘は「坂の上の雲ミュージアム(設計:安藤忠雄)」が建てられたことで、あらためて光が当てられるようになった。 さて、三
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