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2008年6月30日のブックマーク (6件)

  • 「買い手」「売り手」の視点から購買行動をデザイン - @IT

    第4回 「買い手」「売り手」の視点から購買行動をデザイン 株式会社内田洋行 次世代ソリューション開発センター UCDチーム 2008年6月12日 ユビキタス空間において求められるユーザーインターフェイスの形とは何か。若手技術者と若手クリエイターが、ユーザー中心の視点に立った空間デザイン論を考える(編集部) 連載第1回では、これからの「場づくり」に求められる全体像を、第2回、第3回では、CD試聴システムや目的地案内システムなどの実際のプロダクトをUCD(User-Centered Design:利用者の行動を中心に置いたデザイン)的な観点から紹介しました。第4回は、商業空間における「場づくり」について紹介します。 ちょっとだけ未来の店舗「Concept Store」 突然ですが、皆さんはお買い物が好きですか。普段は、どのようにお買い物をされているでしょうか。 「料品は近くのスーパーで」 「

    oriono
    oriono 2008/06/30
    「つまり、店頭は、何か説明を受けてモノを買う場所だけではなく、ネットではできない、実物を確認する場所にもなりつつあるといえます」。この話は理論的にも重要だわ。
  • 岩井克人(聞き手:三浦雅士)『資本主義から市民主義へ』新書館、2006年8月(その2) - alpha_c’s blog[読書]

    ■内容【個人的評価:★★★★−】 ○法人論 ジョン・ローは『貨幣と商業』というを書いているが、それを読むと、貨幣はデファクト・スタンダードであるということを百パーセント理解していることがわかる。ローはケインズを思わせる天才である。時代を超えた根源的な原理を見いだしている。 言語ができたとたんに人間は「主体」であるとともに「客体」でもあるという二重性を持つようになった。法、貨幣についても同じである。フランス人権宣言では、人間は誰にも所有されない自立した主体になった宣言しているわけだが、別の見方をすると、これは人間が自分自身を「モノ」として完全に所有していることを示すものである。 ポストモダンは、中心がなくすべてデファクト・スタンダードで成立している社会であるといってよいが、これこそは人間社会の始原的形態でもある。 インド・ヨーロッパ語で交換価値を表すもっとも古い言葉は「アルファ」であるが、

    岩井克人(聞き手:三浦雅士)『資本主義から市民主義へ』新書館、2006年8月(その2) - alpha_c’s blog[読書]
  • 9年前のこと - TRiCK FiSH blog.

    長らく池袋に住んでいる僕は、9年前の池袋の通り魔事件のとき、なぜ殺されたのが自分じゃないのかわからなかったし、いまもよくわからない。今回の秋葉の事件は、あのときのことを思い出して、気が滅入って仕方がない。 この仕事をしているからこそ、何か発しなければならないと思うが、混乱しているいまの段階ではなにを言っても誤解だけが拡がり、また、エキセントリックに消化されるのかと思うと、なにも言えなくなる──月曜日くらいまでそう思っていた。 ただ昨日、NHKラジオから出演依頼があったので、受けることにした。この段階でなにか話すことには非常に慎重にならなければならないが、今回は容疑者が残したケータイサイトの書き込みもあり、ある程度話すことは可能だと判断した。収録は先ほど電話でのコメントというかたちで終えた。僕は「非モテ」もしくは「非コミュ」と呼ばれるひとたちについて話している。 いま強く言えることは、あの容

    oriono
    oriono 2008/06/30
    秋葉原の無差別殺人について。
  •  『まちづくりとメディア』 - Sociology IN Culture

    <お仕事で書いた文章> 日(2005年11月7日)の愛媛新聞に掲載された記事。 現在、松山では、松山城への眺望を保全しながらいかにまちづくりを進めるのかという検討が進められている。 景観法という法律もあるのだが、山城への眺望保全をまちづくりに盛り込むか、否かという観点からの議論は、なかなか前例のないことらしい。 それゆえ、議論は難航を極めている。 今回は、ちょっと視点を変えて、メディアの問題について指摘してみた。 あまりにも、行政側のメディア戦略がお粗末過ぎるのは、驚きではあったけれども、実は、マスメディアの側の行政に対する姿勢も、かなり問題があったりする。 一言で言えば、「あら探し」が自己目的化している恐れがあるのですね。 権力批判は、それはそれで重要なのだけど、松山みたいな地方都市の場合、行政とマスメディアが、ともに協力して、まちづくりを考えていく、そのために手を携えるようなことがあ

     『まちづくりとメディア』 - Sociology IN Culture
    oriono
    oriono 2008/06/30
    中央メディアのあり方と地方都市におけるメディアのあり方の違いについて考えさせられる。松山の場合、政治自体が長年「保守」の方向に固定されてきた分だけ、その反動でメディアが揚げ足取りになっているのかも。
  •  『続・まちづくりとメディア』 - Sociology IN Culture

    <お仕事で書いた文章> 愛媛新聞に連載させていただいた「マスコミ時評」欄の最終回。 以下の文章は、2005年12月19日の掲載。 まあ、ありていに言って、 松山のタウン情報誌ってのは、 あまり面白いとは言えないのですね。 1.種類が少ない 2.ターゲットが明確じゃない 3.タウン誌ならでは!という情報がない (口コミのほうが情報量が多かったり的確だったりする) ・・・てな、感じですかね、特徴を挙げると。 もちろんタウン誌を作る側ばかりの問題ではなく、 地方都市の消費者意識ってのも、大きな背景として存在する。 例えば、3年前に、 松山市内の主婦層を対象に、 意識調査をしたことがありますが、 そのときに、主な購入品目ごとに、 どんな情報源を使っているかを尋ねたところ・・・ 1.自分の過去の記憶 2.新聞 ・・・の2つがダントツだったわけで。 ようするに、かなり保守的というか、頑固というか、 あ

     『続・まちづくりとメディア』 - Sociology IN Culture
    oriono
    oriono 2008/06/30
    松山の地域誌(「タウン情報まつやま」「愛媛こまち」)に苦言(?)。
  • ポリバレント=多能工って言えばいいんじゃね? - R30::マーケティング社会時評

    磯崎さんのところで見た新語にちょっと興味を引かれたので、つらつらと思うことを。 ポリバレントな人材(isologue) 「Polyvalent」って来は化学用語らしいけど、日語にすると要するに「多能工」ってことでしょ。英語にすると新しい話みたいに聞こえるけど、日の製造業はもう数十年以上前から多能工の持つ価値を見抜いていて、その生産性の高さを引き出すための方法すら編み出している。そう、いつものアレです、「トヨタ生産方式」です。 こういう、耳新しいカタカナ語で語るとすぐに皆さん飛びつくんだけど、なんだかなあという感じ。いちいち英語で言われて気づく前に、日オリジナルの知恵をもっとよく勉強して、大事にすればいいのに。そんなに難しいことじゃないと思うんだけどな。 ものづくりの世界での「多能工」の意味には、まず作業負荷の平準化がある。つまり、ある工程の作業ができる人というのがライン内に複数いる

    ポリバレント=多能工って言えばいいんじゃね? - R30::マーケティング社会時評
    oriono
    oriono 2008/06/30
    後半部は専門領域のタコ壺に入り込むことへの批判。やり玉に挙がってるのは「大学」と「士業」の世界。